揶白 (KF)

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    街のレゲエおじさん

    2021/11/06

     

    日記・ブログ

    アンダーソングをご存じですか?

     

    「好き」から外れると、安直に「死」とディスられ、

     

    それを信じ込んで、阿修羅に転落してそれっきり。

     

     

     

    マッチ売りの少女のような細い精神で、レゲエを語る。

     

    冬のときも過ぎ恋をしだす頃は、歳の三十半。

     

    音楽と云えば、最近は思想に寄って色んな事を浮かべ、

     

    第二の人生として、あらゆるライブに足を運ぶ。

     

    生命よりもまんまと音楽ジャンル自身にプライドを委託しラクをしている、詩性のない大きなスピーカーがを少し移動させたい。

     

     

     

    目に一番身近なのが、キリスト教であったり、白人主義の文化だ。

     

    これは仏教よりも親しい。

     

    江戸時代は300年の平和を誇る。天下が、侍が既に実現していた世界が、自分より先の方なら、

     

    政治の起こる以前だった平安時代とは古今和歌からして更新的に常に新しく、その頃に中国から何とか取り入れた概念さえ

     

    まだまだ謎が絶えない文化で、もともと神の信仰であったのだ。

     

    仏壇に対して「教え」の主語が、いつも冒頭に語られないで私たちは長い事困っていた。

     

    私の世代は、戦後の昭和から「魔法使いサリーちゃん」など

     

    ストレスフリーのやさしい夢を見て、僧侶のようにしても俗で有る事からは離れないで、人間関係を自然と脱構築している。

     

    それが啓蒙をした時、他者を「かわいくないけど、良いやつ」とか、

     

    本当に啓蒙を実現して理解している。

     

     

    「心臓」と云うタイトルで、何の利益も無いような頭の上の雲、海外のそんな文章を絶対に「自分」「教養」とせず、

     

    捗りとは、あらゆる、娯楽ではないが紅茶とか孤独とか、一定の夢を継続する高度の、維持だ。

     

    臨んでいるのは、「遠くは、捗っているんだな」と祖国の空から。

     

    たったそれだけの、何もしない毎日が、尊いと思います。

     

     

    「勝利」と云う言葉をもった瞬間は、たちまち終わる。

     

    ある「美しいかも知れない」形がある、人間の次元の、この場合精神的に有らずという意味で、

     

    存在さえしない、とも云える。

     

    人には表と裏が在って、多いひとはすぐに裏に逃げ込んで他人の解釈をなし、

     

    上辺(表)の上辺を固くしている。

     

     

    一般的に声に出来ない言葉が有る。

     

    「あいりー」

     

    「しぐなる」

     

    「わんらぶ」

     

     

    好きだ、楽しい、ポジティブとは生命についての語り手である。

     

    「プラス」だとは、然り「死」とじかにして、線を引くことでもある。

     

    しかし議題が、「この様に何としてもぶらすだ」と云うような高い事でも有るから、

     

    こうとは、イメージ(絵)の持つ力や、ことばを理解する客観性の賢さについて

     

    「人間的」に織りなされる格調が、人の沈黙と、絵自身の気高さを歌うからだ。

     

    日本として、それらが暗いのは「私」自身の成長が遅滞しているからだ、と

     

    男(セレクター)を睨んでいる。

     

    「心臓」から来る他人の笑顔にたいして、「好き」しか無い自分とは?

     

    あさはかな、と云われぐの音も出ないことの、問題とは、「同じような」宗教、祈り、それらの客観的な説明の欠落において、

     

    心細いのである。

     

    電車に乗る事もなく、社会と自分の落差に凹む街のレゲエおじさんの心臓が導いた

     

    これら大和言葉というのは、

     

    突拍子もなく「説明が必要だ!」等云っているのではなく、説明文を考えてるだけでも、

     

    色んな事を一人で学んでしまうことなのだ。

     

     

    この「オイ・テカ・ナイデ」を割って、何らか生きながらえることは

     

    古来からすると、ナイスと云う事で、この一番高いもっともな美しさを明かしていたい。

     

    一方、侍の「死」の想像とは、

     

    昔なら昔今なら今と時の全てにおいて、うつくしく皆をこらえたいがそうもいかない、

     

    殺して、エゴとして転落出来る「幸せ」等は、あんまり立ち登ってしまった美学だから、もう

     

    ないのだよ、と発言するのは皆自分。

     

    最初から美については、完全に忠義と生命なのだ。

     

     

     

    「概念」について、土日も平日でも大きな想像をする。

     

    のちに、文化か文明かさえ知らない歴史を感じたあとで、咀嚼した自分は…?

     

    成長が楽しみである。

     

    白人のひとと同等に「尊敬」をするには、自己のルーツに興味持つわけで、

     

    自己が問われるとは、影を探索し、光を象ることの様で、

     

    「私」への、他者(海外人)の初めての出現とともに、断りを語る。

     

    自分は…、と地と血とソウル。平和だったよ、何にも無かった。

     

     

     

     

     

    三木道三を全部うたい、ファイヤーボールが巷を平らげる姿を見て、ミンミをの曲を血肉にし、リョーザスカイウォーカーの古いリリックに教えてもらい、

     

    その時代のメジャーウエポンさん等の歌でこの上なくリラックスするのが、ジャーだ、と自己完結。

     

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