揶白 (KF)

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  • 聞いたら神社に行ってお清めをする、



    天災については、


    昔のひとや古代の人は私らよりは強いねん。

    それだけはさらに言うときます。









    大阪に、カオのいい悪い人間がいて、その人災を天災にしようとして、

    コロナがなにが原因かというと、「非常に強い憎しみ」だそうだ。

    憎しみ、ではなく、有ることの無い「憎悪」だ。

    またそれが空に穴を開けて、空を通して、ばい菌になるのだから、宇宙の理って凄いなぁとか思う。

    大抵の痛み憎しみは耐えるし、心は理解ができる。
    霊媒師の人は常に体の痛みと苦しみに耐えている。私もそうだ。それが修行なのだ。

    その人だけが、自然の理に逆らい過ぎたのである。


    建物だって、「造形」を省けば、自然(動物)である人間の自然だ、と尊敬する詩人がおっしゃっていた。

    私は、自分にたいしてよその人間が何が誰をどうしようとかたくらんだりすることに汚さを感じたのではなく、

    私の愛す虫の「コオロギ」を、自然が成すものを、目の前で殺され続けたり、残酷なのは、それを「ゴキブリである」といってみんなにその虫の足を、さらに病気を浄化する龍の背中にわざわざ付けて一緒に撒き散らす。

    それらを隠れてやっていて、誰の指示があったのか、自分のこのときの震えた感情がばい菌と繋がるとは全く予知はない。






    嫉妬や悲しみ、怒りでは簡単にはそうならないのは、


    コロナで反省したとして、本当の菌にしようとしてそう実行したが、海外の若い人が多く死んで、
    その波長を、受けたんだと思う。
    ある人は感じやすい、繊細すぎた、事を、計算に入れなかった。

    賢いなぁともどこかで思っているけど、賢い気がする予感だけで、そのあほさが許せなかった上に、頭にのる、

    信じられずで、

    私が怒るのは、気があった無かったを理由に、女や被害者のせいにしてしまう頼りなさだ。




    その上に2回目があった。

    別人の全く他人の、大阪のひとで陰謀で、前話したように遠隔で神経を切り刻んだりして、

    人は、今における高い想像力を、霊に織り込んで形を成す、そのまま天へ上がる。これは自然で、

    人は自分が分からないから「善っぽく」いることが、かひしく、ある姿なのだが、

    そんな誰もしない

    彼は何の「字」も既に歪んで読めない。

    恨みは簡単に、笑い飛ばしたり生活をして忘れる。

    「天に上がった事が、天災だ。」と彼だけに言われるが、天と歯向かって、一つになった。神がいるなら道理があって、これをやり抜いた人が何を云っても、コロナのようにころころと変わるわけがないのだ。

    それをどこかで知っていてそうした人が、悪いのだ。


    「天地」がたしかに有るのに、理論が曖昧で定める事が出来なかったのは、生きている人間だ。



    ゴキブリだ、といった人は大学の自分の同級生で、善い人だったので、愚か過ぎて、何か情けなくなって、うつむいている。


    これを言うと、口にしてしまうと、



    「では、これをされたらどうなんだ。」
    と言われるが、
    そんなことじゃなくて、
    この時、ただ哀しい。
    怒りにさえ変えるつもりはない。
    心にないものを自分から出すことがない。
    だから昨日も今日も明日も、何を感じていても良いと思うし、
    「人」の思いなら止めなくていい。
    告げ口を軽蔑してていいし、横から入って自分の何かを止める必要もない。


    聞き慣れない天というのは、

    神が怒るのと、人間が怒るのでは、レベルが違い、人間が怒るようにはなってない。

    私は火災を経験したが、悲しみが多かった家だし、長屋であったのに、自分とこだけ全焼して済み、隣も全く無事だった。住んでた友達の置いている物置や、ピアノ、生花の花瓶、着物、母の撮ったアルバムは残って、
    家も、そのまま売れた。

    20万くらいで買ったガネーシャの銅像が、水浸しの部屋の真ん中に、何の姿も変えないでいた。







    何が天災で祟りであるかというと、神木の在るひとを切りつけた、のではなく、

    ばらばらに「してしまった」、のではなく
    「わざと」ばらばらにした。





     

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