揶白 (KF)

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  • 瞑想(I)

     

     

    片付けにくいが、こう思っているこれを理解する自分が先にいるとは思う。片付けにくいが。

     

     

    高さについては、執着があったから考えれた、まず海陸の違いを前提に袂に置いて、言葉が違う、からくりが違う、と、自分に知れない機械デリカシーや歩き方そのものや想像力を、知れないもの、としても新しく発見して知った。だから、話す高さを思うに「幅」という表記を見つける。雑事を除いて、ただ通年の想像の広がりに心を委ねる。祈りにたいして、俺が特攻隊じゃ日本人殺してやる!と受け取る。私は現代人、あなたのこととは関係がない、わかりました、でも知りません。そういう人の方が多い。理由がわからない、何で私が受け止めるのか、を、一番怒っている。戦争は少な過ぎることで、人のほうが多い。想定していることは理由があり死ぬと決めてかかっても後に、涙が滲むような跡を想像しても、こう肯定されることを望んでも、私は戦争には関係がない。涙が滲む、と想像したのは私だし、もしかしたら向かわしてもらったのが嬉しかったのが付いて行かしてもらったんだろ。何が戦争だ、阿呆

     

    嬉しい気持ちをただ前に出す、これが難しい、私も今してる。技術向上とか、光の中を抽象といってある形にたいして思う。歪めずただ拳を前にだす。これが技術だ、と言う。

     

     

    特別な自然よりか、それは家の板や床引きなどを目にしても、ああこれを作っているのかを、想像するだけでも“やりたいこと”に近い。それが伸びたものが、他者の考えを知らないでいるっていうことが出来て態度に佇む。普賢、普通の賢さという、その顔が白人に似てる。理解によりいきなり宥められるが。牛に乗る仏、あれは帝釈天。初めて知る世界、、ともつかず何か強い興味を注がれる中、そこには明るい光があるのがわかる。奮闘する子が上手く行きますように。

     

     

     

     

    もっとデジタル(仏界)知りたい、の前にすること、、っていうのは

     

    変わらなかった、という話。

     

     

     

    見えれば見える、閉ざしてはいない人の心の囁きが面白い詩、分けわかると、持つプライドが歴史背景から前提にあり、プライドが、上下を示さず、確実に一緒にいる。持って良いプライドなのか分けがわかると、順繰りで自分の点へ捜索に掛かることが出来る。

     

     

     

     

    感動より感情が強く、当たっていて曇っている。「ゆわれへん。」と、言葉を練習する。感謝と自分の理解したことを。

     

    人と刺激しあい、反応しあって、

     

    笑顔の現実と渦巻く闇の想念⋯、これを自分で這い上がることだ。そこで、待っていてくれているのだ。

     

    それでも、理解の起きてる時点で、“浄化は進んでる”

     

    人間関係は良いけど人間間は難しい、それを思って凹む。

     

     

    話されへんときはある、と正直に話してくれた。自分も正直に考えていれば、また友達と友達でも会えると長く希望を持つ。

     

     

     

    昨日思いに見た怖い神様は、蟲ーが近くにいる知らせであった。それは、仏知識の高い神道の蟲「コロナ」だった。自分と私は貝だといった、最近のひと。悪だくみを追いかけても無意味で仕方のないことなどを、蟲ーが人の頃の特長を懐かしく思い出した。

     

    どんな形?

     

    1、盗む

    2、格好を付ける

    3、隠す

     

    蟲ーはこのさんかくだけ、の霊。だから、私たちの見ているものは、何らかの幽霊。

     

     

     

     

    思いにある自由な愛想の表現をまたやって行けますよう。噛み合いには、まだ時間がかかる。

     

     

    伊邪那美 嘘でもなんでもや、これを説く

     

    女神であるから、伊邪那岐と書き換えると、聞き当たりが良い。

     

    神と神道者、光との時間に、慣れた方が良い良さ悪さをその前に知っておきたい。そこから、リズムを掴める。慣れて良いこともあるし、時間の方が必要なこともある。

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  • (脱字修正)信じてる人がそれをすると辛い、手間かけて理解しても現実のもつ平面という面、を、考える精神がある。本当に感動しているはずなのに前に進めない

     

    原理から一歩はなれたとこに、考えがあり、

     

    ポスト構造と、そのまま構造として向かっていく、

     

     

    ここに、考えの柱があって

     

    みんな惹かれている

     

     

    考えるのが楽しい

     

     

    それはどこに向かうのですか?

    背景はありますか?

    考えず無心、という辛くかなしい歴史がありますが、

     

     

    質問の言葉、技術の研ぎから、技に気付く方を先人にするのか、方法をそのまま伝える方を先にするのか、

     

     

    これにまだ喉を詰まらせている

     

     

    感嘆に身を任せて話し出すには、音楽(リズム)の中にいなきゃわからない

     

    一者として抵抗になる自分なのか

     

     

     

     

     

    善悪があるんだという悟りから

     

     

    覚醒者「ブラフマン」

     

     

    心に、映ったスケールではなく、自分の地味な小さな範囲でそれをやっていく

     

     

    上がりもせず下がりもせず

     

    確実に重力を感じれて

     

    確実に重力を自分に巻いていく直の現実

     

     

     

     

    故に、物事の表題が現れて、だから〜どう、という文はなく沈黙して聞いて尊重する、というだけの形になっている。

     

    大和言葉の良いとこは、点呼が決まっていないことである。

     

     

     

    「である」は、学識の書物よりも、分厚い木の説明をイメージ出来て、確かに知識の興味はあるが、である、と言いたい方が自分には大きかった。村言葉として姿勢を傾かせにくく、最適ではないだろうか。直感。直感の限り、骨を鍛えて広がるように。

     

     

    言語筋力は、心に浮かんだ風景を字にするのに、それを起こす為にすることが日記である。詩を織り交ぜた、自由な日記。「そして話し言葉を上達して不安を減らす」、でも、精神性が今日のように高いと、どうだろうなぁ?と思う。目的は、何だったか。

     

     

    そして、

     

    考えが増える、の意味がまだよくわかっていない⋯

     

     

     

     

    理解と浄化の深い繋がりを感じて、

     

    仏陀として教えてもらった私とは、それを人から聞いた時、その人から聞いたことは変わらず、その人自身が“この時”仏陀と重なり合ったことである

     

    「解」がある、という記号に互いがなる

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