岡田千夏

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京都府京都市

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  • 医療冊子のイラストを担当

    2008/06/27

    活動記録

    先月、医療フォーラムで使われた冊子のイラストを担当いたしました。
    猫イラストの医療冊子というのは、珍しいのではないかと思いますので、ぜひご覧ください〜♪

    http://www.shiki-hp.net/image/topics-026.pdf

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  • 猫の便秘

     みゆちゃんは、いつも夜中にうんちをするらしく、毎朝、起きたら猫砂の上に何個か転がっている。
     それが、昨日の朝はひとつも出ていなくて、思い返せばその前の日もいつもより少なめであったから、便秘かしらと心配して、お腹をマッサージしたり、具合が悪そうな様子はないか気をつけて見たりしていたのだけれど、今朝、いつも通りの便が出ていたので、ほっとした。
     子猫のときに大怪我をして家にやってきたみゆちゃんは、腰や足の粉砕骨折が、みゆちゃんの持つ自然の治癒力で奇跡的に固まりかけて、ようやく少しずつ歩けるようになった頃、便秘に悩まされていた。
     獣医の友達に聞いてみたところ、犬に比べて骨格が華奢で骨盤も狭い猫はもともと便秘になりやすくて、交通事故の怪我や肥満がもとで便秘になる猫は割といるということだった。
     獣医で便秘薬を出してもらうことも出来るそうだが、とりあえずネットで便秘対策の方法をいろいろ調べて、お腹をマッサージしたり、キャットフードは水分の多い缶詰をメインにしてそれにサラダ油を混ぜたり、にんじんやさつまいもを茹でたのをすりつぶして混ぜたりした。
     一時は、命を取り留めたとしても車椅子かもしれないとまで獣医に言われていたのが、自分で歩けるまでに回復したのだから、それに比べれば便秘くらい、と思ったけれど、猫トイレにしゃがんで、うんちが出なくてつらそうにしているみゆちゃんを見ると、これからずっと便秘に悩まされていくのかと思ったら、可哀相だった。
     食事療法やマッサージくらいではなかなか出そうにもないので、思い切って浣腸をしてみたら、効いた。しかも、それっきり便秘が解消されて、そのあとは順調に出るようになった。
     はじめのころ、みゆちゃんのうんちは、両側から押されたようなへこんだ形になっていて、事故の骨折のために骨盤が変形してしまって多少なりともうんちが出にくくなっているのだと思っていたのだが、いつのまにか、みゆちゃんのお腹の中でどんな変化が起こったのかわからないけど、自然な形で出るようになった。
     それでいまは、これといった苦労なく出ているのだけれど、年を重ねていくにつれて、骨盤の形が変わったりしてまた便秘にならないともわからない。とくに毎日の排泄や体の調子をチェックして、気にかけてあげないといけない。

    —余談であるが、猫が自分の排泄物の上に砂をかけるのは、天敵から身を守るために自分の痕跡を隠す野性時代の本能であるらしいが、みゆちゃんはうんちに砂をかけない。猫が排泄物に砂をかけないのは、環境が平和すぎて自分の痕跡を隠す必要がない場合か、あるいは、自分が一番偉いから痕跡を隠す必要がない場合であるというふうに猫の本には書いてあったけど、みゆちゃんは、いったいどう考えているのだろう。

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  • 『ねこ新聞』ノススメ

     郵便受けに、A4くらいの大きさの薄っぺらな郵便物が入っていて、私宛なので何かと思って手にとって見たら、「ねこ新聞」とあった。
     いろいろ猫と関係のある生活を送っているけれど、「ねこ新聞」が届くのは見に覚えがないと思いながらよく見ると、宛名の横に小さく「贈呈」と書かれているので、なお怪訝に思いながら開けてみると、猫の新聞といっしょに出てきた淡いオレンジ色の小さな紙片に、次のようにあった。

     この度は○○様よりあなた様に月刊『ねこ新聞』6月号から一年間ご贈呈のお申し込みをいただきましたのでお送り申し上げます。
     “猫のご縁”を感謝申し上げます。
                         有限会社猫新聞社『ねこ新聞』

     手書きされた「○○」というのは父の名前で、どうやら、父が私のためにねこ新聞をとってくれたようであった。
     おもしろい新聞である。“猫のご縁”という言葉も気に入ったし、「ねこ新聞」という名前自体がいい。そのねこ新聞が提唱するのは、「富国強猫」。猫がのんびり平和に暮らせる国こそ、真に豊かな国であるという意味らしい。
     紙面は、著名人によるエッセイや、猫の絵画やイラストなどで構成されていて、巷にあふれている猫雑誌とは趣がひと味もふた味も違う。
     タブロイド版8ページで380円というのは少し高いようだけれど、経営が苦しいながらも「経済本位でなくアート優先主義」という建前から広告なしを貫徹しているそうである。
     来月号が届くのが楽しみである。

    (新聞が入っていた郵便の袋の、「料金別納郵便」の枠の中にも猫の手が描いてあるのが心憎いし、電話番号は、03-5742-2828コンナヨニ・ニャーニャーである。)

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    • 岡田千夏

      2008/06/24 15:06

      喜連川運彩さん、こんにちは。書店で見る猫雑誌とはまた違った感じで、紙面は地味なんですけれど、独特の味がありますよ。
      お隣の国の人の意見から、自分の国のことがわかるものなんですねぇ。もっともっと猫が平和に暮らせる国だったら、きっと凶悪事件なんか起きないでしょうね。

    • 面白い新聞があるんですね。「ねこ新聞」興味津々です。
      そういえば、韓国の人が、「日本の猫は人が来ても逃げないのはどうして?」と不思議がっていました。猫好きの友人が「日本人は、よその猫でも可愛がるから・・・。」と答えていました。日本は、自分達が思っている以上に、きっと平和な国なんですね。

  • 帰り道

     日が落ちて、だいぶ暗くなった郵便ポストの前で、女の人がうずくまるようにこちらに背を向けてしゃがんでいたから、気分でも悪いのかしらと思って横を通るときにそっとそちらを見てみたら、そうではなくて、縞々の猫を抱き上げているのであった。
     もうだいぶ暗いのでよくわからなかったけれど、子猫のようにも見えた。彼女の飼い猫ではなさそうだし、そうすると、捨て猫かしらと思ったが、よく馴れているようだから近所の猫かもしれなかった。

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  • 視線力

     よく、みゆちゃんや実家の猫たちが、昼寝をしたりぼうっとしているところを狙ってスケッチするのだが、あるとき、部屋の中からベランダで寝そべって目をつぶっているちゃめが見えたので、ペンを取り出してスケッチをはじめた。
     相手が眠っていると思っていたから、細かいところなどじっとよく見て描いていたら、突然ちゃめが目を開いて、迷わずまっすぐこっちを見据えたから、なんだか部屋の中からこっそり描いているのを「知っているぞ」と言われたようで、ばつの悪い感じがした。
     ちゃめのいる場所から私が座っている椅子までは6メートルか7メートルくらいあって、そのあいだに開いた窓と、広い机があって、部屋の中から明るい外のちゃめを見るより、外から暗い部屋の中の奥まったところにいる私を見るほうがずっとわかりにくいはずなのだけれど、動物的な勘の鋭さか、私の注視する視線をはっきりと感じたのだろうと思う。
     以前、京阪電車に乗っているとき、私の座る何メートルか先の座席に、仕事に疲れたようなサラリーマンらしい男の人が、鞄を膝に抱えてぼんやり座っていたから、特急の二人掛けシートの背もたれの陰から、ちら、ちらと見てスケッチしていたら、あれほど呆然としていたのにもかかわらず、やはりベランダのちゃめみたいに、突然こっちを振り向いたのでひやっとした。野性をほとんど失っているかに見える人類も、他から見られる視線というものには意外と敏感であるのだなあと、そのとき思った。

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  • 切られた木の回想

     朝、洗濯物を干しに庭に出たら、塀の向こうの裏のお宅から、鋸を引く音が聞こえてきたので、見るともなしに音の方へ顔を向けたら、昨日まであったはずの裏の家の木がなかった。裏の家の人が、切り倒した木を鋸で切っている音らしかった。
     なくなった木は、名前は知らないけれど、木の肌が網目模様のようなざらさらした感じで、枝はあまり張り出しておらず、高い塀を越えた木の上のほうに、縦長の黄緑色の葉が、房のようにさらさらと下がってついていた。冬のあいだ、庭に来たメジロが、みかんを食べ終わったあと羽を休めるのがこの木だった。
     おととしの夏に、裏の家の人が頭にタオル、ゴーグルとマスクという姿で木に登って、毛虫を駆除する薬を霧状にして撒いていたから、そういうことが木を切った理由かもしれない。
     木がなくなったところはすかすかしていて、明るい空と、今まで見えなかった向こうの方の家の屋根が見えた。木がなくなって、今までも見えていたはずの隣の家の物干し台ばかりが目立って見えるようになった。
     それぞれ木を切るやむを得ない事情があるのだろうが、やっぱり大きな木が切られるのは、残念な気がする。

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  • 猫心って…

     私が外出から帰ってくるか、みゆちゃんが庭で遊んでいるのをやめて戻ってくるかすると、みゆちゃんは、つとつとつとと、私のそばを何気なく通り過ぎるかのように歩いて、そこでいきなり、ごろんと横に伸びるようにお腹を出して寝転がる。
     ただ寝そべってじっとしているだけで、こっちを見ることもないが、媚びることが嫌いな猫の甘えの表現だと思って、こちらの用事を中断してでも、白いお腹をせっせと撫でてやると、ちょっと目を細めたりしている。
     そこで、やっぱり嬉しいのだと思って、さらに交流を深めようと、みゆちゃんと向かい合うように私もごろんと横になった途端、頭をむっともたげて、まるで興ざめしたような顔をして立ち上がると、鬱陶しそうに尻尾を振ってさっさと向こうへ行ってしまった。
     猫心って、やっぱり、ムズカシイ。

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  • ちゃめの変心

     ちゃめとはしょっちゅう顔を合わせているのに、なぜかなかなかなついてくれない。鼻のまわりとか首の横をちょっと撫でるくらいなら触らせてくれるけれど、頭や背中を撫でようとすると、ひょいと私の手を避けるように姿勢を下げて向こうへ行ってしまう。もともと、あまり触られることが好きな猫ではないみたいだが、一番お気に入りの父には、顔や頭をこすりつけたり、背中を丸く山型にして撫でられたり、非常に馴れ馴れしいから面白くない。もしかしたら私には、大嫌いなみゆちゃんのにおいがついているのかもしれないなどと思う。
     それがある時、一階の屋根の上で寝そべっているのをベランダから呼んでみたら、にゃあ、と返事をして立ち上がると、こっちへ歩いてきた。呼んで来るということ自体が珍しいことで、何となく今日は触れそうだと思っていたら、案の定、私に寄って来てくれて、あごの下を撫でるとうれしそうに目を細めて首を前に伸ばし、頭を手に預けた。おそるおそる背中を撫でてみると、やっぱり逃げないで、ベランダの手すりの上で腹ばいになって、ごろごろと喉を鳴らしている。ようやく、私がちゃめびいきの父の血縁者だとわかったのかしら、などと思い、気を良くして、さらに機嫌をとっておこうと、飾り棚に仕舞ってある竿の先にネズミのついたおもちゃを取り出して来て、遊んであげた。(ちゃめは、このネズミのおもちゃが飾り棚の、ガラス戸のついた二段目の棚に入っていることを知っていて、よく取っ手に足をかけて立ち上がり、中を覗き込んでは、振り返って母の顔を見て、「遊んでほしい」とにゃーと鳴く。)
     ようやくちゃめと仲良くなれたと思っていたのだが、それが次に会ったときには、半ば予想してはいたけれど、やっぱり前と同じ、撫でようと思ってもそっけない態度である。猫心って、わからない。

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  • 今度は鯛カマ!

     みゆちゃんお待ちかねの乾しカマを買ってきた。しかも、今度のは「鯛カマ」である(といっても、「乾しカマ」より安かった)。
     さっそく、庭で遊んでいるみゆちゃんに袋を見せて呼んでみたら、パッケージを見ただけでわかるのだろうか、こっちをまっすぐに見据えて小走りに走って来た。近ごろでは、ちょっと家の中に戻ってほしいときなど、煮干をちらつかせたくらいでは、外で遊ぶことの魅力の方が大きくて、全然釣られないのだけれど、やはり乾しカマの効き目は違うようである。
     自分があげたいと申し出た息子が、鯛カマを窓枠に近すぎる場所に落としてしまったから、みゆちゃんは体のうしろ半分を窓の外に残したまま、待ちきれずにもう食べている。窓を開けたままだと蚊が入るから、みゆちゃん、部屋の中に入りなさいと言ってみても、顔を上げる余裕がない。
     開封後の鯛カマは要冷蔵である。したがって、また冷蔵庫を開けるたびに、みゆちゃんが期待して、首を突っ込んでくる。

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  • 雑草抜き

     不精な性格のために、狭い庭の雑草が伸びるがままに今まで放っておいたのだけれど、雨季の活力を得てもっと伸び放題になってしまうと困るし、蚊の温床にもなりそうだし、だいたい、物干し竿にいたる通路が、私が毎朝通って足跡をつけるよりも青草の成長の方がずっと早く、すでに歩ける限界まで繁っているから、思い切って草を抜くことにした。
     小鳥の仕業だろうが、庭には毎年種類の違った草が生えて、今年は蛇いちごが大豊作である。春頃、黄色い花をつけていたのが、いまはまん丸な赤い実がたくさんなっている。
     なぜ「蛇いちご」などという名前がついたのか、蛇が食べると思われたからとか、蛇いちごを食べに来る小動物を食べに蛇が寄ってくるからだとか、あまりに不味いから蛇くらいしか食べないという意味だとか、地面を這う蔓が蛇みたいだからだとか、いろいろ諸説があるらしいけれど、名前でずいぶん損をしている草だなあと思う。
     小学生の頃、裏山のふもとに続く道ばたにたくさんなっていたのを、友達と二人で一生懸命集めたのだけれど、そこへ迎えにやってきた母に「それは蛇いちごよ」教えられ、全部捨ててしまった。母は特に蛇が嫌いだから、その嫌悪感が、「蛇いちご」の名前といっしょに植えつけられて、今でも蛇いちごを見るとあんまりいい気がしないのだが、そういう先入観をなくして見れば、蛇いちごはかわいい野草だと思う。
     とはいえ長年持ち続けた先入観はそう簡単になくせないし、通路一面に繁っているので、どんどん引っ張って抜いた。
     私が引っ張る草の根っこのあたりの地面では、ダンゴムシが何匹もあたふたとうろたえていて、次々と名前の由来のとおり、団子のように丸くなった。私に対して団子になっても意味がなくて、むしろ短い足でも頑張って逃げた方がまだ有意義だろうに、次々と丸くなって転がるのが可笑しかったけれど、習性なのだから仕方がない。実際には私を敵と認識しているのではなくて、根っこが揺れたりすることによる刺激のために丸くなるのだろう。
     蛇いちごのほかには、葉っぱが丸っこくて、花も実もついていない草が、銀木犀の切り株から塀にかけて、まるで小山のようにこんもり繁っていて、それもほとんど抜いた。
     翌朝、洗濯物を干しに庭に出たとき、すっきりとしているのがどこかしら違和感があるようでもあったけど、自分もやれば出来るという満足感を得た。

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    • 岡田千夏

      2008/06/11 21:02

      えっ、コンクリート食べちゃうのですか!!あんな小さいのに、すごい口してるんですねぇ。知りませんでした…

    • なるほど、草取り大変でしたね。家にも、だんご虫たくさんいます。コンクリートとかも食べちゃうんですよね。

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