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2011/07/08
私は今幸せだ。
ただ、幸せになってまだ一年もたっていない。
だから、この降ってわいたような幸せには慣れていない。
私は1年も前に人生が巻き戻ってしまったら、
『人生なんていいこと無し。生きていけるだけの
希望も安心もなにもないじゃないか。
年を取った人は、この苦しい人生をただ生きてきたというだけで、
本当に尊敬するほどすごいことなんだなあ。』なんて思っていた。
私は幸せだ。
私の心の中で天変地異が起こって、
本当に180度変わった。
そのキッカケは一人の死。
そのことの多くは語るつもりはない。
けど、その人が私を180度変えた。
本当に奇跡はあるんだと感じた。
不幸が当たり前になっていた私、
けれど、その人が亡くなってから、
本当に人生が魔法がかかったみたいに、
普通に私は幸せな人になった。
でも、この人が周りに何かしたわけでもなく、
私の不幸をただ持っていってくれた感じ。
マジックなのだ。
きっと周りにきいても、変わったのは別に
その人のおかげだとは思っていないと思う。
周りみんなが敵みたいだったのに、
今はみんなが味方。
身内も職場も友達も…
ただ、私はその死を引きずっている。
本当に私にとって大切な人だったから。
私はその人が大好きだったから、
今もしこの幸せと引き換えに不慮の事故を
なかったことにしてくれると言われるならば、
私は不幸を選ぶだろう。
だけど、私は今幸せだ。
もちろんいろんな人の支えはある。
でも、きっとそれはKのおかげだと
私は思わざるを得ないのだ。
2011/07/07
2011/07/07
いつもは、ほとんど『今』のことは書いてないんだけれど、
ちょっと今起こっていて、今思うことしゃべってみる。
私ってもともとネガティブよりな
人間ではあると思うんだけれど、
ブログに書いてることは
めちゃくちゃポジティブだと思って書いている。
ネガティブを通過してのポジティブだから、
結構ネガティブのイメージのほうが強すぎて、
『大丈夫?』みたいに思われがちかなぁ。
私がブログを書くときにすごく気にしてしまうのは、
私の思う『良くない人』を叩きすぎやしないかということ。
結構否定しちゃってるから、それにあたる人が、
気分を悪くしないだろうか・・・
だから、極力『これっておかしくない?』
じゃなくて、『おかしいと私は思う。』
にするようにしている。
私個人の意見にしたいから。
それに、たぶん逆に自分を良く書きすぎている部分が
大いにあるはず・・・
自意識過剰かなあとかも思うくらい。
ちゃんとわかっているんです。(笑)
そういう部分すごく不安。
けど、『落ち込まないでね。』
なんて逆に優しい言葉をかけてくれる人には、
『前は最悪だったけど、今めっちゃいい感じなんだよ!』
的な小憎らしいことを書いているだけに、
なんともいえない申し訳なさが・・・
いや、コメントしてない人で、
私の思ういやな言い方をしている部分や、
否定しちゃってるとこで、
いやな気持ちになっている人もたぶんいる。
まあ、ブログで何かを伝えようと思うと、
なかなか難しいみたい。
だから、まれに本当に本当に私の素直に言いたいことを
コメントする方にビタッと当てられると、
ものすごくジャンプしたい気持ちになるんです!
2011/07/07
このごろ眠い…
とにかく眠い…
天気のせい?
エアコンのせい?
実はそういうわけでモノクロが多かったりする
最近の絵。
このまま眠っちゃってサナギになっちゃったりして…
さあ、私は蝶になるのか蛾になるのか…?
2011/07/06
学生の私は最低人間だった。
自覚は全くゼロ。
私は学生のとき、いい子で過ごしてきた。
中学でもそこまで勉強しなくても何となくできてて、
成績が悪い人を見下していた。
それも無自覚に…。
高校は進学校だった。
せめて上から4つ目までの学校に入れよと
親から言われていた私は、
それ以外の自分より成績の悪い学校の生徒を見下し、
逆に県トップの学校に通っている人は、自分よりランクが上、
すごい人だと思っていた。
そんな価値観を自然と持っていた。
そして、それを全く悪いことだとも思っていなかった。
私なら何でもやれる!
…なんて思っていた。まさか私ができない訳がない。
だって、少なくとも中よりは上だから。
そんな私の価値観がひっくり返ったのは、
卒業後、実家の自営を手伝えと言われ、
家に帰ったはいいけれど、経営状態が悪すぎて給料が出ず、
バイト人生がスタートした。
私がまさかフリーターなんて!
そこから昔ダメだと思っていた、
自分が底辺だと思っていたフリーター生活をし始めたのだ。
でも、何一つダメじゃなかった。
調理で裏方やっている人もすごくかっこ良かったし、
みんなちゃんと自分の意見をもっていた。
格差で人を判断しない考え方。
すごくカッコいいと思ったし、はっきりと目が覚めた。
それでまた、ちゃんとこれから
どうするか考えようと思ったのだ。
私は思う。もし私がすんなり就職して、
多少の苦労はあっても、
何とかそのまま生活していったとしたら、
本当にわからないままいたと思う。
人を見下していることに自分で気がつくこともできない。
すべての価値観が学歴や職歴、立場の善し悪し。
人としても最悪だけれど、
自分として、それを知らないことがすごくもったいない。
まっさらな目にうつる、色眼鏡のない世界。
何も知らなかったら、ものすごく怖いことになっていた。
でも、元々そんな考えを持っていたから、
やっぱり負け犬の遠吠えなのかなあ。
…って思いが長い間かすめていた。
そんなあるとき、昔の私の言う成功者に会ったのだ。
そのとき、目から鱗。
ただその職業を選んだというだけで、
相当な努力はしたんだろうから、本当にすごいけれど、
人として見てみると、
もちろんそれでもいい人はいるんだろうけれど、
私の会った人は、その地位を誇示していて、
何かで賞を取ったとか、国立のどこ大学とか…
そういうことにしがみついてしまっている。
全然人としての気持ちにおいて、
何の考えも感じられなかった。
そのとき初めて負け犬じゃなかったことを確信した。
本当、一回落ちないと怖い。
切実に思う。
私はそのまま行っていたら、
了見のすごくせまい、情けない私になっていたことだろう。
2011/07/06
髪型を変える、服を変えること、
もうイメチェン!て感じの…
そういうことをすごくしている時期があった。
短大で家を出てからだ。
1ヶ月ごとに髪の色は変わり、
服もとりあえず奇抜な感じにする。
農短、畜産科の私は、誰に見せるでもなく、
コロコロ変える。
見てくれるのは数少ない学生か牛かブタか…
しばらくそういうことを続けていたのだけれど、
もともとの性格として、
オシャレに興味が全くなかった私は、
これじゃダメだと思ってアパレルに勤めることになる。
いろいろ服の合わせ方着方、すごく勉強になるけれど、
毎月服を買うことにストレスを感じることになる。
そんな私は今すごく楽な感じになっている。
そこそこいい感じにはしたいんだけれど、
あんまり頑張ってる感じが自分の中で
すごく疲れてしまった。
まあ、自然志向の流行りみたいなこともあるんだろうけれど…
以前はものすごく自分を変えたかった。
自分が大勢の中の一人じゃなくて、変なやつでいいから、
私になりたかった。
でも今は何となく自然に自分になってきている気がする。
無理をしないで、でも染まらない。
そういうのが多分今の理想でもあり、
そうなりつつある私はやっぱり変な人には変わりはない。
でも今とても軽い感じなんだ。
もう、なんだかスキップしたくなるくらい!
2011/07/05
私はワルモノです。
今までのブログも、嫌な気持ちもあってOK!とか、
すごく恩着せがましくいいことをしてあげよう!とか、
時に、相手に悪質な気持ちを持ってしまうことも
仕方ないとか…
すべて自己中。
けど、だから人に嫌な態度を取る、
他の人を巻き込んで、
裏でコソコソ陰口を言う…のは絶対NG!
ここは、もう潔癖なほどに言わせていただこう。
百歩譲って、本人に直接言うのは
ギリギリセーフかな。
私はできることなら、永世中立国の立場でいたい。
でも、これは女社会の中では非常に難しい。
とても苦手分野。
人は群れると、誰かを悪者にして、
その人に対して嫌な態度をとる。
そしてそれを、人数が多いということで
正当化する。それはもう必死で…
学生のときもあるものだけれど、
大人もこの稚拙さは変わらない。
ただ、大人社会での都合のいい肯定化する言葉。
『心配だ。私はあの人が心配なんだ。』
本当にズルい。
気持ちが悪い。
他人のことを言った言葉でも吐き気がする。
そして、そんな中に入るのはマッピラなのだ。
もし、言われる方が100パーセント悪かったとしても、
嫌なことを言うことや、
嫌なことをすることは肯定されたりしない。
面と向かって注意したり、本人に直接言うのならまだしも…
陰でどんどん増殖し、必死で正当化しようともがいている。
嫌いなのは仕方ないよ。でも、だからって大勢集まって
手を組んでその人を追いやるのはどうなんだ?
そんなことを思って、人を非難する群れから離れていると、
私が標的にされたこともかつてあった。
その理由というのも、『なんか雰囲気が嫌』
は?そんな理由はあるだろうか…
そんな理由でたくさんの女の群れが、
私に牙を剥き、突如、コバンザメ的なやつが
私に言った。『心配なのよ…』
私もその後、牙を剥いたことは言うまでもない。
なかなか引き下がらない私に手こずったことだろう…
そんな私、今の仕事場は周りがほとんど男の中で、
なんとか中立を保っている。
ものすごく楽だ!
そんな…今日の話。
その男の人の一人が、新しく入った女の人が
どうやら好きじゃないらしい。
ちょっとヤンママ風な女の人だから、
それこそ雰囲気が嫌なのだそうだ。
まあ好きずきだからしょうがない。
でも、その男はヤンママに
あからさまな態度で拒絶したのだ。
『おいおい…』そう思っていたまではよかった。
そのヤンママが何とか私を自分の味方にしたいのか、
その男がいなくなった途端悪口を言いはじめ、
私は適当に流すしかなかった。
いやな態度をとられているヤンママも多少気の毒だし…
ただ、無視することが、これまた苦手だから、
変なフォローみたいになってしまって、板挟み。
ついには本当に初期の頃しかしないようなボンミス勃発!!
まずい!せっかくいい調子やったのに…
追いつめられた私は、
ヤンママが帰った後、男に言った。
『あんまりです。
嫌いでもいいから、もうちょっとうまくやってください。』
さて、明日はどうなることだろう…
2011/07/05
誰かに何かをしてあげることは、
思いのほかダイレクトに
自分のためになるんだなぁって思う。
だからあえて私は何かをします。
たくさんの恩着せがましい気持ちを抱えて…
『誰かに何かをすることは、自分に返ってくるよ』
っていうのは、私は喜んでくれた誰かが
そのうち私にもお礼に
何かしてくれるかもしれないってことだと思っていた。
だから、ぶっちゃけ返ってこないかもしれないし、
返ってきたらラッキーみたいな、
そんな感じだと思っていた。
でも、違うと思えることがあったのだ。
何かをすることで実際喜ぶのは人以上に自分だ。
私は精神的に病んでいた。
何年か前に2.3年間くらいだろうか。
薬を手放せない日が続いていた。
(麻薬じゃないよ!)
体が薬に慣れてしまっていて、
飲まないと、逆に副作用で手が震えたり
目が一点を見ることができない。
飲んだら飲んだで、治るのではなくて、
ボーッとするのだ。
だから、バイトでは冗談抜きに眠すぎて、
支障が出るくらいだった…
薬は無理矢理思考回路をストップさせる。
私はそれがないと、
自己嫌悪の渦に飲まれてしまう。
そんな毎日…
そんなとき、私は意図的に絵を贈ることを始めた。
プレゼントを送りつけるという乱暴なことを
祖父母にするようになった。
もちろん本人達も喜んではくれるのだけれど、
喜んでくれているに違いないと自分で思えることが、
私を自己嫌悪から救ってくれていた。
それまで悪者だった私が、本当に自分でも不思議なことに、
自分の中で少しずついい人になった。
その勢いで、私は初めて路上で
似顔絵描きに飛び出したのだった。
降りしきる雪、寒い北陸の冬のまっただ中にだ。
サービス業と一緒で、
ものすごい暇な時間もある。
人通りの問題かな…
ただ、今以上にへたくそな
私の似顔絵は大繁盛だった。
(だから、本当誰でもできるんだよ!)
私は描いてあげた人達の
毎日繰り返される1日を
変えて『あげる』ことができた!
楽しい1日にして『あげる』ことができた!
…なんて、ひどい妄想だ。
でも誰も傷つけてはいないので許してもらおう。
でもそうして私は、
黒い自分を必死で白く塗る作業に徹していたわけだ。
そんな私、今はいたって元気!
昨日書いた、どん底、
もうこの先どうにもならないところから、
平常に戻ってきた口だ。
でも、すごくはっきり感じたのは、
人に何かをすること、
優しくすることによって、
本当の意味で人を信用できるようになる。
自分を信じられるようになるように思う。
だから、その『誰か』が『何か』を、
ほとんど喜んでくれなかったとしても、
それは自分に返ってくる。
自分が自分の味方になれることほど、
自分のためになることはないんだから…
2011/07/04
幸せだと感じることは、
私はそうたくさんじゃない。
ものすごくしんどい思いをして、
その後に、ちょっと落ち着いて、
普通に過ごせること自体が
めちゃくちゃ幸せだ!…なんて気がついたり…
そしてまた普通の生活に戻ると、
その幸せも普通になっていってしまう…
マイナスとプラスの差で
幸せって感じるもんなんじゃないか…
なんて考えたりする。
もしそうであるならば、
ものっすごくマイナスを感じる人は、
プラスの価値がうなぎのぼりではないか?!
…ということは、実はものすごい幸せを
感じることができるのは
すごくすごーく辛い思いをしている人で、
そんな人が、実は一番幸せだったり
するんじゃないだろうか…
もちろん人とはやっぱり比べてしまうし、
一般的とよばれる生活水準より下だと、
それだけでものすごく不幸だと
思ってしまうんだけれど…
すごく落ちてしまったら、
這い上がらないと
やっぱりマイナスのままだから、
意味がないんだけれど…
それでも、ものすごーく
幸せになれる素質あり!
…の状態なんじゃないだろうか?
そして、誰もが大好きな『幸せ』ってことを、
ちゃんと表現できるのは、
きっとマイナスを知っている人なんだと思う。
私はマイナスは好きです。
2011/07/04
『ただ好きと言ってほしいだけだよ』
これだけだと思う。
本当にすべてのこと。
自分と相手と2人だけの世界の中で。
何も恋の話をしているんじゃない。
もちろんそれも当てはまるんだろうけれど…
いろんなことが生きていくためには
くっついてくるから、
すごく複雑な気がしてしまうけど、
全部すべてを0にしたときに、
私があなたに望むことは
これだけ。
この絵の価値は?この本の人気は?
いろいろ周りの価値基準や判断、
いろんなことに振り回され、比べられ…
いやいや、実はそんなことじゃないんだ。
ただあなたに好きだと感じてほしいだけ。
…そう、私はたくさんのいろんな人の
目を一人ずつ見て、そのとき目に映るただ1人に
そう思ってもらいたいのだ。
私はあなたが好きです。
ただそれだけ。
大好きなあの人にたいしてもそう。
好きだけじゃごはんは食べられない。
でも、好きじゃなきゃ一緒に
いれるわけがない。
もしあなたが私に好きだと
ずっと思っていてくれたら、
そのことを感じ続けることができたら、
本当はそれが一番大事。
仕事がうまくいかなくたって、
お金がなくたって、
もしそれでもこの気持ちを
持ち続けられるなら、
それが一番幸せ。
生活がキツくなると、
それがわからなくなってしまう。
その気持ちさえ見失わなければ
それが一番幸せ。
いくつになっても…
お母さんはあなたが好きだよ。
小さな子供に言う。
言うことを聞かなくても、
頭が悪くても、悪いことをしてしまっても、
目が見えなくても、耳が聞こえなくても、
例え本当は私の子じゃなくても、
何があっても、
あなたが好き。
ただそれだけ。
みんなただそれだけがほしい。
私はただそれだけがほしい。
だから、私はみんなに好きだと言いたい。
そして、みんなに好きだと言ってほしいのだ。