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2008/05/17
ポチの墓を作ったと父が言ったので、実家に寄ったついでに見てきた。
庭の隅っこの、木の葉が光と影のまだら模様を作っている地面の上に、四角くカットされた御影石のプレートが二つ並んでいて、左の石に「ネロ 1998−2007.7.16」、右の石に「ポチ 2002(入居)−2008.5.3」と父の字で記されていた。
その、真新しいポチの墓石の上に土が乗っていて、「ポチ」のポの字が見えにくくなっていたので、もしや、と思ったら、果たして墓石の向こうにそれがあった。ぷーんと臭ってきて、父が「ちゃぷりのやつだな…」と苦笑した。
土を被せたばかりの地面がまだ柔らかかったので、ちょうどいいやとやってしまったのだろうが、ちゃぷりといえば、ポチが家に来たおかげで初めて友達ができ、よく一緒に日向ぼっこをしたり、寒い日にはひとつの箱の中で二匹丸くなって眠ったりしていた仲である。
まったく猫ってやつは。なんだかおかしな墓参りであった。
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2008/05/16
猫は抜け毛の季節ですね。
みゆちゃんが擦り寄ってくるので、ちょっと強くごしごし撫でたら、もうそこらじゅう毛だらけで、背中を撫でたときに終点となる尻尾の付け根あたりには抜けた毛がかたまってくっついているし、黒いズボンも紺色のパーカーももうめちゃくちゃです。
ブラシをかけるのですが、おっつかなくて、とくに西日が差していたりすると、部屋の中に白い毛がいっぱいふわふわと飛んでいるのが見えます。
ブラッシングをしてあげるとみゆちゃんはとても御機嫌なのですが、かけた方は、その後、目、口、鼻などがかゆくなって、今度は自分の顔をごしごし撫でる羽目になります。
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2008/05/14
この一週間ほどのあいだに、アゲハチョウが三度庭に訪れた。どれも同じ蝶かどうかはわからないけれど、卵を産みつける葉を探しているようである。
アゲハチョウは前肢に味を感じることが出来る細胞があって、その肢で葉を叩くことによって味見をし、わが子である幼虫が食べるのに適した植物かどうかを判断してから卵を産む。庭に舞い降りたアゲハチョウも、順に、山茶花、トネリコ、百日紅の青い若葉に前肢で触れていったけれど、どれも幼虫の食草に適さないから、ふたたび舞い上がって塀の向こうへ飛んで行ってしまった。
近くに、卵を産める木がないのかなあと思う。去年は庭に、小さな山椒の木の鉢植えがあったのだが、青虫が葉を食べ尽くしてしまったあと、水遣りを怠ったために枯れてしまって、今年はもうない。蝶が二度目にやって来たあと気の毒になって、また幼虫の成長を息子に見せたくもあるから、小さな山椒の木でもあれば買おうと思って園芸店へ行ってみたけれど、季節柄か、もう置いてないということだった。
それなりの値段がついた柑橘類の苗木をわざわざ買うのもなんだしと思って、いったんはあきらめたのだが、昨日三度目にアゲハが来たのを見て、やっぱり何かみかんの木でも用意してあげた方がいいかしら、などと考えている。
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2008/05/11
先週、志摩へ行って一泊した。旅行は楽しいが、やはり気がかりなのは留守番のみゆちゃんである。一緒に行けたらいいのだけれど、おそらくみゆちゃんにとってストレスが多いだろうから、寂しいが家に置いていくことにしている。
留守中、伸びた爪が引っかかって身動き取れなくなってしまってはいけないから爪を切っておいたり、万一バケツがひっくり返って飲み水がなくなってしまってはいけないから予備の水を用意したり、不要なコンセントは抜いておいたりと、出かける前にできるだけの準備はするのだけれど、やはり心配である。
こんなとき、みゆちゃんと電話できたらなあ、と馬鹿げた空想をする。夜、宿泊先のホテルからみゆちゃんに電話をして、電話口からニャアという声を聞くことが出来たら、ずいぶん安心できる。
夕方に帰宅すると、車の音を聞きつけて、みゆちゃんが玄関の戸の後ろでにゃあにゃあと鳴いて待っていた。部屋の、もちろんまたじゅうたんの上に吐いたあとがあって、まだ乾いていなかった。二泊するときには、猫おやじである父に、真ん中の日にみゆちゃんの様子を見に来てくれるように頼むのだけれど、一泊ではそれもしないから、そろそろじいやが来てくれる時間にゃ〜、と思ったのに父が来ないから、不安になって吐いたのかも知れない。
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2008/05/10
そのタマであるが、自分でドアが開けられない。
実家では、どの部屋のドアも猫が自由に開けられるように、猫おやじである父の工作で、一方からは押せば開き、反対側からは、猫の背の高さに取り付けられた猫用取っ手を引っ張れば開くようになっていて、しかもバネがついているから自動的に閉まるようになっている。ちゃめもデビンちゃんもちゃぷりも、この仕組みを使いこなしている。とくにちゃめのドアの開け方は妙技といってよく、取っ手をちょいと引っ張って自分が通り抜けられるぎりぎりの幅だけ開けて通っていく。バネの力で閉じかけたドアの隙間を、ちゃめの尻尾の最後がするりと抜けていく様を見ると、いつも感心してしまう。
ところがタマは、この猫仕様のドアを開けることが出来ない。引くのはもちろん、押す方は割合に簡単だと思うのだけれど、もともとがやる気のない猫だから、学習する気も起こらないのかちっとも覚えない。
もっとも、ドアを開けるのはポチも出来なかった。まだ寒かった頃、居間から台所へ通じるドアを開けたら、台所にいたポチとタマがドアの前に並んで座っていたことがある。暖かい居間に行きたいのにドアを開けることができないから、誰かが開けてくれるのを待っていたのである。大の男二匹が困って、並んで座っている姿はなんだか可笑しかった。
そのタマに、父と母が、ドアの開け方を教えようと試みた。ドアのこちら側で父がタマの好きな竹輪をちらつかせ、向こう側で母がタマにドアを押して開けさせようとしたのだけれど、ちっとも埒があかない。しまいに、ドアの隙間から手を伸ばして竹輪を引っ掛けようとしたタマの爪に、父が指を引っかかれて、タマの特訓は終わりになった。
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2008/05/08
実家のタマは、目元も涼しく、猫としてはなかなか男前の部類だと思うのだけれど、性格はというとこれがてんで覇気がなくて、もともと外猫だったくせに、今ではほとんど一日中、家の中でごろごろしている。
遊ぶことにも興味がなくて不活発な猫なのだけど、ただひとつ、食い意地だけはすごい。普段はしょぼしょぼしているタマが、珍しく駆け足でやってきたと思ったら、母が食べ物の袋を開けるかさかさいう音を聞きつけて馳せてきたのであった。タマが活発に動くのはこのときだけである。
そうやって台所へやってきたタマに、少しは遊びなさいと、父が紐の先についたネズミのおもちゃを持ってきて、タマの前で動かした。すると、珍しくタマがすばやい動きでネズミを捕らえたので、見ているみんなが感心して、偉い偉いと父がほめたのだけれど、ちょっと口にくわえたら、興味を失ったのか、それとも食べるのもじゃないやと思ったのか、もういらないと放り出して、あっちへ行ってしまった。
普段不活発な猫は、ちょっと遊んだだけでほめられるから、いいですね、タマちゃん。
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2008/05/07
どこかから、太鼓や笛の音が聞こえていると思ったら、それがどんどん近くなって、とうとう家のすぐ表から聞こえ出した。窓から外を見ると、どこかの神社の小さなお祭らしい。維新志士の装いをした子供たちが、それぞれ手に笛や太鼓や、維新隊の鉄砲を携えて、足並みそろえるように、家の前をゆっくりと歩いていく。こんな小さな路地まで通るのかと思って見ていると、今度は、菖蒲の花を手に持った小さなお稚児さんたちが、お母さんに付き添われながら通っていった。
みゆちゃんが横にやって来て、窓の下のゴミ箱の蓋によじ登り、窓の桟に手をかけて、同じようにお祭の行列を見物し始めた。
猫にとっても物珍しいものであるようである。飾りのついた小さな山車に続いて、狭い路地には不似合いなほど背の高い馬が来たので、みゆちゃん、おんまさんだよと言ったのだが、そのとたん、みゆちゃんはゴミ箱から飛び降りて、あっちを向いて前足なんかをぺろぺろやっている。どうやら、おんまさんが怖かったらしい。
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2008/05/05
急に暑くなって、家のいろいろなところの窓を開け放つようになったから、みゆちゃんは昼寝もそこそこに、外界の観察に余念がない。夜になると、窓から涼やかな風が青草の匂いを運びこんで、初夏のような趣がある。
昨日は、今年初めての蚊を見た。まだ大丈夫とたかをくくって、庭側の窓を網戸をつけずに開けていたから、そこから入ってきたのだろう。このあいだ、めだかの鉢の水面に大きく育ったぼうふらが浮いていたから、それが羽化したのかもしれない。ぼうふらが小さいうちに、なぜめだかが食べてしまわなかったのか、不思議である。あんまり餌をやりすぎるとそれでお腹がいっぱいになってしまって、わざわざぼうふらを追いかけて食べるのが馬鹿らしくなるのかもしれない。
昔ちょっとかじったイタリア語では、蚊のことをzanzara(ザンザーラ)というらしい。いかにも、蚊の唸るような羽音が聞こえてきそうな感じがするけれど、それでは日本語の「蚊」は何に由来するかといえば、諸説があって、うるさいという意味の「かしましい」から来たとか、飛ぶ音が「かー」と聞こえたからだとか、「噛む」の「か」だとか、はっきりしないようである。
ただ、「蚊」という漢字が虫偏に文と書くのは、「ぶーん」という羽音から来ているという。本当か嘘かは知らないけれど、そういう漢字は他にもあって、猫は「みゃおう」と鳴くから獣偏に「苗」、からすは「がー」と鳴くから鳥に「牙」、鳩は「きゅう」と鳴くから「九」だというから、面白い。
それはさておき、うちの庭には毎年大量の蚊が出るから、夏に向けて、そろそろ覚悟を決めておかなければならない。
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2008/05/05
近ごろ、眠い日が続いている。春眠暁を覚えず、もともと暁を見るような時間に起床したためしはないけれど、このあいだは目覚ましが鳴ったのもまったく覚えがなくて、朝寝坊してしまった。
とくにお天気の悪い日が眠いのは猫も人も同じなようである。午後は子供の昼寝の時間に一緒に横になって寝かしつけるのだが、親と子、どちらが寝かしつけられているのだか、気がつけばうつらうつらやっていて、布団の真ん中に入ってきたみゆちゃんも一緒に、三人仲良く寝てしまうことがある。それはそれで心地よいことこの上ないのだけれど、子供が寝ているあいだに片付けようと思っていることが、ちっとも片付かない。
もっとも、眠くなるのは春のせいだけではなくて、もともと季節に関係なく、私には覚醒期と睡眠期が交互に訪れるようである。長い覚醒期のあとにささやかな睡眠の期間が来るのであったらいいのだが、これが逆なので、はなはだ効率が悪い。ただでさえ長い睡眠期が、春の陽気でますます長引いているようである。
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2008/05/02
家の小さな庭に面する窓を開けると、そのすぐ下に金魚の鉢とめだかの鉢があって、二匹の金魚はいつもえさをねだって口をぱくぱく水面に出すのだけれど、冬のあいだ、めだかの鉢は緑色に濁った水がただ静まっているだけで、めだかの姿はちっとも見えなかった。
三代続いた家のめだかもついに絶えてしまったのかしらと思っていたのだが、水がぬるくなる頃、水面近くに一匹、ぽっかりと浮かんでいるのが見えるようになった。去年の夏に親めだかが産んだ卵を分けたために、めだかの鉢は二つあるのだが、そのもう片方の鉢にも、やがて大小5匹のめだかが水面に現れるようになった。
寒い時期には、めだかは水の底でじっとしているものらしい。それがようやく水面近くに浮いてきたのだけれど、めだかというのは、去年もそうだったか覚えていないが、妙にすました魚で、食いしん坊な金魚たちがせわしなくぱくぱくしながら泳ぎ回っているすぐとなりで、何を考えているのだか、落ち着き払って水に漂っている。餌をやってもあまり動かない。その対比が何となくおかしいから、毎朝魚に餌をやるのは面白い。
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