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  • アート論

    アートサイトを眺めると、その洗練されたデザインに結構心が惹かれます。

    イラスト投稿サイトにユーザーが投稿してるのは絵で、アートサイトと思うのはアートだと分けて思っていて
    後者になりたいのですが、だからと言って洗練されたものなど形だけ真似してもしょうがないと思います。

    他の芸術家が自分たちの独自の芸術論を持っているように僕も一つの指針・アート論をはっきりさせないといけないので、
    下に書いたのはこれです。

    ======================================

    私が結局描きたいのは異次元や異空間で、それは子どもの頃見たゲーム画面や友達の描いた落書きだった。
    それには人間の感情が込められていても”人間のそういったものを求めて見ています。”と思わなかったはずだ
    少なくともそれを求めて見ているかなんて考えもしなかったしとにかく異空間や異世界を見ている気分でゲーム画面や友達の描いた落書きを見ていた。
    それらには立体感や独自の立体感が必ずしもあっただろうか? また基礎画力も求めて私達は見ていたのだろうか?
    絵を描いてるわけじゃない友達の落書きには少なからず基礎画力なかったのもあったはずだし、とにかく一瞬の感情や気分を切り取った絵を見てとにかく○○だなーと思っていた。
    私達は絵を求める事は同時に人間から作った異次元・異空間・異世界を求めていたのではないだろうか? ゲーム画面や友達の描いた落書きに違和感を感じる日もあったのかもしれない。また、幼稚だと思ったかもしれない。しかし、それらも含めてそれを描いたその人自身のパーソンだし私の絵もわたし自身と言う“個”から来た異世界・異空間・異次元に過ぎない・・・

    壁画の壁がそうであるかもしれないように基礎画力とかを知らなかった頃に描いた絵と言う原始的な、本能的なものに着目して、誰かの礎を忠実に守るとかもせず大人になった今それの延長線上として私は絵を描く。

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  • 社会貢献するクリエイターになるために

    オダギリジョーがネットのインタビューで、
    「自分は物を作っているし俳優もやっているが社会貢献をやってないと苛まれている」と言ってるのを見た時、
    私も世の中に貢献してないと悩んでいたので同じ考えを持っている人がいたんだとびっくりしました。
    そしてそう考えてる俳優・クリエイターが後に何人かいるのを知り共通の悩みである事が分かりました。

    でも最近ある事に気がつきました。 私は社会貢献をしていました。

    私はデータ入力の仕事をしていますがその仕事に誇りを持っています。
    「広義の意味でのお客さんの書いた情報をデータ化し、それを別の客さんがデータとして使うのであろうと言う事」が面白いと思うからです
    データ入力は立派な社会貢献です。

    私みたいにクリエイター志望だけど、作品に携わっていない仕事をしている人も多いと思いますが、そういう人は逆に社会に貢献していると思うと良い経験をしているんじゃないでしょうか?

    もしお金のやり取りが発生する物を作る仕事の依頼が頻繁に来る事になれば、自分は社会貢献をしていると言う充実感が自然に沸くと思いますが
    そうじゃない私の現時点では、データ入力で社会貢献をしていると言う見方をしています。

    でもその社会貢献出きる仕事を持っている事がどれだけ大事な事なのか?  仕事をしていなかった頃の私を振り返ると、手に取るようにそれが分かります。 社会貢献するクリエイターになる前にそれを知っているのはよい事だと思います。

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  • 激しくリニューアル起こしました。

    文字サイズ小の文「鳥シリーズ 安全地帯フラミンゴ」をリニューアルしました。
    鳥シリーズとは、野鳥を私なりにアレンジしたシリーズです。

    安全地帯フラミンゴは安全地帯のじれったいをBGMに、
    優雅だが怪しいフラミンゴを描きました。

    またプロフィール画像もリニューアルしました。

    暑く、激しく、気高く な感じでしょうか?

    2つともよろしくお願いします。

    http://www.creatorsbank.com/portfolio/works/?id=denkou_souri

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  • 面分割取り入れました。

    私の作品 「安全地帯フラミンゴ」で面分割と言うのをしました。

    面分割とは自分にとって一度完成させた絵の上から、
    輪郭を象った色を塗って行く作業なんですが、
    やってみるとほんと良い意味で元の絵と大分違うと感じました。

    塗る事で元のから盛り上げる所は化粧と同じと思いますが、
    塗りすぎると引く所も化粧と同じですね。

    まだそこら辺の技術が分からないのですが積極的に取り入れていこうと思います。

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  • 見放されない、奥深いアート技術

    私は最近作品を描くとき一旦絵を完成させてから”演出”を付け加えるように意識しています。

    美術館やアートサイトと呼べるものの絵を見る度 私の絵は存在感が足りないなーと思っていたのですが
    その原因は演出技術が足らんのもあると考えています。

    今までは新しいものを作ろうと必死になったり自分で考えたけど今の技術じゃ出来ないようなコンセプトを何とか成功させようとしたりて
    その余裕がなかったとも言いかえれます。

    前は存在感を出そうとして絵を描こうとするのは多分間違いで後から付いていくものだと思っていたのですが、
    今はさきほども言ったように完成させた絵に演出を加える事で存在感を出そうとしています。

    それは面分割やアンチエイリアス処理や立体感を出すための陰影処理だったりしますが他にもしなくてはいけない、
    本当は持って当たり前のはずの”技術”を知らなくてはいけないと思うと空恐ろしいです。(本当は技術と言う言葉好きではなかったのですが・・)

    また自分の絵はアートにも普通の絵にもならない中途半端な絵だと自覚しているのもあって、

    頑張らないと生き残れません。(アートと言うのを常に大前提にしていかなければとも考えています。)

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  • 美術館 VS 人間

    美術館の人に自分の作品を売り込むと自分たちの意見の方が絶対だと思ってるような壁にぶち当たってしまいます。
    美術に携わってる人も人間だから自分の理解できないものに拒否反応を示すと考えるべきか? まだまだ自分の絵は稚拙だから精進なさいと考えるべきか?は分かりませんが、
    もし未熟でも光る所があるから応援しようと言う気持ちが案外欠けてるとしたらそれはどうなんでしょうか?  アドバイス付きできちっと「がんばって下さい。」と言わない人は冷たいと思います。 

    また絵を持ってきた人にがんばって下さいも言わない美術館の人は、
    少なくともその人につながりをもとめてないわけでそこに美術館の人も人間なんだと感じる部分があったりします。  なせなら人間はつながりを求める生き物ですが同時に誰かにつながりも求めない生き物だからかもしれないからです

    私たち絵を描いてる側が美術を展示してる人を高尚な人だと思いたい部分があると思いますし、
    逆に美術を展示してる人が私たち絵を描いてる側を高尚な人だと思いたい部分があると思います。

    高尚なものと思いたいのは美術に限った話ではないのですが、高尚だと思ったものの、「人間」と言う部分をみるともしかすると傷つくのかもしれません。


    ですが美術館の人間と、その美術館に飾ってある絵を描いてる人間とは相思相愛であると言えますが、
    例え個人個人が「人間」と言う域を出なくても、その相思相愛は人間という範疇を超えてまさに高尚なものにしたいものです。

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  • 貧乏アーティスト

    私はフリーペイントソフトのAZpainterを使っていますがフォトショに乗り換えようとしましたが上手く扱いきれません
    マウスでルーペを使う時もAZpainterと操作が逆なので一苦労してしまいます。
    直感的に使うのなら使い慣れたAZpainterが一番ですが昔はマイクロソフトのペイントからAZpainterに乗り換えるのも一苦労でした。
    レイヤーと言う概念に苦戦しましたが特にペイントと違って貼り付けにも色んな種類があるのでかなり悩みの種でした。 

    だから一つ上のソフトに乗り換えると技術も上がるし自分の世界も広がるのは分かりますが、ソフトごとに微妙な違いにも苦戦し今はこのフォトショだと消しゴムの違いに苦労してます。(塗りつぶしみたいに消したい箇所を一気に消せないのでしょうか?)
    マイクロソフトペイントで基本的な操作を学んだはずなのに何でソフト乗り換えようとする度その基本的な操作さえも悩まんといかないでしょうか?
    いわゆる高度な技術を学ぶ前にこっちからまた学ぶってかなり貧乏性過ぎます。

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  • あなたは自分の出身地を武器として使いたいですか?

    わたしはある場所に住んでるのですが住んでる場所を公開するのに抵抗があります

    なぜならその場所は言うと注目はされますが、その場所に持っているイメージでしか見られない恐れがあるのです。

    例えば徳島出身のクリエイターならどう言ったテイストの作品を作っても徳島の持ってるイメージでしか見られない、徳島の特色をいかして作品を作ってるのなら良いかもしれませんがそうでない人も徳島出身と言うイメージで見られてしまう、そんな極端な例が起こるのを否定できないのです。
    一見変な考えに見えるかもしれませんが私の住んでる場所は数十年間ほぼずっと同じイメージで見られている気がするのです。

    同じイメージで見られ続けてるのもその風土を生かした作品やものしか作れてない責任がありますがある外的要因によってそうなってるのも否定できません。

    そんな外的要因を引っくり返したり持ってるイメージを覆えせる作品を作れたり、またそんな立場であったら良いのですが残念ながらそうではないですしまた、自分の作品も住んでる場所のイメージを覆せるものとは思わないほうがいいのでしょう。

    実際の徳島は日本の中の一つの土地と言う見方で見られてると思いますが、
    私の住んでる場所もうそう見えるかもと思って公開するのは私にとって賭けでしかありません。

    また特色とは関係のないもので勝負したい人達を引っ張りたいと言う思いがあるからあえて自分の住んでる場所を公開したくないと言う側面がありますし、
    私自身も実際にそういった関係のないもので地元を盛り上げたい人を知っています。


    これから私自身はどうしていけば良いか分かりませんがもっと多くの人に、作品と自分の名前を知って貰う工夫が大事だなあと考えています。

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  • 世界に一つだけの花になれるためのアート、

    「世界に一つだけの花」と言う歌がありますが
    歌詞の中に
    『ナンバーワンにならなくてもいい もともと特別なオンリーワン(中略)その花を咲かせることだけに一生懸命になればいい』
    とありますが
    オンリーワンだから苦しんでいる人間もいると思います。

    私たち芸術を作る側は自分のオンリーワンを咲かせるために作品を作ってると思いますが
    芸術家じゃない時、例えばバイトをしている時など人と同じじゃないから苦しんでいる人も中にはいるのではないでしょうか?

    芸術とはそう言った私達が自分のオンリーワンを伸ばしながら、
    オンリーワンで苦しんでいるのを抜け出すために作ってる側面がありますが
    苦しむなら自分のオンリーワンを捨てさった方が良いのかもしれません。

    だからこそ芸術家を諦める側と諦めない側の2つに分かれると思いますが、
    私が諦めずに芸術を作っている理由の一つとして、
    人と過ごしている時間よりも、
    作品が生きている一番の証になるからかもしれません。

    そして作るならそれを世界中の人が見ているアートにしたいです。

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  • 芸術と中の人の顔

    顔の良し悪しでその人の能力を決められないのが当たり前の時代が来るんじゃないか?と私は思います。

    この人は顔は悪いけど代わりにこう言う能力があると言ういわれを前よく耳にしましたが
    そういうのはただの偏見だと考えます。

    顔の良し悪しも能力のうちみたいに言われますがある意味そうですが脳力的に
    この脳の大半を顔の良さに使っていて残りを能力に使ってるから能力が低い、
    この脳の大半を能力に使っていて残りを顔の良さに使ってるから顔が悪い、
    だと言えるのでしょうか?

    顔が悪いから能力が代わりに高いと言うのはすごく変な話しだし顔で能力と出世云々が決まるか?決定するほど世の中単純ではありません。 
    逆に自分の顔はこうだけど能力は高いから代わりに顔の良いあいつがいるけどアイツは能力が低いから俺は出世すると思ったらバカを見るんじゃないでしょうか?

    顔、つまりビジュアルが求められるのはまたは別の分野ですし、
    またごく当たり前ですが顔と能力は完全に分けて考えるべきです。

    このクリエイターズ・バンクでも顔出しされていてその顔が良いクリエイターを何人か見かけますし
    一般的にもフィギュアスケート選手やネットなら美人すぎる○○で実績を取ってる人など
    ちょくちょく有名になっています。

    また世相的にも顔に対して意識が昔よりいろんな意味で全般的に高くなっているんじゃないか?と思いますし
    GOOGLEで「男性用 化粧品」と調べるとその存在がもう当たり前になっているかのように感じます。

    顔が良いから出世しやすい、顔が悪いから能力があっても出世がしにくいと言う世の中に勿論なって欲しくありませんが

    顔の良い人も悪い人も関係なく平等に能力を発揮しやすい世の中になって欲しいと私は思いますし
    顔がこうだから能力はこうだからと言う考えは返って恥ずかしいような気がします。

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