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2010/05/31
アートとはなんでしょうか?
アートとは人が新しいものだと思って認めたらアートになると思いますがそう言った意味私のもアートになれると思います。
アートとは最初から芸術然、自分の世界然として作っていると決まっているわけではなく、
チラシ裏に書いてる文字のようにすぐに存在感を忘れ去られそうなところにあっても周りが新しいものだと認めて有名になったらアートなんです。
例えばジョジョの奇妙な冒険の荒木飛呂彦さんのもアートと言えばアートなんでしょう。
荒木飛呂彦さんは最初ジャンプで新人漫画家として連載デビューを貰いましたが打ち切られて、
それでジョジョの奇妙な冒険と言う新しい連載貰ったけどそれも打ち切り覚悟で載っけられたと思います、テイストもさる事ながら既に人気ある漫画家の新連載さえそうなんだから。
でそれでだんだん人気が出てきて有名漫画になりましたがけれど2000年代の最初あたりになると、
人気も微妙な所に入ったのもあって一旦打ち切られます。
ジョジョは一旦話が終わっても連載は終了せず違う主人公の新しいする事で巻数を100巻達成するのが目標でしたが一旦連載終了してから新しい話になったから単行本上のナンバーの打ち方も「1巻(28巻)」と言う付けられ方をしています。
「スティール・ボール・ラン」と言う別の新しい主人公の話をやる時も内容がレースゲームだからか序盤編集者と作者が自分に言い聞かせるように『誰かが新しい事を始めないと道を切り開けない』言う内容のセリフがあったと聞きます。
「スティール・ボール・ラン」も打ち切られましたがやがてスーパー少年ジャンプに連載の場が移りましたがこれだけ聞くと良くて一部で面白い漫画と言われてても存在感が薄いように見えますし、一概のこのマンガをアートと呼んでたのはごく一部だけでしょう。
ところがオタクがある程度恥ずかしいもんじゃないと認知されてから急に沸いたようにジョジョ好き芸能人とかいっぱいでてきて周りが変に持ち上げるようになりました。 あちこちでジョジョ好きだと言えばそりゃ存在感は出るわけでジョジョ立ちと言う言葉が生まれたなど
本格的に周りに認められ存在感のぼやぼやしてたジョジョの奇妙な冒険はルーブル美術館に飾られアートになりました。
だからアートなんて周りが認めればアートで、テイストや入り口経由なんて自由でいつのまにかアートになっちゃうのです。
ジョジョは週刊連載マンガという売れ線を考えながら毎週間に合うように描かないといけないものでおそらくですが、
芸術やアートとして描く余裕もないですし「だけどこれが私のアート(描き方)なんです」とやってきて美術館に飾られたのです。
機動戦士ガンダムもむちゃくちゃな宇宙SF論を放送中も作ってきましたし子供受けするようにあんなガンダムと言うカラフルなおもちゃロボットが生まれたのです。
でこれを大人達が盛り上がり勝手に未来永劫語り継がれるものだとしているので今でも有名です。子供受けのものを現在、これはアートなんですて言う人がどうせ大勢いるんでしょう。
つまり周りが持ち上げたらそれがアートの始まりで、それまでどんなに芸術やアートとして作っても持ち上げられなかったらアートじゃありません モネやゴッホも有名じゃなかったらアートじゃありません。生前と同じようにただの絵です
で蛭子能収もガロとかいうマンガで認められてましたが現在世間一般からすれば芸術家ではありませんよね? マンガ家自体、意外にそう見られないですし。
でアートってどのくらい新しいのか数値を付けると
計算式として「持ち上げられ度×その範囲度=アート度」になります。
蛭子能収とジョジョのアート度を計算すると
『ガロの賞を貰った×一部の好事家で知られてる』
『ルーブルに飾られた×みんな知ってる』でジョジョのアート度は最強です。
知られなきゃアートじゃない、現実はクリエイター登録サイトに登録してる我々に重くのしかかります・・・・・・。
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2010/05/27
写実的な作品の他に、抽象的と言った個性的な作品を作る時よく「ピカソみたいにしっかりした基礎画力を持ってから描きなさい」と言われますが
自分はそれはアプローチの仕方の一つだと思っています。
それがどんな作品を作るにも絶対根底として持っていなさいと言ってる風潮が結構強いですがそれはどうなのだろう?と思います。
そのピカソみたいに基礎画力を持ってから芸術を作りなさいと言うのはピカソと言う先代がいたからのもあると思いますが
芸術系学校や先生に師事した人の自分を肯定するための言い分でもあるんじゃないでしょうか?
障害者の方や幼児の方の絵にはその基礎画力を求めないのに健常者のままで大人になったからって(自分のためにあえてこう書きます。 また発表会などに発表する幼児や障害者の方の中には基礎画力を持っていない人もいるでしょう。)どうして必ずしも基礎画力を求める必要があるのでしょうか?
健常者の無名の方はネームバリューがないから基礎画力を求めるとしたら裏を返せばそれだけ物の見方に捉われてしまって本当の意味で絵を見れてないって事なんじゃないでしょうか?
ピカソがいたからって「基礎画力を持ってから作品を作りなさい」と言われたからってそう物を見なきゃいけない、物を作らなければいけないって誰が決めたのでしょうか? ピカソがそう言ったのでしょうか?
芸術って、それを解放するためのものだと思います。
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2010/05/28 10:02
はじめまして! この度はコメントありがとうございます。
僕は絵が下手だねと嘲笑する一般人には相手しないようにしたいなー。と思います
ただその一般人の周りが凄い絵だ!言ってたら自分(一般人の事です)もそう思わせなきゃいけないような能力は欲しいです。
2010/05/27 23:00
初めまして。
興味あるテーマなのでコメントさせてもらいます。
私はピカソが好きですけど、ピカソの写実的な絵は好きというほどではありません。
浮かんだイメージがリアルに伝わるように描く画力は持ちたいものですが、その表現がありきたりな、いわゆる「写実的」である必要はない、と考えます。
しかし、「絵が下手だね」と一般人に嘲笑われたら、さらさらと上手な絵を目の前で描いてみせて、ちょっと呟いてみたい気はします。
「こんな退屈な絵ならいくらでも描けるよ。退屈に対して鈍感ならね」
2010/05/24
絵だけに限らずものを作っている私達はカンパウェアを宣言すべきだと思います。
カンパウェアとは訪問者が作品を気に入ったらその制作者にお金を投資するシステムの事ですが、
訪問者側は気に入ったらお金を投資しようと言う意志と実行する行動力を持つべきで
制作者側には私達にはお金を受け取る権利があると言う意志を表示するべきです。
大きな話になるとその両方の意志が高まったら日本経済を救うきっかけになるかもしれないしとにかくお金を使わないことをして、人からお金を貰うと言う図式を作るべきです。
日本人は特に全体を覆うような未知の価値観には思わず拒否反応を示してしまいますが
作品を見てこれは良い!とコメントを貰うのも大事ですが、
社会に奉仕していないと言うジレンマを抱えるよりお金を貰いそして何かにか使うと言う事で社会につながっていけるんじゃないでしょうか?
また確かに見てくれる人とお金を支払う、貰うと言う関係を築きたくない人もいるでしょう。 それは勿論構わない事ですが訪問者側はただ作品を見ているだけ、製作者は作品の評価を待っているだけと言うのしかほとんど成り立ってない図式は変えていくべきでしょう。
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2010/05/23
普段は調べもしないけど絵を作るために調べると言うのがあると思うが
俺の場合はブラジャーだった。
裸若者薬草と言うここにアップしてる絵を描き直すために
下着をもうちょっと詳細に描かなきゃいけないなと思って
それで『ブラジャー ホック』って検索して
ある個人ページのをダウンロードしたが
自分自身がドン引きしてる。
ブラジャーの詳細が事細かに書かれていてそれを流し見しながら
絵のために想像を働かせるせるが
心は赤面状態である。
そしてブラジャーの詳細を思ったより知ってる俺がいたがそれは
家族の服をたまに畳んでいるからで服自体丁寧に畳むほうだから
その分ブラジャーをよく見る時間が増えるわけだから詳細を知っているわけである。
そんなこんなで引きながら集めたブラジャー資料。 家族がパソコンを見ないうちにと周りをきょろきょろ見回しながらした。 次のパンツ資料も集めなきゃいけないか?
まあ恥ずかしいと言う気持ちより純粋に面白いと言う気持ちが強いからやってるわけですが。
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2010/05/20
私は元々ある地球上の物の形に反したいです。
ですがそのどんなに足掻こうとしても元々ある地球上の物の形に似てしまったりします。
中学生の頃例えば異星人が出るアニメを見たりゲームをしていても、
その異星人はよく○○型と地球に生息する生物に例えられてしまっています。
作品自体はすごく面白いと思ってもそれがネックと言うか、
地球じゃない別の星の生き物なのになんで地球の他の形と似てしまうのか? 例えられてしまうのか?と思います。
そう言った自分自身の既存の形を打ち壊してくれたのが
新世紀エヴァンゲリオンでロボットや使徒のデザインにこんなのもありなんだーと大変衝撃を受けました。
(とは言えその新世紀エヴァンゲリオンも地球にある生き物や物の形に似てしまっているのですが。)
エヴァから受けた影響は悪い意味で計り知れなく
自分の絵の作風もエヴァンゲリオンに似てしまいそれに反せないか? そのエヴァを脱却できないか?と長い間ずっとやっています。
物の形と言うのは平面にしたものに限らず実際に見たものでも線で決まると思いますが
その線の可能性は無限大なのになんで似てしまうのでしょうか?、 正直出尽くしたとも思いたくないし
私は線の形含めて異世界・異次元・異空間を見せたいのです。 作りたいのです。
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2010/05/15
前回はパソコンイラストの問題点を書きましたが逆にどんな利点があるかと言うと紙に描くものよりも思い描いてた通りに作れる点にあると思います。
水彩で色を塗る時は塗る時既に塗った色と混じって色が混同してしまわないよう気を付けたり、
線の細さで言えば例えば鉛筆でずっと描くと言う人も線が太くなったら削ったりなど調整をしますが、
ほんの0.何mにもなるような細かい調整を、しかもずっとそれの維持が出来る人はそういないでしょう。
パソコンでイラストを描く場合、間違って色が混同してしまう事も基本ないし線の太さもずっと維持した状態で自由に選べるし、
そう言った点でも誰でも気軽に出来るくらいかなり敷居を低くしたと言う事が言えると思います。
またこのイラストの上に被せるイラストをちょっとスケスケにさせるとか歪んだ形にさせるとかいくらでも好き勝手に試しても元に戻せるのもデジタルイラストの利点ですが
本当はそれらも含め思い描いてた通りに作れるじゃなくて思い描いてた通りに作れる”はず”なんです。
上記のテクを得るのに自然と学んでいったとは言え私は長く時間がかかりましたが様々なテクをまず学んでから実際に絵を描く時に使うのが理想で、
作品を描きながらペイントソフトのこの機能を使って”好き勝手に試してみる”じゃ駄目なんです。
なぜかと言うと紙に描くイラストと言うのはどんなに気を付けても鉛筆で線を描いてたら線が太くなったり、
水彩で色を塗るなら後半に入っていくほど他の色と混同したりといった不具合が生じ、基本的にそれの不具合も絵の一部として描いていくしかないですが、
パソコンの場合なら不具合も発生しにくく、起こってもアンドゥ&リドゥなどでそれの修正がしやすいです。
私達はそれらを含めパソコンは簡単に絵が描けると思いがちになるでしょうが本当は思い描いてる通りに作れるに極論を追求できると言う視点を持つべきなんです。
殆どの方は試しにやってみたらこれが上手く行ったからこのままやっちゃおうと作ってしまい、思い描いてた通りに作れると言う利点を捨て去ってしまってるように思います。
思い描いてた通りに作り完成した世界に実験をしてみたら上手く成功したと言う概念のが入り込むのはありえません。
またイラストソフト自体が自分の思い通りに描ける事に極限にまで達してるとは思えません。
例えば形を歪ませるのも自分の思い描いた通りに形を歪ませることが出来るでしょうか? 出来たとしてもそう直感的に出来やすいでしょうか?
ペンタブ対応のソフトで線を描いてもその線はギザギザになりますよね? それをアンチエイリアスや手ぶれ補正をかけたりますがその線は自分の思い描いていた線になりますか?
パソコンで描くイラストは、紙とかに描くイラストよりも極論に極端に忠実に自分の本当の世界を体現すべきなんです。
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2010/05/14
紙に描いたのを画像としてパソコンに起こすと当然色が変わりますが再現できないかもしれない色から同時に誰もが取得できる色に変わってしまいます。
どんなに高いソフトでパソコン上で絵を描いても例えどんなにきれいな絵であってもそれを構成している一つ一つの色は16進数で簡単にフリーソフトで取得できます。
私はパソコンでずっと絵を描いてますが色にも気を使い色々なソフトを使って理想の色を探し出しますがどれも元々パソコンに存在している色を探しているだけなのです。
紙に描いたりとかするものと違って誰も見た事のない色を生み出す事ができません。
生み出すとしたらそれこそプログラムを一から学び、16進数を根底からひっくり返すくらいかなり複雑なコードを書かないといけないのかもしれませんが私も含めて多くの人がそう出来ませんのでパソコンで直に描いている人であればあるほど誰もが一度は、どんなに綺麗な色や色合いを生み出そうと思っても元々ある色を組み合わせてるだけだと言う葛藤に直面してしまうのではないでしょうか?
それでもパソコン絵だと軽く取られない。 そんな芸術を私は作りたいです
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2010/05/09
イラスト製作でたった1pixelのような違いに気にする自分がいる。
この1Pixel(×斜め数pixel)削れば腕から振るう刀の勢いを見せる事ができる
だがキャラクターの一部としての腕がしょぼく見える。
その中間を取って1Pixelを盛っても今度はその盛り方に苦労する。
アートじゃなくイラストを描く時はその背景色やイラスト自体の画像サイズと言った見せ方も気をつけなければいけないと思うがそこには1Pixelの調整をどうしようか?と言う苦労も出てくる。
1Pixel削ったところで刀を振ってるのがより映えて見えるかは
人から見たらまた時間を取って自分が見たって感じえないかもしれない。
だがそこまでするのは演出を際立たせて存在感を見せるためと、
ここまでしないと自分の絵を虜になってくれる人の数が減るかもしれないという危機感が
あるのからだ
勿論純粋に作品の出来を追求したいともあるかもしれないが、
この一度完成させてアップした作品をまた描き直し、また描き直すと言う
終わらない1Pixelのレースに理由を付けれるのはこれしかないのだ
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