JUNICHITAGUCHI

フォトグラファー

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東京都渋谷区

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  • 私哲

    日々のニュースを傍観していて、自分を客観視して、最近つくづく思う。
    人生は選択の連続だ。
    日々歩く道やfashion、繰り返す食事や音楽。
    そのすべてが小さな選択によって成り立ってる。

    時にはそんなたわいもない日常の選択が予想しない形で未来に影響を与えたりすることもあるんだろう。

    極論、明日どう生きているかも、この「選択」次第か。

    それとは別次元で、人生には明らかに目に見える形で未来を左右する明白な選択が存在する。
    『分岐点』
    それが、最近やたらと多い!多すぎる。
    人生を左右する決断。
    人が人たる能力のすべてをかけて判断しなくてはならない勝負の瞬間。
    思えば人冥利に尽きるとも言えなくはない魅力的な状況。

    最近幾度なく訪れるこの状況だが、ツラくはない。
    それなりに謳歌してる。
    なんだろう、選択を人における醍醐味とでもポジショニングしようか。

    だけどね、そうは言っても、その決断をいつも楽勝に揚々と判断できるものかと言えばまったくそんな訳なく、問題が深刻であればあるほど、自分の根に近ければ近いものであるほど、人は不安の中で決断に踏み切らなくてはならなくなる。

    経験上、そんな時の真実がここにある。
    訂正、自分の哲学論だ。

    「どちらを選んだとしても、少なからず後悔は絶対にする」

    人の決断は必ずそこに影を生みながら繰り返されていくもの。

    善と悪の選択ならまだしも、それが計れない選択だったとき、
    先の見えないものを獲得するための選択だったとき、
    不可抗力に多くを握られていることを意識しながらの選択だったとき、
    人が一つの道を選んだその裏側には、「もしも…」という言葉で「今」と繋がる、

    「選択しなかった人生」が存在する。

    そんな影の人生は、なり得たかもしれないのに選んでならなかった自分。
    決してなれなかった自分ではない。

    だから人に求められるのは、他人に認められる生き方をするということじゃない。

    人は自分で「選ばなかった人生」に相対した時に、胸を張って誇れる「選んだ人生」を歩かなくちゃいけないよね。
    人の決断は必ず後悔を含んでいるからこそ、せめて今が間違ったものにならないように、それでも自己肯定できるだけの生き方をしなくてはいけない。

    必ず訪れるその「後悔」に打ち勝つものは、
    自分が踏んできた「足跡」しか、ありはしないんだ。

    人は生物だけど動物じゃない。
    だから動物論でモノを語ろうと
    本当のことはそんな話よりも余程深くてザンコクだ。

    人の生きる目的が、生きること自体にあればすべては簡単なのに、
    そうではないのが、人の悲しみ。

    生きてない事実と死ぬ選択。

    その間に見える、僅かな幅のあまりに深い深淵を、生きていく人間はどう捉えればいいのだろう、どう救えるのだろうか。

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