岡田千夏

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京都府京都市

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  • お弁当の思い出

     家族でどこかへ出かけるときに、たまにだけれどお弁当を作る。市販のお弁当だと高カロリーなものが多いし、入っている野菜の量も少ないが、手作りだと野菜たっぷりのヘルシーなものができるうえに安上がりだし、お愛想でも家族に喜ばれる。
     いいことばかりだけど、お弁当を作ることになれていない自分にとっては、これがなかなか一仕事である。時間は掛かるし、入れるおかずのアイデアもあまりない。
     今になって思い返すと、中学、高校と毎日お弁当を作ってくれた母は大変だったろうと思う。いまさらのように、ありがたいと思う。
     一番印象に残っているお弁当は入学試験の日に作ってくれたお弁当で、包みを開けると、お弁当箱の上に二つに折った紙片が乗っていて、母からの短い励ましの手紙であった。胸がいっぱいになるような気がしたけれど、隣にいる友人に見られるのが恥ずかしいので、こっそりのぞき見るように読んで、そっとお弁当袋の底に仕舞った。
     そのときのお弁当の中身は忘れてしまったけれど、メモ書きを読んだときの気持ちは今も覚えている。

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  • 秋野不矩展

     秋野不矩展を見てきた。
     今回京都国立近代美術館にこの生誕100周年を記念した回顧展が来るまで、私はこの女性日本画家のことをまったく知らなくて、リーフレットに載っている絵を見たときにはたいして惹かれることもなかったのだけれど、実際展覧会に行って見ると、実物は全然違った。リーフレットの小さな写真では、不矩の絵の、太陽を浴びた大地のような暖かさや、はるかに吹く風のような魅力はちっとも表現されていなかったのである。
     54歳のときに、インドのタゴール国際大学へ客員教授として赴任したことをきっかけに、不矩はインドに傾倒し、インドを描き続けた。今回の回顧展でもインドを描いた作品が多い。彼女のインドの絵は、彼の地の乾燥した大地を表すような、赤茶色や黄土色を基調としたものが多いのだけれど、その中で、突然、吸い込まれるような青い空が無限に広がっていたり、大胆な黒い色が深い陰影を印象づけたりする。特に、ガンジス川やインドの空、何気ない土壁の民家や、信仰深いインドの人々が大地に描いた宗教絵の文様などは、「インドの人々がはだしで土を踏むような気持ちで絵を描こう」という不矩の姿勢が、殊更感じられるような気がした。
     猫の絵も二枚あった。どちらも二匹の猫と花を描いたもので、大きな花の前で仲良く身を横たえる黒猫とサビ猫、もう片方は、寄り添って歩く黒猫とサビ猫。不矩の飼っていた猫なのだろうか。その二枚の絵葉書を買って帰った。

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  • パズルの誘惑

     息子がいま凝っているのがパズルで、20ピースとか30ピースくらいの幼児用のパズルを、ときどき猫に邪魔されながら、毎日組み立てて遊んでいる。
     母の話によると、私も同じくらいの頃にはやっぱりそういうパズルをしていたらしいけれど、もちろん、その頃の記憶はない。
     よく覚えているのは、小学生の頃に数日かかって組み立てた500ピースのパズルで、500ピースというのはそのときの自分にとってチャレンジングな数字だったから、それなりの気負いがあった。潔癖なところのある子供で、自分でやり遂げるといったら、1ピースさえ他の人の手でなされるのが嫌であった。そのくせ、内弁慶で家の者には絶対に手を出してくれるなと言っていたけれど、本来あまり気は強くないから、家に遊びに来た友達が、興味本位で一つ二つのピースを仕上げていくのを制止することは出来ないのである。彼女らが帰ってしまってから、友達が組み立てたあたり周辺をもう一度壊してばらばらにして、他のピースと混ぜてから、組み立てなおした。
     絵柄はその頃好きだった、ディズニー映画「わんわん物語」の一場面で、絵本で何度も見た絵だけれど、拡大されたパズルで見ると、夜の街路を照らす街灯の黄色い光は、絵の具を散らしたような細かい点々で表されていたりするのが新鮮であった。
     余談であるが、日本では、完成したジグソーパズルを額などに入れて飾る人が多いらしいけれど、ジグソーパズル発祥の地といわれるイギリスをはじめ欧米では、繰り返し組み立てて遊ぶのが一般的であるらしい。どちらかというと私は欧米派で、一度組み立ててしまったパズルで再び遊ぶことはなかったけれど、のりを塗ってピースを固めて遊べなくしてしまうというのは、なんとも解せないような気がした。
     パズル売り場で子供用のパズルを選んでいるときなど、ふと、隣に陳列された難解なパズルに挑戦してみたいような誘惑に駆られることがあるけれど、やりはじめたら、おそらくいろんなことがそっちのけになってしまうだろうから、手を出さないようにしている。

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  • メジロの挨拶

     庭のほうから、きれいな鳥のさえずりが聞こえてきたので、小鳥を驚かさないようそうっと見に行ってみたが、ちょうど飛び立ったところで、木の梢を横切った鳥の影しか見えなかった。
     庭の木にみかんを置いておくのをやめてしばらく経った頃、庭に出たら、ちょうど頭の真上の木の枝に、メジロが止まっていた。あっと思って見上げると、メジロは枝の先から庭を囲っている塀の上へぱっと飛び移り、こちらへ向きを変えると、そこから、白い縁取りをしたひょうきんな目で、じっと私の顔を見下ろした。
     あまりこちらを見つめるので、何かを訴えているのではないかしらというような気になって、そうか、最近みかんがないけれど、もっと欲しいのだという意味かもしれないと愚考した。
     さっそくまたみかんを木に刺しておいたら、果たして、メジロがつがいでやってきた。やっぱりみかんが欲しかったのだと一人納得していたのだけれど、飛んできたのはその一度だけで、もう姿を現すことはなかった。自分が訴えたことを私が取り違えてしまったので、メジロが気を使って夫婦で一度だけ来てくれたのかも知れなかった。
     それ以来、もうメジロもヒヨドリも来ない。だれも食べてくれる鳥がいないから、かごの中に残った最後のひとつのみかんは、すっかり干からびてしまった。

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  • 猫の喫茶店

     昔勤めていた職場の近くに、猫のいる喫茶店があった。レジカウンターの台の上の、浅いかごの中に二匹のアメリカンショートヘアーが団子のようになって眠っていて、時折、しなやかに床の上に降り立って背中を丸めて伸びをし、猫好きな客に頭をなでられたりしていたが、ランチがたいして美味しくなかったのと、猫もマスターも愛想が悪かったから、私は一度行ったきりで、行くのをやめてしまった。
     そこは普通の喫茶店にただ猫がいるというものだったが、最近は「猫カフェ」というお金を払って猫と遊ぶスペースが流行っているらしい。
     猫ブームで「にわか猫好き」になった人たちが、猫カフェで猫と遊んで本当の猫好きになってくれたら大いに結構であるが、いったい猫カフェにはどんな猫がいるのだろうと思って何軒かホームページを覗いてみたら、予想していなくはなかったけれど、やはり血統書のついていそうな猫ばっかりでがっかりした。動物愛護センターやアニマルシェルターから引き取った猫を置いてくれていたら、それで何匹かの命が救われたのに、と思う。
     経営者の立場からすれば、アメリカンカールとかブリティッシュなんとかとか、そういう珍しいような、高い猫でないと客が集まらないということなのかもしれないが、「針金犬」とか「崖っぷち犬」とかに全国から里親希望者が来るくらいだから、「シェルターから来た不幸な猫にあなたの愛情を」というような文句で宣伝したら、それなりにお客は来るのじゃないかしら思うのだけど、どうだろう。少なくとも、猫の魅力という点で、シェルターの猫が血統書猫に劣ることはないと、私は断言できるのだが。

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  • 猫の面目

     外でカラスの鳴き声がしたので窓の外を見たら、家の前に出してある収集前のごみ袋が少し突付かれた。しばらくしてまた来たから、窓のこっち側でちょっと手を動かすと、驚いて飛んでいった。まったくカラスは周りをよく見ている。
     そういえばみゆちゃんはどこかしらと思って探すと、先ほどからずっと玄関の土間に座って、扉についたガラス窓から、ごみを漁るカラスの様子を一部始終うかがっていたらしい。
     実家の外猫用のえさを食べに来たカラスをネロは一睨みで追い払ったけれど、みゆちゃんだったらカラスになめられそうで心もとない、ということを以前に書いたが、やっぱりその通りであったらしい。
     カラスに相手にされなくて猫のプライドが傷ついたのか、また来たら今度こそぎゃふんと言わせてやろうと頑張っていたのか、みゆちゃんは、いつになく長いあいだ、玄関から表を眺めていた。
    (漱石先生の猫もカラスにはしてやられてたんだから、あんまり気にすることないよ、みゆちゃん)

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  • 猫もハッピー、人もハッピー(「作業所のねこ&ノラねこ展」)

     電車を乗り継いで、上本町のギャラリーへ猫の写真展を見に行ってきた。ペット自慢みたいな猫の写真展だったら、わざわざそんなに遠くまで足を運んで見に行かないのだけれど、この上本町の写真展は、「作業所のねこ&ノラねこ展」、精神障害者の授産施設ブルー・ムーンで飼われている猫(とその近辺の野良猫)の写真展である。
     今まで、大学や植物園などの施設が「野良猫に餌をやるな」といった猫への拒絶姿勢を取るのを何度も目の当たりにしてきた。だから、この授産施設が猫たちを受け入れたということがとても新鮮に感じられたし、その結果、アニマルセラピーのように、通所者の人たちにとってもおそらくよい効果が現れたのではないかと思って、ぜひ見てみたいと出かけていった。
     施設のスタッフの人たちが撮ったという猫たちの写真は、どれものびのびとした自然体で、猫たちがたくさんの愛情をもらって、自由に暮らしているということが感じられるようであった。通所メンバーの人だろうか、しっかりと猫を抱きしめるうしろ姿に、その腕の隙間から覗いた、ふてぶてしそうな、それでいてまんざらでもなさそうな猫の顔。
     猫が来て何か変わりましたかとスタッフの人にたずねてみたら、通所するメンバーの人々が明るくなったという答えが返ってきた。猫がいることで、場の雰囲気が和む。いたずら好きな猫たちだから、猫のために仕事が増えることもあるけれど、そこにはいつも笑いが起こる。
     拾われた猫たちは幸せになれるし、通所者の人たちにとってもプラスになる。ブルー・ムーンのような人と猫との関係を築く施設がこれからもっと増えることを願っている。この写真展は、その希望のように思った。
     
    (ブルー・ムーンは、NPO法人みのりコミュニオンが運営する、精神障害者小規模通所授産施設。そのシンボルマークも、「月に跳躍する猫」です)

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  • 「ニャロメ!」と鳴く猫

     朝のニュースで、赤塚不二夫さんのギャグマンガを学術的に研究するのだという話題をやっていた。彼のギャグにアカデミックな考察を加えたところで、面白いものは面白いのだし、何か意味があるのだろうかとも思うけれど、それはさておき、赤塚不二夫さんは愛猫家として知られる漫画家であり、そういう点で、私は赤塚さんが好きである。
     赤塚さんの家にいた猫は、白黒の菊千代という大きな猫で、1979年に赤塚家へやって来て、1997年まで生きた。はっきりとは覚えていないけれど、赤塚さんと菊千代が畳の部屋にごろりと並んで寝転んで写っているモノクロの写真を、文藝春秋か何か雑誌のグラビアページで以前に見た。そのとき、デビンちゃんに似ているなと思ったけれど、ほとんど寝てばっかりのデビンちゃんとは違い、菊千代は芸達者な猫で、CMにも登場したらしい。
     だいぶ昔のことなのでうろ覚えであるが、その雑誌の記事に、「ニャロメ」のモデルは菊千代で、菊千代は「ニャロメ」と鳴いたのだというようなことが書いてあり、そんな鳴き方をする猫がいるものかと思ったのだけれど、そのしばらくあとに、同じ白黒猫のデビンちゃんが実際「ニャ〜ロメッ!」と聞こえるような鳴き方をしたので、ああ、赤塚さんが言っていたのはこのことかと、至極納得した。

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  • 「紅の雲」

     ふと、谷崎潤一郎の「細雪」に出てくる枝垂桜を見ようと思い立って、平安神宮に行った。
     応天門をくぐると、朱塗りの柱の上の深緑色の瓦屋根の向こうに、紅色の枝垂桜が、沸き立つように盛り上がっている。立派な木だと感心しながら西側の神苑入り口を通ると、もう目の前は紅の霞である。お庭のいたるところで盛大な花火が揚がったようで、紅色の火の粉が流れ落ちきることなく、しばし時を止めている。空へ向って枝を伸ばす染井吉野や山桜と違い、繊細な枝が下がったところに、紅色の小さな八重の花がはらはらとついている様子は、たおやかでかつ華やかで、和装の女性の髪飾りが連想された。
     花の咲く神苑の華やかさは異様なほどで、現実から乖離しているような錯覚がした。たとえば、紅色の巨大なくらげがいくつも揺らいでいる美しい竜宮の風景のような。西神苑から中神苑へ通じる小道を歩いていたとき、左手の塀の向こうから大きな車の音が聞こえてくるので驚いた。この浮世離れした聖地のすぐ向こうに、塀ひとつ隔てて丸太町通りが通っているということが、とても意外に感じられた。
     中神苑の池のほとりに茶店があって、その前を通ったら、割ぽう着姿の店のおばさんが、「ちょっと、ボク」と息子に声をかけて近づいてきた。何か買えと勧められるのかと思ったら、おばさんは池のほうを指差して、「ほらボク、池に青鷺がいるよ」と、池の縁の石の向こうに、大きな鷺が水底を突付いているのを教えてくれた。
     青鷺が池に飛んでくるのは珍しいことだという。神の池に舞い降りた鷺が、ゆっくりと池を渡り歩いて行く様を見ていると、ますます、異界にいるような気がしてきた。

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  • 雨の日は工作

     雨降りなので外へは遊びに行けないし、何をして過ごそうかと思っているところへ、息子が紙を手に、線路を描いて欲しいと言ってきた。おもちゃのSLを走らせるのである。こっちが何をしようかと示してあげなくても、子供というのは、いろいろ自分で遊びを思いつくものだなあと思う。
     持って来たA4のコピー用紙では小さいので、済んだ月のカレンダーを二枚張り合わせて、線路を描いた。描いている途中から、息子はさっそく出来上がったところで汽車を走らせている。線路を描いて、駅を描いたところで、汽車だけでなくミニカーでも遊べるようにしようと思いついて、駅の横に踏み切りを描いて道路を作った。そこから道を延ばしていって、お店を描き、公園を描き、駐車場を描いた。今度も、道路の出来上がって行くそばから、もうミニカーを並べている。息子はここのところ、駐車場遊びが大好きなので、小さな紙片の表に青で「空」、裏に赤で「満」と書いて、駐車場の横に貼り付けて、表示を替えられるようにした。
     急いでどんどん描いたから雑な仕上がりだけれど、二歳の子供にとっては十分らしく、喜んで遊んでいる。それを見て調子付き、さらに、古紙回収に出そうと思ってボール紙をたたんで入れている袋の中から、ロールケーキの箱を見つけて電車の車庫にし、円形の紙に線路を描いたカップ納豆の台紙を貼り付けて、機関車を回転させるターンテーブルを作ったら、予想通り大喜びした。
     店に置いてあるおもちゃとは比べ物にならない雑ながらくただけど、自分で工夫して作ってみるのも楽しいものだということが伝わればいいと思う。

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