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    Works 225
  • 風船が漂う

    2011/07/04

    maro日記

    人って、空を漂う風船みたいだと思う。


    足下もおぼつかず、フワフワ漂って、
    一体私はひとりぼっちでどこにいくんだ?
    なんて考えながら…


    始めはたくさんの風船と
    一緒に売られていたかもしれない。
    店の端にきちんと結びつけられ、
    周りにはたくさん同じような風船がいる。

    漠然とした安心感の中にいる。



    あるとき一斉に飛ばされる。
    そんな漠然とゆらゆらした不安の中、
    学歴、職歴、金銭の安定、
    いろいろなおもりをくっつけて、
    地面に降りようとする。
    漂っていることは足下があまりに不安だから。


    ちゃんと自分はこの場所にいる。
    …住所不定に漂うことは漠然と恐いのだ。
    いろんなものをくっつけ、安心感を得る。


    そして、いつか他の風船に出会って、
    孤独ではなくなっていく。
    また飛んでいってしまわないように、
    しっかりと地面に結びつけて…


    けど、こういうのもいいのかもしれない。
    2つの風船が漂う…
    ひもは地面からちぎれてしまっているけれど、
    それでも二つの風船のひもは
    ほどけずに絡まりつつ、
    フワフワと漠然とした不安の中を、
    ゆうゆうと泳いでいくのだ。

  • 鼻歌を歌う

    2011/07/03

    maro日記

    まさか、みなさん、
    これがオルゴールであるとは思うまい。

    手巻き式です。


    音楽、音楽…そう、鼻歌って歌います?
    私は結構歌ったりするのですが、
    それも最近のこと。

    10代の頃なんて、
    周りの目や家族の目を気にしすぎて
    恥ずかしくてとても歌えなかった。

    そんな恥ずかしがりすぎる私は、
    鼻歌にすごく憧れていたのだ。

    そんな一皮むけたのは
    一体いつの頃からだっただろう…

    自己判断も出来ず、
    周りがいいと言うことを
    無条件に受け入れていたから、
    鼻歌みたいなしょうもないことでも、
    自分の意見を否定されることは、
    人として間違っているようで、
    必要以上に怖がっていたのだ。

    そんな私、ポーンと短大は県外に出て、
    ものすごく解放されたのを覚えている。
    自分を捜すのが楽しかった。

    やっぱ、人生に一回は囲いを出ないと、
    私は鼻歌も歌えなかったよ!

    もう惑わされないのだ。
    私は私の好きな歌を歌う。

  • 未知のたまごをあたためてみる

    2011/07/03

    maro日記

    何かを始める。

    さあ、私は何かになれるだろうか…
    変われるだろうか…

    新しく始めるっていうのは、
    ドキドキワクワクビクビク…

    そのせいで、そこに向かう
    第一歩を踏み出せなかったり。

    私が学生の頃、
    私は吹奏楽部だった。
    一心不乱に練習した結果、
    結構部内でもうまくなっちゃって
    キャプテンもしたし、
    大会でも、私の学校にしては快挙な成績も
    残したりした。

    すごく怒られたり、しんどかったり、
    いろいろあっての結果。
    すごく達成感もあった。


    でも、今はあまりない。
    ちょいちょい、結果すごい大繁盛だったりも
    するんだけれど、
    勇気をふりしぼっている割に、
    思いのほか気持ち的には
    たいしたことじゃない感じで、
    何だか誰でもやれば出来るようで、
    それがものすごい揺るぎない自信になる…
    ということもない。

    こんな新しいことを重ねていって、
    頑張った証ともよべる達成感が
    あんまりないとなれば、
    私は頑張っているんだろうか?
    なんて疑問になったりもする。


    そういう、何とも言えないところがある。


    ただ、それでも続けたいと思うのは、
    今は想像もできない先が
    あると思っているから。

    それが、凝縮されたものすごい達成感を
    生まなかったとしても、
    それはそれなのだ。

    たぶんそこ。
    『想像できない』未知の明日。
    誰からも認められ、
    賞賛される高みではなく、
    今は全く想像もできない、
    よくわからないけれど、
    見たこともない結果を
    私は感じてみたいのかもしれない。

  • 好き嫌いと上手い下手

    2011/07/02

    maro日記

    私は絵を描いたり、
    文章を書くのが好きだけれど、
    私がすごく可愛いとか、
    おもしろいとか感じるものは、
    うまい下手とは違う場所に
    あるような気がする。



    絵で好きと感じるものは、
    自分でもあんまり説明はできない。
    リアルでもいいって思えるものもあれば、
    めちゃくちゃ手描きで落書きみたいなので
    いいと思えるものもある。


    正直、そう私が気に入るものは多くはない。
    ただ、恋に落ちる…みたいな、
    理由もなく好き!!なのだ。


    でも、傾向的には、手描きくさいのが好きかな。



    文章は…やっぱり、どこかちょっと
    レトロな感じは好きだけれど、
    何が好きなのかはわからない。

    ビジュアル的には夢野久作はイイ感じ。
    おもしろいかは置いておいて…
    読んでたときはカタカナにはまった。

    宮沢賢治さんも絵本的で
    すごく風景がキレイで好きだ。
    やたらと丁寧な言葉使いにはまった。

    大好きなチャペックさんは、
    常に淡々としている。



    ルックスじゃなくて中身だ。
    絵も文も…

    そして好み。
    技術的に優れているものは
    たくさんあるんだろうけれど、
    美術館にあるから好きだ
    というものでもないのだ。


    名も知られていない人が
    描いたうまいとは言えない、
    一枚の絵に
    心を奪われることもある。


    そうしたとき…
    私、どこに向かって
    進めばいいかと考えたとき、
    うまくなりたいなら、
    誰かに習えばいいと思う。

    ただ、そうじゃないんだ。
    上手くても違う。
    私は上手いものじゃなくて、
    好きなものが描きたい。


    たくさんの自分にとっての
    恋できる絵や文に出会って、
    自分自身、
    どんなものが好きかを知る。
    そうして積み上げて
    いきたいと思っている。


    そして、そんな私の作った絵や文に
    誰かが恋できるほどにステキな『私』に
    磨き上げていきたい。

  • 足踏み期間

    2011/07/02

    maro日記

    足踏みする、かつてそんな期間が私にはあった。

    気も弱い私は、やりたいことを探して、
    そこに向かいたい気持ちは十分にあったんだけれど、
    何もできない期間、ずっと不安だったのだ。

    その期間は1年や2年じゃない。
    短大からだ。親元を離れてから、
    『何とか自分になりたい!』
    って思っていた。
    ずっと自分を捜して、
    ずっと足踏み…

    『何かをしたい』なんて言っても、
    その『何か』もわかっていない私。

    学生生活が終わって、
    実家の仕事を一緒にしてほしいと頼みこまれて、
    帰ってから、経営自体がうまくいかないことから、
    給料をもらえず、バイト生活へ突入…


    学生の間トントン拍子に行っていた
    私の最初の落とし穴にはまった。

    たぶんそれが普通と呼ばれる道を
    それていったキッカケだろうか…

    フリーターは周りの目がキツい。
    もちろん周りは『甘い。就職しろ』


    でも、私はその『何か』を探し続けた。
    今も方向しかわかっていないけれど…

    私が実際似顔絵を描いたり、
    イベントにでたり、
    ウェルカムボードを描いてみたり、
    そういうことをし始めたのは3年前からくらいからかな。
    それでも、もちろん今もまだまだ道の途中なんだけどさ…


    それまで数年間あがいていた。
    自分はこのままでいいのか、
    逆にそれを全部捨てて就職した方がいいのか、
    引っ越しもたくさんして、
    バイトの転職も10を超える。


    そんな足踏み期間。
    本当に絵の勉強をしていたわけでもない。

    ただ、諦めるってことにはしたくなくて
    就職はしないでバイトに固執した私。



    でも、あの期間は、ずっとあがいてきた期間は、
    ムダじゃないと今言える。



    結局ムダやん。結局どんなに頑張ってみても、
    どうにもなんないやん。と思っていたのは4年前。

    あがいてあがいて、立ち止まったり逃げ出したりも
    したけれど、それでも、それだけ心を使った時間は、
    私にとっては必要だった。


    今やっと少し動けるようになるまで、
    気持ちに勇気が持てるようになるまで、
    私にはそれだけの時間が必要だったのだ。


    強がりじゃなく、これだけ精神的に揉まれたことは、
    もう2度としたくないけれど、
    それが、今の文章、絵、考え方にあらわれていると
    すごく感じる。

    今はその気持ちや想いが絵を豊かにすると思っているから、
    実はすごい勉強になったんだろうなぁ。
    とにかく、ものすごく濃い時間を過ごせた。

    ただ、死にそうに不安で、途方にくれ、
    もう終わりだとずっと感じていた私は、
    やっとちゃんと前に進めていると思う。


    誰かが道路を引っぱった道を歩くことが
    正しいと思っている人が多い中で、
    私は未開拓の道をかきわけかきわけ歩く。


    でも、その先は必ずある。

    うまく説明はできないけれど、
    想いを持ち続けて、あがきつづければ、
    ちゃんと道はできていって…



    その先はある。

  • 最強!ズッキーニぼうや

    2011/07/01

    maro日記

    こいつはなんなんだ?

    こいつは自由なやつなんだ。
    いつでもどこでもどんな格好しても
    全然平気!


    踊ったり、寝転んだり、笑ったり…


    『こんなん着てたら恥ずかしいんじゃないの?』

    『いやいや、これがいいんだよ!』


    そんなズッキーニぼうやには、
    恐いものなんてないのだ。


    最強ズッキーニぼうやに私もなるぜ!

  • ネコになった

    2011/07/01

    maro日記

    このところ、いろいろ考えて考えて、
    ちょっとアタマがいっぱいになってきた。

    一休みしようと思う。
    私はネコになった。


    いろんな考えていたことが
    フワフワ漂っているけれど、
    私は目を閉じることにする。


    グーグーといびきをかきながら
    寝たい気分だ。


    みなさん、よかったらアタマをなでていって下さい。
    …ネコなので。

    きっとヨロコブことでしょう

  • 透明人間がソコに座っている

    2011/06/30

    maro日記

    朝のブログ続き…ぽい内容かもしれないし、
    結構何回もブログで書いていることなんだけれど、
    人のキモチって生き物のように
    しっかり存在すると思うんです。


    例えば、恋人と遠距離恋愛なのです。
    寂しいのです…

    そんなとき、確かにあまり考えていても仕方ない、
    考えないようにしよう…
    …いやいや、もう寂しいサンは存在していると思うんです。


    大好きな人とケンカをしました。
    悲しいのです…

    でも、あの人が悪いんです。
    …なんて、必死に非難をして、
    なんとかこの悲しみをなかったことに…
    …いやいや、もう悲しいサンは存在していると思います。


    でも、なかなかこの存在は、
    見えないから見ないフリをしたり、
    気がつかなかったり…
    ましてや、相談相手になんか全く見ることができない。


    なかなかこのことを認めることはできない。
    だって、ネガティブなことだから忘れよう…
    なかったことにしよう…

    …いやいや、もうそこに座っているんです。
    でも目には見えません。
    持ち主にさえ見えません。


    でもいると思うんです。


    なかったことにはできません。
    だって、すぐそこにいるんだから。


    だから、話し合いにそんなキモチさん達も
    参加させてあげたいのです。

    もちろんそれらは、
    本人が作り出したものかもしれないけれど、
    作ろうとして作ったんじゃなくて、
    わいて出たたくさんのキモチ達には善も悪もない。

    ただそこにいる。

    そうして、そいつらの存在なしに
    問題が解決することはない。


    ただ現実に起こった問題だけを見て、
    その解決方法を見つけても、
    キモチさんは、置いてけぼりで、
    やっぱり、そこに座っていると思うんです。


    一番本人が痛いのは、
    何かが起こったことじゃなく、
    悲しいサン、寂しいサン、
    たくさんのキモチさんの痛み。
    存在を否定しても、事は動かない。

    それをすべて透明人間じゃなく、
    ちゃんと存在する人として、
    大切にしていくことが、
    相手を大切にするってことなんじゃないかなぁ。



    何とか私の想いが伝わるように、
    誰かを大切にできるように、
    ちょっと変な話だったけれど
    頑張って話してみました。



    …でもたぶんこれが真実なんじゃないかなあ…

  • 『じゃあ、なんて言えばいいの?』

    2011/06/30

    maro日記

    結構悩みごとをしていて、
    私が誰かに相談するときって、
    もう始めから、言ってほしい言葉ってたぶんある。

    『じゃあ、なんて言えばいいの?』

    この言葉はよく聞いたし、
    その『何かを』言ってほしい自分も
    確かにいた。

    一体どんな言葉を私は望んでいるのか、
    何かを待っているくせにわからない…
    けれども、相手が言ってくれていることが、
    その『何か』ではないことに気づいていた。

    この私にとっての『何か』は、
    誰でももっている、
    誰でもできることじゃないことを
    だんだんわかってきた。
    そして、誰彼かまわず話していた自分の悩みを
    話すことをしなくなった。

    この人ならその『何か』をもっているかもしれない人か、
    よっぽど、この人に話してもわかっては
    もらえないことを前提とした上で
    話すようになった。
    優しい言葉であったとしても、
    その『何か』をもっていないことによって、
    私は傷ついてしまっていたから。


    私は相談じゃなくて、
    聞いてほしいのだ。
    だけど、ただ言いたいわけじゃなくて、
    やっぱり『何か』が聞きたい。

    それで、ずっとその『何か』を探し続けていた。
    で、思ったのだ。
    同じ対等な目線で、私の立場にたって、
    一緒に感じてほしいし、考えてほしい。

    一時期わからないときには、
    いっそ自分は単に慰められたいのかと思ったけれど、違う。

    正論とも違う。
    だって、頭で考えている私は
    その内容はとっくにわかっている。
    その正論でこうだ!ってことでも、
    自分の気持ちに折り合いがつかなくて
    痛いんだもん。
    それをひっくるめて、
    その土俵の中で話がしたかったのだ。

    例えば私と母親の場合、
    母は母の立場で話をする。
    私のことを子供の立場で見る。
    子供扱いとかじゃなくて、
    自分と違う立場から、
    なんとかしてあげなきゃ…ってなる。

    例えば友達同士、
    大変だねえって、
    今の私のしんどい立場とは別の、
    安全な位置から、
    他人目線でのアドバイスをする。
    私は痛くない、痛いあの子を助けなきゃ。

    全部とても優しい気持ちから
    きていることはわかっている。

    でも、そういうんじゃない。
    だから、『じゃあ、なんて言えばいいの?』になるのだ。


    私は一対一のただの人間同士の話がしたい。
    家族、恋人、友達の立場はすべて取っ払って、
    話し手の立場に身を置いての話をお互いでしたい。
    別に全くアドバイスがほしいわけでも、
    結果がほしいでもなく、私は聞いてほしい。
    それは、ただ耳を通過するんじゃなくて、
    今の私の気持ちを一緒に感じてほしい、
    わかってほしい…
    その、相手に私を体感してほしい。
    そしてその上で話がしたい。
    ああだね…こうだね…って。
    でないと、この矛盾だらけの気持ち、
    正論では説明がつかないし、
    リアルじゃない。
    そう思う。



    これは全部私目線で
    あくまで、私がそうしてほしい、
    その『何か』を探した結果。


    もちろん全員には当てはまらないだろうけれど、
    私はそれを望んでいた。
    それが、人は私じゃないから、
    私を体感するなんて100パー無理だけれど、
    それでも、そういう位置で話がしたいと思う。

    逆に相手が痛いなら、
    私も痛い人の立場になって話をする。
    そして、その人を知ろうとすることが、
    私にとっての『何か』。
    こんなに痛かったのか…ってことを
    深く知ろうとすることが、
    私にとっての優しさだった。



    あなたにとっての『何か』は何ですか?


    私はそういう想いを過去に考えてきました。
    今は痛くはないけれど、
    そういう場合…どんな想いを持つか
    話させていただきました(o^-'')b



    そして、絵と文、合っていません。
    絵の方は、『私は私で積み上げていくもーん…』て感じの内容でした。

  • でも実は誤解なんです

    2011/06/29

    maro日記

    今日やっと気づいたことがある。
    このブログを読んで下さっているみなさんに、
    すごい心配をかけてしまっていたとは…

    『でも実は誤解なんです』


    今悩んでいることは、一つ。
    突如暴れだすカイジュウ君は、
    今はおとなしくしている。

    その内容はこのブログに書いたことはない。
    これは不可抗力だから、
    もし100%の言葉をもらったとしても、
    解決はしないだろう。
    だから、この問題には触れないでおく。


    今までたくさん書いた私自身の意見は、
    すべて実際踏みしめてきたことだ。
    全部苦しい思いをして考えてきた。
    そんなときに言ってほしかったことであり、
    これが私にとっての答えだった。

    だから、全部『どうしよう…』
    てカタチじゃなく、
    言い切り系だったと思う。
    『私はこうしたい、こうする』
    …みたいな。


    内容全体はちょっとネガティブな
    問題を取り扱ってきたけれど、
    思考回路としてはポジティブだったはずだ。
    強がりじゃなく、私にとっての真実だから。


    いろいろあったけれど、私のことは、
    周りもちゃんと認めてくれるようになっている。
    絵もちょっとずつ、
    私の似顔絵を大好きでいてくれている人も
    増えてきている。支持してくれる人もいる。
    そして、このブログを通して
    いろんな人が私の話に耳を傾けてくれる…



    私はいろんな問題にぶつかったとき、
    それが、堅実な生き方ではなかったから、
    私のほとんどの周りの人とは、
    正論でしかやり取りができなくて、
    実際の私の気持ちは置いてけぼりだった。

    でも、人間って、
    ちゃんとしなきゃいけない場面で
    できないってこともある。
    例えば、相手を頭では許そうと
    思っていてもできない…とか。
    矛盾が起きてしまう。

    そういうのをひっくるめた上での
    これらの問題にたいする私なりの意見を
    聞いてほしかったのだ。


    そして、それにたいして、
    みなさんがどんな意見をもつのか聞いてみたかったのだ。


    いつもくっつけている絵も…
    いろんな想いを噛み締めている、
    そんな人が私は好きだ。
    必ずしも笑っている顔だけが、
    いい顔とは私は思っていない。

    そんな私の中にある、
    今までのいろんな想いをもった、
    そんな子達を描かせてもらっている。


    そんな私、今は割と元気だったりするんです(-""-;)
    ブログの内容に入り込みすぎて、
    えらくみなさんにご心配おかけしました。

    本当にありがとうございます。
    また聞いていただけると嬉しいです(*^o^*)

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