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2009/02/24
猫カフェは、少し前から話題になっているけれど、メディアに出てくるものや、ホームページなどで見た限りでは、アメショーとかアメリカンカールとか、純血種の猫を置いているところが多い。もちろん純血種の猫も可愛いには違いないが、せっかくならば、貰い手がない猫とか、捨てられた猫とか、そういう猫を猫カフェに置いてあげたら、猫も幸せになれるのにと、前々から思っていた。
そういう理想的な猫カフェが、実は京都の、しかも家の近くにあったとは知らなかった。
御池通にある「ねこ会議」である。
不幸な猫を少しでも減らしたいという店長さんの経営理念の下、13匹いる猫は、すべて保護された元ノラや、里子に出されていた猫たち。
その「ねこ会議」に、このあいだの土曜日、初めて行ってみた。
部屋に入ると、まず手続をするカウンターの上を、キジの小柄な猫(すもも君かな)が歩いてきた。そういう、普通では猫が歩いているなんてまずないようなところを猫がうろうろしているという光景はたまらない。思わず顔がにやけてしまう。
13匹の猫たちは、それぞれが、ベッドで丸くなっていたり、猫タワーの上にいたり、猫じゃらしを狙っていたり、南に面した窓際のカウンターで日向ぼっこをしていたり。
その中で、茶トラの女の子のみるくちゃんは一番のおてんばで、猫じゃらしを追いかけて飛んだり跳ねたり、茶トラというのは野性的というか、活発な猫が多いのだろうか、ちょっとちゃめに感じが似ていた(でもみるくちゃんの方が可愛いお顔…)。
来ていたお客さんたちも、猫を撫でたり、写真を撮ったり、猫じゃらしで遊んだり、一緒に日向ぼっこしたり、猫同様、それぞれがのんびりゆったり過ごしている。私も、猫たちと戯れながら、スケッチをさせてもらった。
とくに住宅事情などで猫を飼えない人にとっては猫(好き)天国だろう。「ねこ会議」、また行ってみたい。
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2009/02/19
藤田嗣治の自画像に、猫を懐に入れているのがあって、自分もやりたいと思っていた。
しかし抱っこ嫌いのみゆちゃんでは到底無理だろうから、懐に猫はあきらめてしばらく忘れていたのだけれど、近ごろふくちゃんがしょっちゅう膝の上に乗ってくるので、ふとふくちゃんなら出来るかもしれないと思って、部屋着にしている大きめのフリースの上着の中に入れてみたら、ごろごろのどを鳴らして落ち着いた。念願の懐中猫である。
食事の用意をしたり皿を洗ったりしている最中に、抱っこしてにゃあとやってきたときにも、上着の中へすぽりと入れる。こうすると、ふくちゃんを抱えながらも両手が使えるから用事が出来るし、お腹がぽかぽかあったかくて気持ちがいい。
ごろごろ、ぽかぽかで油断していると、上着のファスナーのあいだから、ひゅっと猫パンチが飛び出してくる。右や左へ動く私の腕の動きに反応して狙ってくるのである。そのほか、上着の内側からもがりがりパンチやキックをしてくるから、なんとも落ち着きのない懐中猫である。
(ちなみに、猫好きで知られる江戸の浮世絵師の歌川国芳は、いつも懐に二匹(!)くらい猫を入れていたらしい。)
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2009/02/18
週末の暖かさから一転して、きょうは雪が降っていたけれど、また動物園へトラを描きに行った。
きょうもグラウンドがビクトル、裏の寝室がアオイちゃんの配置で、小雪が舞う中、ビクトルはこのあいだの暖かかった日と同じ調子で、丸太のテラスの上ですやすや眠っていたから、密集した毛皮で別段寒いとも思っていないのだろう。
トラの檻の横にはジャガーがいて、こちらはもともとの生息地が中央アメリカから南アメリカ北部、標高1200メートル以下の森なので、今日の天気は少し寒かったかもしれない。猫みたいに、丸くなって眠っていた。
余談だけれど、もちろん、ホッキョクグマにとってはきょうくらいがちょうどいい。気持ちよさそうに長々と伸びて眠っているのをみると、毎年日本の夏を過ごさなければならないのが、本当に気の毒だと思う。
寝室のアオイちゃんは、きょうはご飯をもらったあとらしくて、食べ残したチキンが丸ごと一羽、床の上に転がっていた。寝室は、十段くらいの階段がついているだけの小さなコンクリートの部屋で、グラウンドに比べて見栄えはしないけれど、トラと見学者との距離は、こちらの方が近い。アオイちゃんが二重になった鉄格子のそばまで来てくれたから、その澄みきった目の光までよく見えた。
アオイちゃんとビクトルを比べると、やっぱり女の子だからか、アオイちゃんの方が顔が穏やかで可愛らしい。毛並みも艶やかだし、目がとてもきれいである。いまは4歳で、2年前、2歳の頃に人間でいうと中学生くらいだという話を飼育員の人に教えてもらったから、今がもっとも華やいだ時期だろうか。
グラウンドに戻って昼寝から覚めたビクトルをしばらく眺めて、もう一度裏へまわってみると、アオイちゃんは、寝室の奥の、部屋とグラウンドを隔てる柵の前に座っていた。よく見ると、いつのまにかビクトルも柵のすぐ向こう側に来て座っている。
トラ舎のうしろに見えるクジャク苑では、三羽の雄のインドクジャクが緑色に光る尾羽を一斉に広げて、少し時期が早いようだけれど、求愛活動しているようである。
アムールトラも恋の季節なのだろうか。この京都の動物園でトラの赤ちゃんが誕生したら、素敵なことだ。
雪がひどくなってきて、膝は震えるし、鉛筆を持つ手も感覚が薄くなってきたから、少しは暖かいだろうと思われる爬虫類館の中へ入った。
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2009/02/17
すっかりふくちゃんショックから立ち直り、ごろごろ音も復活して元に戻ったみゆちゃんが、日曜日の夜、私のところへやってきてにゃ〜と鳴くと、後ろ足で立ち上がり、私の左ひざを両手でぎゅっと握ってくれました。
普段はクールな(でも本当は寂しがり屋の)みゆちゃんのほうから、そういう意思表示をしてくれるというのは、無上の喜びであります。思わず抱き上げて頬ずりしたら、本人(猫)は迷惑がっていたけれど、そのあとキャットタワーのてっぺんのお気に入りの場所に丸くなって、あごやお腹をなでてあげると、嬉しそうに目を細めてごろごろごろ…
それを見ていた夫が一言、「いいな〜…」(夫はみゆちゃんタッチをしてもらったことがない)
羨ましがられて、ますます得意げなごろごろでした♪
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2009/02/24 00:20
ありがとうございます。完全に元に戻るまで、結構長く掛かりました…猫同士は割りとすぐに仲良くなったんですけどね。
とくにみゆちゃんは神経質なほうみたいなので、多頭飼いの相性は、猫の性格によるところが大きいかもしれません。
…帰宅後、ごろごろされましたか〜〜
ふくちゃんショック(w)から立ち直ってよかったですね。
先住猫がいる場合の多頭飼いって難しいんですね、、、勉強になりました
チナツさんの日記を読んでいたらうちの猫に会いたくなりました。
今日は帰ってからかわいがってあげようと思います(今仕事中です)
2009/02/17
まだまだ素直な年頃だから、買ってやったひらがなの練習帳を、息子は一所懸命やっている。ひらがなで書かれた言葉を読んで、それが意味する絵と線で結ぶという問題がとくに楽しいようだけど、その種の問題を解くことによって、ひらがなを読む力が伸びた。今までは、覚えたてのひらがなの一字一字を読むことが精一杯で、たとえば「みけねこ」という言葉は、彼にとって「み」と「け」と「ね」と「こ」というただの記号の列に過ぎなかったのだが、問題を解こうという意気込みもあって、文字列を言葉としてひとかたまりに捉えられるようになった。
買った練習帳は内容の大半がひらがなを書くドリルで、この線結びの問題は少ししか入っていなかったから、もっとやらせたいと思っていくつか作ってやった。
(実際に子供用に作ったのは、絵ほど猫ネタに偏っていません。)
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2009/02/14
動物園へトラを描きに行った。祝日だった前日のサル温泉とはずいぶん様子が違って、平日の午前中だからあまり人は多くない。
トラは、アムールトラが二頭いる。雌のアオイちゃんと雄のビクトルで、二頭はお見合い中なのだけれど、ゆっくり慣らしていく過程で、まだ南側のグラウンドと北側の寝室に分かれて住んでいる。部屋はときどき入れ替えて、このあいだはグラウンドの方にアオイちゃんがいたけれど、きょういるのはビクトルだ。
この日も暖かくて、南側のグラウンドには日がいっぱいに差し、ビクトルは丸太で作られたテラスの上で気持ちよさそうに眠っている。
ものすごく大きなトラだけれど、横になった感じとか、目をつぶったまま両手のひらを口元に持っていってぺろぺろ舐めたところなんかが、猫の仕草にそっくりである。
ぽかぽかしたビクトルをしばらく眺めたあと、一方、北側の寝室にいるアオイちゃんはどうしているのかしらと思って裏へまわってみた。
こちらは完全に日が当たらなくて、ひんやりしている。こんなにいいお天気の日にグラウンドに出られないなんて、ビクトルはのびのび日向ぼっこをしているというのに、アオイちゃんは可哀相だと思ったけれど、よく見ると、お昼寝中のアオイちゃんのうしろ姿は、大して可哀相なふうにも見えない。寒そうに丸まっているのではなくて、壁のほうにからだを向けて長々と寝そべっている。思うに、うちの猫が夏の暑い日、廊下の床の上で壁に向って仰向け気味に寝ている姿によく似ている。
それで気がついたのだけれど、アムールトラは、ロシアのタイガの森などもともと寒い地域に住む動物だから、日の当たらない北側の寝室くらいがちょうどいいのかもしれない。グラウンドからビクトルの咆える声が聞こえてきて、アオイちゃんは大きな猫の手みたいな前足をうーんと上に伸ばし、うるさいなあというように手のひらで顔を覆った。
もう一度表にまわってグラウンドのビクトルの様子を見に行ったら、もうビクトルは起きていて、暑そうに口を開けて息をしていた。白い湯気が、もわもわと牙のあいだから立ち昇っていた。
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2009/02/12
動物園で「サル温泉」というイベントがあるので見に行った。
サル温泉は、2007年に市内の中学生が動物園の活性化を願って発案したのがはじまりで、今回で5回目であるらしい。「温泉」という名前がついているけれど、実際に温泉から出たお湯ではなくて、ごみ焼却で出た熱を有効利用して沸かしたものを、タンクローリーで運んできている。
暖かい日で、園内には人がいっぱい、それが、午後2時の給湯開始時間を待って、サル島に集まってきた。
サル島は、円形に深く掘り下げられた真ん中にサル山というのかコンクリートや鉄棒でできた階段やジャングルジムなどが組み合わされた塔が立つ展示施設で、見学者はその周りから中にいるサルを見下ろす(塔の上のほうにいるサルに関しては、同じ目の高さか、あるいは見学者の方が下である)。
10分前にはすでにすごい人だかりで、かろうじてプールの反対側のあたりに人垣のすきまを見つけて入り込んだが、真ん中のサル山にさえぎられてプールの様子は見えない。サル島の対岸にはものすごい数の人間が並んでいる。これだけの人間どもに周囲を取り囲まれて、サルたちはとてもいい気はしないだろうと思った。
給湯がはじまったが、見えるのはホースから出るお湯の流れと白い湯気ばかりである。あわてて見なくても、2時間くらいはサルがお湯に浸かる姿が見られるというので、いったんサル島を離れて、しばらくして人がだいぶ引けてから様子を見に戻った。
サル島のプールには夏には水が張られていて、プールの上の縄ばしごから水に飛び込んだり、水中を上手に泳ぎまわるサルの様子を見たことがあるが、この日のサル温泉でも、子ザルが犬かきならぬ猿かきで泳いだり、頭のてっぺんまで全部水に潜って泳いだりする姿が見られた。
お湯につかったり泳いだりするのは新しい環境に順応しやすい若いサルばかりで、大人のサルは、水際で手足を浸す程度であるらしい。サルでも人間でも、年を取るにつれ新しいことに挑戦したくなくなるのは同じようである。
せっかく温泉で暖まっても、お湯から出たあとが吹きさらしではよけいに寒いのではないかしらと思ったが、心配ご無用、ぶるっとからだをひと振るいすればそれでほとんど乾いてしまうので、湯冷めはしないそうである。
※イラストは本文とは無関係(ネコ温泉)です。
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2009/02/10
十年以上前の夏の夜、実家のベランダで、猫たちがネロを真ん中にして輪を描くように座っていた。何をしているのかと思って覗き込んだら、やんちゃ盛りのネロが大きなムカデを捕まえて遊んでいるのを、コプリ、ちゃぷり、アニちゃんの三兄弟がまわりから見物しているのだった。
手や鼻を刺されないのかしらとびっくりして、私もムカデは恐ろしいからびくびくしながらネロとムカデを引き離したが、長いものが大好きな猫だから、ぞろぞろした動きのムカデは魅力的な獲物だったに違いない。そんな素敵なおもちゃを、遠巻きのコプリたち三兄弟は、よく横取りしたりせずに行儀よく見ていたものだと思った。このエピソードに限らず、普段から猫たちの行動を見ていて、他人(猫)の獲物を奪ってはいけないという猫の社会のルールがあるように私は思っていた。(もっともこの三兄弟はタマのようにやる気のない系統の猫だから、獲物を奪う気力も関心もなくて、ただ野次猫をしていただけという可能性もある。)
だから、ふくちゃんのお行儀の悪さには閉口してしまう。みゆちゃんのために猫じゃらしやひもを振ってあげても、すぐにふくちゃんが飛んできて横取りするのである。全然、猫のルールを守らない。みゆちゃんは遊び好きな猫だけれど、もともとがおっとりしていて鷹揚なうえに、ふくちゃんの登場でいまだナイーブなところがあるから、活発なふくちゃんにおもちゃを取られると、遊ぼうという気がすぐに萎えてしまう。いままで自分専用だったおもちゃをふくちゃんが次々とダイナミックに奪っていくのを、面白くなさそうな顔で黙って見ている。
ふくちゃんが来てからみゆちゃんが新しく考えた遊びがあって、猫トンネルの外側を猫じゃらしでかさかさしているところに、みゆちゃんがトンネルの内側から猫パンチするというものだけれど、考え出してしばらくのあいだはみゆちゃんだけが得意顔でこの遊びをしていたのが、そのうちふくちゃんもやり方を覚えてしまって、みゆちゃんのためにかさかさやっても、やっぱりふくちゃんが先に飛び込んできてしまうようになってしまった。
せっかく遊びを考えたのに、お株を奪われ、しょんぼりしていたみゆちゃんだけど、最近ようやくふくちゃんがいることにストレスを感じなくなってきたこともあって、遊びに関してもふたたび意欲が湧いてきたようである。とくに、このトンネルかさかさは自分が考え出した遊びでもあるし、思い入れが強いのかもしれない。昨日とうとう、邪魔しに入って来たふくちゃんのあとから、勇気を奮ってトンネルに飛び込み、見事トンネル遊びを奪回することに成功した。私は猫じゃらしをかさかさやりながら、みゆちゃん、よく頑張ったぞ、と心の中でエールを送った。
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2009/02/07
ここ最近になって、ようやく、みゆちゃんがリラックスした素振りを見せるようになってくれた。ふくちゃんが来てから3ヶ月、長くかかったものだと思う。
猫同士の関係は、割合に早いうちから打ち解けて、仲良く遊んだり一緒に寝たりしていたのだが、みゆちゃんは人に対してなんだかそっけなくなってしまっていた。以前なら、手を伸ばせば後ろ足で立ち上がって顔を擦り付けてきたり、背中を撫でると、しっぽをピンと立てて応じたりしていたのに、撫でようとしても、身体をかがめて、私の手からするりと逃げていってしまう。遊びに関しても、自分でひもをくわえて持ってきて、にゃー、遊ぼう、と催促するみゆちゃんだったのに、私の方から遊びに誘ってみても、気が乗らない様子だった。
鳥を手乗りにしようと思ったら、一羽で飼わなければならない、二羽で飼えば鳥同士が仲良くなってしまって、人にはあまりなつかないからだという話を聞いたことがある。それとおんなじで、みゆちゃんも、猫の友達ができたから、もう人とは遊ばなくてもよくなってしまったのかもしれないと思った。それでみゆちゃんが楽しいのなら、とは思うけれど、やっぱり寂しかった。
それが数日前から、椅子に座っている私の横にやってきて、顔を見上げながら小さく「なあ」と言ってみたり、机の上に登ってきてそこに座り、何か言いたそうな目をしてじっとこっちを見ていたりするので、ああ、みゆちゃんは、子猫のふくちゃんに遠慮してずっと我慢していたけれど、やっぱり自分も前のように遊びたくなったんだと思って、ひもなんかをおおっぴらに振り回すとすぐにふくちゃんが飛んできて邪魔をするから、机の上でこっそり、折り紙で作った小さな小箱にどんぐりを入れてころころ動かすと、まだまだ控えめだけど、小箱に前足を突っ込んで遊び出した。
自分のほうから遊ぼうといってきてくれるのは、本当に久しぶりのことである。それに続いて、前のように甘えるようにもなった。立ち上がって私の手に顔をこすりつけてくれるし、背中をとんとんと叩くとしっぽをぴんと立てて、さらには、ごろりとお腹を出してじゅうたんの上に寝転がった。そういう仕草をするのは、3ヶ月ぶりのことだった。正確に言うと、たとえば寝室とか、ふくちゃんがいない部屋ではごろんをすることもあったけど、ふくちゃんと同じ部屋にいて、人にそこまで無防備に甘えるのは、初めてだったのである。
みゆちゃんの中でどういう変化があったのか、お姉さんの役ばかりするのはもういやになったのか、それともふくちゃんのほうがだんだん大人になってきたから、もう子猫だと思って遠慮する必要はないと思ったのか。のどを鳴らすごろごろ音はまだ戻ってきていないから、はやく前の通りのみゆちゃんになって、懐かしい音を聞かせてほしい。
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2009/02/03
2月3日の節分の日には、太巻きと鰯を買って来た。
塩焼きにした鰯の、煙のにおいが立ち込めて、いてもたってもいられなくなったふくちゃんがまず、にゃーにゃー鳴きながら鰯はどこかと台所へやってきた。あとからやってきたみゆちゃんも一緒に、ふたり並んでテーブルで待っている。
このあいだ、ぶりの照り焼きをつまみ食いして怒られたふくちゃんは、その数日後、また懲りずに焼いたさんまのしっぽをくわえて皿から引きずりおろそうとしているところを目撃されているので、要注意猫。
鬼は外、猫は内。鰯を焼く煙の匂いで、本当に鬼が逃げていくのかどうかは知らないが、猫がやってくるのは確かである。
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