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  • 見放されない、奥深いアート技術

    私は最近作品を描くとき一旦絵を完成させてから”演出”を付け加えるように意識しています。

    美術館やアートサイトと呼べるものの絵を見る度 私の絵は存在感が足りないなーと思っていたのですが
    その原因は演出技術が足らんのもあると考えています。

    今までは新しいものを作ろうと必死になったり自分で考えたけど今の技術じゃ出来ないようなコンセプトを何とか成功させようとしたりて
    その余裕がなかったとも言いかえれます。

    前は存在感を出そうとして絵を描こうとするのは多分間違いで後から付いていくものだと思っていたのですが、
    今はさきほども言ったように完成させた絵に演出を加える事で存在感を出そうとしています。

    それは面分割やアンチエイリアス処理や立体感を出すための陰影処理だったりしますが他にもしなくてはいけない、
    本当は持って当たり前のはずの”技術”を知らなくてはいけないと思うと空恐ろしいです。(本当は技術と言う言葉好きではなかったのですが・・)

    また自分の絵はアートにも普通の絵にもならない中途半端な絵だと自覚しているのもあって、

    頑張らないと生き残れません。(アートと言うのを常に大前提にしていかなければとも考えています。)

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  • 美術館 VS 人間

    美術館の人に自分の作品を売り込むと自分たちの意見の方が絶対だと思ってるような壁にぶち当たってしまいます。
    美術に携わってる人も人間だから自分の理解できないものに拒否反応を示すと考えるべきか? まだまだ自分の絵は稚拙だから精進なさいと考えるべきか?は分かりませんが、
    もし未熟でも光る所があるから応援しようと言う気持ちが案外欠けてるとしたらそれはどうなんでしょうか?  アドバイス付きできちっと「がんばって下さい。」と言わない人は冷たいと思います。 

    また絵を持ってきた人にがんばって下さいも言わない美術館の人は、
    少なくともその人につながりをもとめてないわけでそこに美術館の人も人間なんだと感じる部分があったりします。  なせなら人間はつながりを求める生き物ですが同時に誰かにつながりも求めない生き物だからかもしれないからです

    私たち絵を描いてる側が美術を展示してる人を高尚な人だと思いたい部分があると思いますし、
    逆に美術を展示してる人が私たち絵を描いてる側を高尚な人だと思いたい部分があると思います。

    高尚なものと思いたいのは美術に限った話ではないのですが、高尚だと思ったものの、「人間」と言う部分をみるともしかすると傷つくのかもしれません。


    ですが美術館の人間と、その美術館に飾ってある絵を描いてる人間とは相思相愛であると言えますが、
    例え個人個人が「人間」と言う域を出なくても、その相思相愛は人間という範疇を超えてまさに高尚なものにしたいものです。

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