揶白 (KF)

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  • 法と惑星

    歌と超現実の語。はじめての海↔ビーチ

     

     

     

    …可能事が、現実をおもうことと比例して夢自体の無矛盾と知った。現実とは、ここが海だとか陸だとかはタイルやコンクリを見たら物がずっと伝えていることがわかった。

     

     

    惑星、目にする星にたいして覚えることと忘れることの意味。陸は、物事がわりかし続く、大分続くと伝えている。私自身の物理は、上手く忘れる=覚える、→だから、忘れるべきことの大切さ。これを記憶と言う。それは、以前から有る和歌と歌を考えた時、人は難しいから素晴らしくないと流行らないものに「法」がある、惑星の概念では法とは、決まっているから。教えることなら、流行ることもなく文化的に成立しない。物語論が有り、人生論は歌がないなど即ち過ぎて人そのものを肉体から知る。互いが共通するのは、色んな人のいろんな考えを一人が出来ないこと。

     

     

    岡とは、自分がどちらかわからない。自分の知ることが出来ない物の意味として「どちらかわからない」。その理由にかける人生論の意志と巨大な惑星の理由や法、これらの等しさに日から生えた羽がまま重なり、それが間隔論や論同士の間隔、この意味然り見れるのは「きらい」という字が有る。世の中の色や特別性をあらわしている。これを、レゴのように一度、うちわけの理を抽象したものを一枡、ブロック、一線、どれでも物の無矛盾を感じられるほどの、物自体の対象化をする。これを、理由がちゃんと出来ているかで失敗と成功を見る。レゴ、という単純な色彩のしかくは、それは自家製的メモとして大切なことをきっちり纏めること。

     

     

     

    「物を物自体に返す、という高度な祈りとして。実際に学べる表現しきれない図形と立体感。」面からの解脱は、レゴの伸縮、伸びる、このものごとを理解する事に至る。可能性、語のあらわしを構築するは、現実に、絵画を見た、アニメを見た、この感動として得れる事物を完全に信じる、それが作家、つくりて、それしか事物の上達を考える奥行きや展開の橋、この進展を他とするこの橋、ひたすら物事を進行させる、橋の中の立体性

    の意識の本当の気配や方法には目がいかないこと。

     

     

     

     

     

     

    蟲ーではないほんものの釈迦、良い、誠の、釈尊という人が歩む道、歌や朗るさは、悩む、考え抜くとは思わない、悩みつづけれること、それが「解決」という語をもう成しているのかもしれない。森が、人物にたいして絵という面を得るひ、背景として心から許容が出来る。実際に地やその地柄、神を知る。天が、人物や一個人をつくれない、生まれる言葉それ自体の須佐之男としては、準備をするにはその準備を必要とすると言う。素戔嗚尊とは、八重柿実るまたその八重柿を唱えさせる。そして、私が夢から見れる、定説の揺れるような二つの目が仏として不動する、そのことや詩の美しさや戻り。

     

     

     

    人とはいつだって、物のときでも声になっても、幽霊でいても、「ここ」だから大丈夫。そう胸を押さえる。だから、何を言っても、言っても、何も起こさない。善を楽しいとわかる。とうに、聞かない

     

    日々の続くことに、備えて

     

    私は哲学めいた考察をした。フロイトの本から考えたけど専門的なほんまに最奥にあるような学問に特化した印象だった。

     

    ・ももや桜の光

    ・ミドリイロの光

    ・赤い光

    ・海色の光

    ・全て混ざった光

    ・なにもないとき

     

    家庭用ミラーボールからは、セカイはこの六個くらいの部屋があることがわかった。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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  • 問題整理と質問

     

     

    問題整理と質問

     

     

    「知りたい」←この大きな石玉

     

    わたし 心の営み>知りたい

     

    相手 知りたい=心の営み

     

    わたし 知りたい面がある。そのわたしの面にぶつけられた

     

    相手 知った

     

    わたし 怒られるより相手が別のことに怯えている

     

    勇気と道徳←この大きな石玉

     

    わたしの友達 「相手って誰?」

     

     

     

     

     

     

    「欲求」

     

    (相手)冒険者

    (理由)ぶつかった原因

    (いつ)5つ6つの箇条書き

    (わけ)ぶつかり続けられた

    (目的)浄化、成仏に使う。許したいので。

    備考 昔のことは聞かない

     

     

     

     

     

    解ったこと…自分と二つは、ストーリー性が、異なる。

     

     

     

    カゾクの感想…仙山という大親

     

     

     

    宝…日本国憲法

     

    私は、鋭い知覚にたいして身体の可能性や飛躍のことを人間が伝える意味だと思う。役人が、「今日の役目」を話すように、そこに国というものの姿には実体が無く、ひたすら膨大な情報量これを得ている。この光が、支える理性の骨骼は人間として古と会話をする態度をする。

     

     

    純粋な論理は、人々がわかる論のたいどを持ち、自己は終了を許す。又終了を許す自己を知らせる。

     

     

    意味を成さない、と知って

    心から生きること

    すれば、私は怒ることがもうなかったからだ

     

     

     

    (これから出来ること)発声の修復

     

     

    (問題)世界は、読ませる方にすすんでる。

     

    (自分のしたいこと)世界の流れから、個性化の特長とわたし自身の役目の研究

     

     

     

    「神」自分を自分とする関わりがあった文学的な時間と、好きになることが問題ではなくその間ぱつ自分がなくなること。好きだと言い、尚。

     

     

     

     

     

     

     

    美術だ、芸術だと思い描くわたしの行為にたいしてのカイが有る。答えることに、

     

     

    私は最初にアレを目指している。それをはミロと言いたい。時代背景を丸ごと言える、何故あの彫刻だというと「信用」という冷たい肌があること。

     

    マッハの夢、これは飛行機である。希望そのものという感覚を持つ位の素晴らしい風は自分にとっては豊かな客観性であった。マッハ見たければ、飛行場に行くと言うように、誤差に着目して時間と運命を導き、愛するものを確信する。

     

    唯一とは、完全絵画のようであって、多量の日数と時をかけなければ理解出来ず語れないことば。唯一の解答にたいして私がかかげるこれは、何とコピーである。説明すれば、オリジナルではこの冒頭に「オリジナルとコピーの違いについて質問します」と書く。題の事だ。

     

    さぁ、タイトルを掛けて熱闘する羽鋼(はがね)の漢、その筋肉の答えを聞きに参るぞ。

     

     

    勉強、練習という理由の、

     

     

    これは、「心得る」その教えからに依る。

     

     

     

     

    以上、質問と答えというとこの存在とその関係にたいしての流れである。現に背中で答えるという姿勢に満たず、総てこれは質問と言います、と細かい説明をしているこれを、詩や運命的とする面に接しても過去を肯定出来るとしているとする。私の、目に浮かぶのは歩兵や「歩」という字がこのまま文章たちに掛かり重なる形である。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

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