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    Works 225
  • 何もすることがないのはしんどいのだ

    2011/06/29

    maro日記

    仕事というか、やんなきゃいけないことがあるって、
    ホッとすることだと思う。


    例えば『仕事、しんどくてやめて今はまだ何もしてません』
    なんて言う人がいたら、
    『おいおい気楽なもんだなあ…』
    とか思われちゃったりするけれど、
    本当に気楽でいられるのは、
    よっぽど金銭的に余裕があるか、
    よっぽど働けない事情があるか、
    よっぽどずぶとい人じゃないだろうか。

    『今働いていません』
    よっぽど他にやりたいことがあるなら別として、
    こんなに精神的にしんどいことはない。
    漠然と自己嫌悪を心の片隅に常に置きながら、
    やることもない。

    体力的に楽?
    いやいや、精神的には息がつまってくる。
    普通に大学を出て、
    就職して、忙しかったり、
    それなりに大変なことはあっても、
    心はそれほど痛まない。


    毎日をただダラダラすごし、
    そんな自分を
    『自分ってダメだ』
    なんて思いながら
    将来に対して漠然とした不安を抱え続けることは、
    思いのほかキツいと思う。

    だから、気持ちの安定として、
    『これでいいんだ。私はやっている』
    って思えていて、周りからもある程度そう認識して
    働くことは、精神的には逆に楽だ。
    良心の呵責が全くないんだもん。


    結構勘違いされている。
    『働かないことは楽だ』
    おそらくニートの人も
    そんな思いを飼って
    生きているんじゃないだろうか?
    精神的にかなり追いつめられる
    道だと思う。


    …何でこんなこと言いはじめたって?

    よくわかんない。
    ふと思ったんだ。


    でも、そうした時間を持ったとき、
    精神的に追いつめられたのは、
    私だけじゃないはずだ。


    結構しんどいもんだ。
    それほど長期的な何ヶ月も…みたいな経験は
    ないけれど、1.2ヶ月間が空いたとき、
    漠然とした不安と自己嫌悪が
    ずっとやまない頭痛みたいに
    ズキズキする。
    痛み慣れ…みたいにだんだん慣れてくるけれど、
    それは治ることはない。
    ものすごくイライラもする。

    だから、毎日どんなに忙しくても、
    頭を使っても、しかられても、
    それなりに働けている人は、
    それに気づかず、
    『自分の方が大変、お前は楽だ』
    なんて思っちゃうだろう。


    でも、きっと本当は、
    その方がずっと楽なのだと思う。

  • 失敗という地雷を踏んで歩く

    2011/06/28

    maro日記

    『失敗は成功のもと』
    なんて言ったりするけれど、
    失敗することって、
    思いのほか怖いもんじゃないと思う。


    まだ実家にいた頃、
    何かしようとするとき、
    やっぱり親としたら、
    子供のことはいつの間にか自分を投影していて、
    自分が間違っていると思ったことは、
    止めさせたいもの。

    子供の心配が、いつの間にか自分自身が
    失敗しちゃうような感覚になっちゃうのだ。

    私自身も逆に家族対してそういう感覚を
    持っちゃったことがある。
    それは、心配して、気遣って…
    …って気持ちも0じゃないんだけれど、
    それよりも、自分が失敗したくない…って感覚。
    本人以上に不安になっちゃって、
    不安を本人にぶつけちゃう。
    本人が一番不安なのに…

    『どうせ…でしょ?』
    から始まって、
    『ほらね!やっぱり…だったでしょ?』
    みたいな感じ。


    私は言ったことがある。
    『失敗くらいさせてくれ!』
    失敗は失敗だけれど、本当の失敗じゃないのだ。
    失敗から具体的な何かを得られるかといわれたら、
    ないのかもしれない。
    でも、失敗するってことは、
    『実行した』ってことなんだ。
    それって失敗よりすごいことだと思う。

    私は今でも、失敗してもいいから、
    とりあえず実行するところまでは行きたいと
    思っている。
    そう、失敗という地雷をことごとく
    踏んで歩けばいいのだ。
    全部爆発させても、私は死なない。

    それでも不安には、ものすごくなるんだけどね!


    そして、とても難しいことだけれど、
    自分の近しい人が何かをしようとするとき、
    どんなことでも、自分の不安を押さえて、
    ちゃんと応援できる自分でいたいと思うのだ。
    地雷を踏ませてあげられる勇気も必要なのだ。



    でも、そんな私、実際実行したはいいけれど、
    失敗するとやっぱり凹むのだ。

    だけど、何も実行する前は、
    失敗は絶対にしちゃいけない!!
    って感じで、失敗することが極度に怖かったけれど、
    そこまで恐ろしいものじゃあないのだ。

    逆に、そこまで高いハードルじゃなかったのかと思うと
    達成感も小さくなったりはするのだけれど…


    似顔絵を描きにいって、ヤジがとんでも
    お客さんが来ない日でも、
    私は死ぬことはない。


    そして、いっぱいお客さんが来てくれる日がくると、
    それこそ全部吹っ飛ぶのだ。

  • 『無』からはいる

    2011/06/28

    maro日記

    絵でも文章でも、それをかくとき、
    最近は『無』からはいる。


    小さいときは、本なんかを読んで、
    可愛い!とか、かっこいい!と思った登場人物や、
    感動した登場人物の表情だったりとかを、
    描きたいと思って描いていた。


    また、ちょっと前…
    人生ドン詰まりのときは、
    そのときの気持ちを絵として表現したい…
    と言ったら聞こえはいいけれど、
    要は、自分の感情を叫びたい…みたいな感覚。
    紙に叫んでいたのだ。
    このときの絵は、
    自分のためのもので、
    誰にも見せる気はなかった。


    似顔絵描きを始めて、
    もともと自信も何もない私は、
    絵のスランプになった。
    『自分じゃなくて、他の人が『納得する絵』を
    描かないといけない!』
    なんて思いながら…
    自分から見てどうしても、
    うまく気に入った風に描けない!
    …でもやらなきゃ!みたいな感じだったり、
    こういう風に描けば、
    とりあえずお客さんも文句は無いだろう…
    みたいな、プラスを追い求めるんじゃなく、
    マイナスのない絵をとりあえず
    描いていたこともあったけれど、
    それは、そのときから
    『そんな自分、間違ってる!』とは思っていた。



    そして今。
    『無』なのだ。
    こういうのが描きたい!というよりも、
    とりあえず描いてみて、
    じゃあ、こうしてみよう、ああしてみよう…
    みたいな感じ。
    頭よりも心よりも手が動く。

    だから、全く想像…していないんだけれど、
    想像つかないようなものが描ける代わりに、
    失敗も多い。
    ただ、ブログを書いているみたいに、
    自分でも気がつかなかった
    自分の中にある気持ちだったり、
    感情、アイディアだったりが、
    ポロポロっと出てきたりする。


    さて、どれがいいのか…
    何かを描きたい!と思う方が描きやすいんだけれど、
    でも、『無』から始まっても、
    だんだん絵がカタチになっていくと、
    こうがいい、ああがいい…とはなっていく。


    今も昔も、私は表情に
    重きを置いている。
    私の描く子にソバカスが多いのは、
    もともとの美人だったり、
    ルックスの良さからくる『キレイさ』
    を避けたいからでもある。
    (単純に可愛いからでもあるんだけれど)


    そんな私の絵は描き手の好みから、
    よく泣いているのは、
    単にビジュアル的に好きなのである。


    水ってなんかいいよね(≡^∇^≡)

  • ちょっとコイバナ?!

    2011/06/27

    maro日記

    学生の頃…
    私は短大に行くまで彼氏はいなかったから、
    制服でこんな場面になったことは無い。

    気が弱いので、好きな人に好きだってことも
    知られたくなかったし、
    告白なんてしようもんなら、
    うまくいったとしても学校に来れないや!
    って思っていた。


    あんまりこの手の話は苦手なんだけれど、
    ちょっと私らしい感じで話します。


    あなたにとって、
    好きな人に求めることって何ですか??


    私は、やっぱりドキドキしたかったし、
    私より背が高い方がよかったし、
    年上がいいなあとか、
    頭いい人がいいなあ…

    そんな理想が学生時代はあった。

    でも、結構いろいろ問題を抱えてた私は、
    常々、味方がほしいと思っていた。
    それがいつの間にか理想になって、
    それで、今にいたる。


    ひと年まわると、『優しい人』がいいんだけれど、
    何をもって優しいとするのか?
    YESマンは嫌だ。とか思うようになった。


    ただ、前から、何か自分にできないことが
    できるような人がいいなあと思っていたんだけれど、
    私より若干身長が低くて(私が高いんです)
    年下のアートとはぜんぜん無縁系の旦那は、
    『人と比べない』ということができて、
    『自然体でいられる』ということができる。

    どっちかというと私がなりたい理想なんだけれど…



    人の数だけ理想はあると思うけれど、
    みなさんどんな理想をもっているか…

    ちょっと気になるところです。

  • 自己満足ってハードル高くない?

    2011/06/27

    maro日記

    よく、『自己満足ですが…』
    って控えめな感じでこの言葉を使う方が
    多いんだけれど、
    みなさん自己満足してますか??


    私は自己満足ができてない。
    自己満足できるものって、すごくないかい?

    たまーに、いいのができた!これ好き!!
    って感じのができたりするけれど、
    100パー最強!みたいのはまあ、できない。


    自己満足度と、周りの人がもってくれる評価で、
    自己満足度の方がハードルが低い…
    なんてことはないと思う。
    だって、自己満足=妥協…じゃないんだもん。



    例えば店に売っている本、
    音楽をする人なら音楽とか、
    すごくいろいろ見たり聞いたり
    しているうちに、
    目や耳、ときには舌なんかが、
    やたらとこえてきて、
    だんだん満足できなくなってきたりする。

    そんなとき、もし、自分にとって
    100パー気に入った作品が存在するとしたら、
    見てみたくないかい?
    私は見てみたい。


    で、私は自分なわけだから、
    自分の100パーの好みを、
    私は体で知っていて、
    そんなより自分の好みに近い
    そんな作品、一番作る可能性があるとしたら、
    自分じゃないだろうか…

    私はこれからもきっとずっと、
    文章を書いたり絵を描いたりしていくだろう。
    その中で、今以上に自分好みの
    自分寄りの作品を
    作っていけるとしたら、
    …私は一体どこまでいけるんだろう?

    もちろん、今の私、
    まだまだヘタクソだけれど、
    でも、うまい=好きな作品
    ではないのだから、
    もっと追求していきたい。


    自分にとって魅力的か…
    ってだけじゃなくて、愛着とかも含めて
    自分にとっての好きって感覚のものを作ることや、
    あるいは作ることがなかなか大変で、
    すごく体力や時間、精神力を使った、
    満足する作品を完成させることは、
    他人を満足させることよりも
    難しかったりしないかい?


    自己満足ってむずかしいよ。
    もちろん、そんな満足を他の人にも
    もってもらうことは
    すごく嬉しいんだけれども。



    そんな自己満足を本当にしたい。

    みなさんはどう思います?

  • ちょっと伸びをして、おかしな経験を語る

    2011/06/26

    maro日記

    ちょっと伸びてみようと思います。
    ふううううう(-。−;)


    すごく悩んでいるのは事実ですが、
    波もあったり、突き詰めて考えることが、
    自分を知るというか、
    もっと深い人間になれる気がすると言うか…

    要は嫌いじゃないんです。考えること。
    知ること、わかること。(^∇^)



    何年か前に、自分でも
    ビックリする出来事があったんです!
    今回はそのお話…



    何ヶ月間か、無感動人間になってた
    時期があるんです。

    私は映画でめっちゃ泣く…
    …ようなタイプではないんだけれど、
    妄想族であり、やれ寂しい、悲しい、嬉しい…と
    そういうことでは、結構しょっちゅう泣いたり、怒ったり
    喜んだり、そんなタイプの人だと思うんです。

    そんな私が突如変わったんです。


    もともと自己嫌悪の人だったんだけれど、
    たぶん精神的に限界まできていたから、
    おそらく…心が痛すぎて、
    物理的に痛いから、体が防衛したのかな?
    物事を集中して考えられなくなって、
    無意識に人のせいにするようになって、
    気持ちが動かなくなった…
    嬉しくもないし悲しくもない、
    そんなことが突然起きたんです。


    たしかに痛くはないけれど、
    相手のことを全く
    考えられなくなっていたから、
    何だかイライラしていたように思います。

    それが、自然に私にとって
    嫌なことを全部忘れるって方向で
    解決したカタチなんだけれど、
    なんか、すごく浅はかなんです。
    自分のことしか考えられないことは
    すごく悲しいことでした。
    悲しくも嬉しくもない、無…



    ずっと流れ続ける水が、
    流れるのをやめて、
    一カ所にたまってしまって、
    増えもしないし減りもしないけれど、
    時間がたって濁っていく感じ。

    それこそ前に進んでいかない。

    水が減ったらまた足して、
    また減って…そうして入れ替え入れ替え
    冷たい新しいキレイな状態でいることの方が、
    ステキなことだと思うんです。


    何ヶ月もして、涙が戻ってきたとき、
    やっぱり悲しくて涙が出たのだけれど、
    すごく嬉しかったのを覚えています。


    痛い痛いって傷だらけの
    花瓶の水がどんどん漏れていって、
    たまに枯れてしまっても、
    また新しい水を足していって…

    そんな水が、
    きれいな花を咲かすんじゃないかと、
    うまくやっぱり説明はできないけれど、
    そんな想いがあるんです。

  • 私のかいじゅう君

    2011/06/26

    maro日記

    私の中に怪獣がいるのだ。
    ずっとお腹の底の方に押し込んである。
    その怪獣のことは人に言う事はできない。
    隠したいわけじゃなくて、
    言うと多分私の怪獣を
    閉じ込めてあるトビラのカギが
    開いちゃって、もうどうしようもないことになって、
    もう一度、怪獣をその部屋に押し込める事は
    できなくなると思うんだ。

    人は人だし、私は私…

    …おそらく周りを人並みに気にしながらも
    そう思って、人以上に前を見続けることに
    こだわり続けていた私は、
    周りからは、それこそポジティブに映っただろう。

    でも今、周りの流れに逆らえないくらいに
    本当はまいってしまっている。


    ただ、怪獣をしっかり閉じ込めて、
    何の心配も無く、
    怪獣の存在さえも忘れちゃって
    ホッとできるときには、
    多分今は何も恐れるものは無いと思う。


    このブログにこのことを書いてしまっているのは、
    怪獣を飼うことは私にとって
    結構ココロを消耗することだから。
    結構疲れてしまっているんだ。
    弱音もはきたかったんだ。



    そんな私の怪獣は、
    今日もトビラの奥でないている。

  • 暑いのでネチネチ考える

    2011/06/25

    maro日記

    『結婚ってやっぱ妥協ですか?』
    って聞かれたことがある。
    似顔絵のお客さん、学生の女の子。

    何年も前に、『就職したら出会いが無いから、
    車持ちで一人暮らしなら誰でもいいから彼氏作らなきゃ!』
    バイトの女の子が言った。

    『今の旦那は、やっぱ妥協?』
    これはものすごく失礼な話だけれど、
    お互いいろいろ苦労があったって話も
    その前にしてて、そのせいでもあるから、
    言ってる本人に対してはどうとも思わなかったけれど、
    最近離婚したという今のバイトの女の人が言った。



    いろんなことが、一斉に人生のレールにのっけられて、

    大学行かないといけないから…
    就職しないといけないから…
    結婚しないといけないから…
    子供産まないといけないから…
    子供がいい学校にいかないといけないから…


    そんな、やんなきゃいけないから…
    みたいな流れに翻弄されて生きている。


    そんな私もその中の一人だったりする。
    やっぱりそれぞれの項目で人並みに気になる。


    ただ、私も含めてみんな、その流れにのってても、
    もちろん自分の意志なわけで、
    それなりに幸せだったりするんだけれど、
    それで変な優越感を持ったり、
    上下関係になってしまったり、


    なんて言うか…
    自分の意志が二の次にだんだんなっていったりする。
    特に期間的に限られる受験シーズンや、
    20代後半に結婚に焦ったり、
    子供の進学云々…


    できる人は上、できないことは下。


    でも、妥協とかは嫌だと思う。
    やんなきゃいけないから…とかも嫌だと思う。


    好きだからその学校、その人、その職場を選びたい。
    もちろんこれは理想なんだけれども…


    何が言いたいかって言うと、
    そういう、人生で『やんなきゃいけない事』みたいな
    義務みたいな意識が先攻してて、
    自分の気持ちが置いていかれてる感覚に
    なったりする。


    そしてそのせいで、
    逆に、世間一般的にそういうのをちゃんと
    クリアしている、していない、
    いい学校、職場にいる、いない…
    みたいなことで、優劣をつけてしまって、
    できている人は人として優れていて、
    できていない人は見下される…


    そんな感じがあるのが変だと思う。


    いい学校、職場にいる人は、
    その分努力したのだから、偉いと思うし、すごいけれども、
    それはその人が選んだだけなのだけら、
    その人が上…とかじゃない。

    結婚してる人、子供がいる人、子供が優れてる人も、
    おめでたいし、よかったね!とは思うけれど、
    そうじゃない人より上…でもない。

    でもそういう風に優劣つけちゃう人が多いし、
    そういう社会になってしまっている部分があるのは、事実だし、
    どう言おうと、振り回されたりする。
    特に弱者は…
    強者は意識次第で、気にしないでいいだけの事だけれど、
    弱者は実際痛いのだから、辛い思いをしたりする。


    そういう勝ち負け、なくなんないかなぁ。



    どうあがいても、どういろいろ理由を付けても
    振り回されちゃったりする私は、
    心から思うのだ。

  • 想いは伝染する…か?

    2011/06/25

    maro日記

    学生の頃、部活の先生が、
    『情熱は伝染する』って言っていた。


    結構熱血部員だった私は、
    情熱の発信元になろうと
    頑張っていたように思う。


    そういう、まあ、情熱じゃなくても、
    例えば『優しさ』『嬉しさ』みたいな、
    何となしにボワンとした安心感というか、
    そういう言葉にできない優しい想いを
    伝染させられたら、
    すごくその一日が幸せになるんじゃないかなあ…

    もしそれができたら、
    私って生きてよかったなって感じになりそう。




    さて、今日はキレイゴトを言います。


    『将来何になりたい?』『夢は?』
    って思ったとき、
    私は好きな職種も無かったし、
    すごくお金持ちにも、
    金銭的に安定した生活をすることも、
    あんまり興味がなかった。
    (もちろん、あったら嬉しいけれども…)

    見た目にキレイになりたいとは、
    そりゃあ女だから人並みには思うけれども、
    だからアパレルやエステみたいなキレイさにも、
    さほど興味が無い…


    そして私に残ったのは『孤独さ』みたいなもの。


    私は前から割と『変な子』で、
    テレビの話、芸能の話には
    中学のときなんか特に興味がなくて
    話に入れなかったり、
    無理矢理わかってるフリをして
    浮いちゃったり…
    しょうがないから、
    ものすごく熱血部員しながら
    そうして学生生活を送っていたんだけれど…


    もともとこのブログによく書くような
    精神的な追求みたいことが好きな私の話を
    する場所もあんまりなかった。
    だから本がとにかく好きで、
    マンガやらたまに小説やら
    読んで一人納得したりしていた。


    その後いろいろ自分を追求しながら
    いろんなことをしながら、
    痛いめにもいっぱいあったり、
    人間不信になったりもしながら、
    本で読んだことでわかった気になっていた
    自分に気づいたりもした。


    そんな私がすごく欲しかったのは、
    受け止めてくれる人であり、
    ちょっとした幸せだったり、
    そういうボワンとしたことだった。
    ちょっと言葉にはできないかな…


    ものすごく漠然としているけれど、
    そういうことを与えられる人になることが
    私にとってすごく意味があるように思う。


    …だから、
    『似顔絵描き』になりたい…とも言えず、
    『物書き』…になりたいとも言えず…
    商売的には甘いんだろうけれど、
    どうにか一人でやっているのは、
    目的が周りとずれていく傾向にあるのだ。


    でも、それが甘くてもキレイ事でも何でも、
    私みたいな人間が世の中に一人くらいいても
    いいんじゃないかなあ…
    みたいな思いで、
    一人『ロボタ開発所』で活動しているのだ。


    暇なら『ロボタ開発所』検索してみてね!

  • その後…焦る私…

    2011/06/24

    maro日記

    朝のブログは結構意を決したやつだった。
    思い切ったブログだったのだ。
    私にとってね!
    今回は、その後…である。


    朝ブログの更新をしてから、
    仕事帰りに、携帯を見る。

    『コメントがあります』
    『コメントがあります』
    『コメントがあります』


    とてもたくさん来ているのを見た私…


    (クリエーターズバンク以外に、
    同じ内容でアメブロでも公開していて、
    そのブログにはいつもより多い
    コメントが来た模様…)


    ヤバい…ヤバいぞこれ…

    ああ、見るの怖いなあ…


    なんて思いながら、
    家に着いてみて見る。


    とりあえず、ちくわの天ぷらを
    食べながら…

    それがこの絵だ。


    何とかコメントを返しつつ、
    自分でも何が言いたかったのか、混乱する中、
    この一連の行動にちょっと笑けてくる。


    おびえるんなら、
    始めから書くなっつーの(#`ε´#)


    でも、本当一人一人いろいろ
    考えてくれていて…

    こんな話、仲がいい人でも
    そうそう話す機会も無い。


    そう、何を隠そう、私は結構うっとおしい人間なのだ。


    でも、そんな私に付き合ってくれたみなさん、
    真剣にコメントをくださったみなさん、
    感謝してます(≧▽≦)

    私も真剣にちゃんと受け止めました!

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