揶白 (KF)

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  • 方法論32  この間、大屋彦は蟲「コロナ」だった ・一部内容修正

    方法論25,26 土地霊「大屋彦」と、地霊「わたし神」

    2025/01/06

     

    日記・ブログ

    大屋彦が、わたしが腰を重く、自らの背を立てて力仕事をするから頼った

     

     

     

    ・知らないひと 同じ国の土地と土地

     

     

    本来、人間が、人間を無視しないことから神に関わる

     

    どんな重力の以前に、信号が手前に二つあり、聞く⋯壁⋯神の曲がり角、自分自身の「辺」に当たる

     

     

    ⋯先だけを付け、保留で聞いても無駄⋯

     

     

    これを、無視すると、与えられたもの以外、人間とは他のことをする⋯人間と同じルールではなくなる≠同じルールが与えられる善意にたいして等しさを存在させる

     

    =わたしは、魂を守ります 

     

     

     

     

    魂は、一つだったけど、地上の勉強をクリアしていないことから人が地面から見て、断裂がある。空念、宇宙の考えから「パンゲア」が想像できる。間より速く、星(自力)の速度を追い抜くには、信号を守り壁を立てる理性、タイムマシーン=大きな美しい(人間想定に等しいから)鍋でする魔法⋯大阪市立歴史博物館

     

    信号を守る⋯感謝=何かを感知する、精神そのもの筋力(だるい気持ちからの必要)⋯鍛錬

     

     

    ⋯星に光る自身からの、関係性ツールを作る

     

     

     

    本来の人間の生活、

     

     

     

    方法論25,26 場所の妄想

    2025/01/06

     

    日記・ブログ

    神は神と話す、年代が近いからだろう。

     

    神を個人にわたし個人に“本当のこと”を聞いても一つ目になり、わたしもわたしを知れないだろう。大屋彦、花火の様な雷の様な、川脈の持ち主。わたしは、そこにいる水神の方、どうやらあなたと話している間、わたしの良いぐるぐるの“抜け感”が、向こう(「霊」)の地で生まれた。そうわかった。川を乗っ取る気も力ぎもちもない。わたしが、わたしが背のしっかり出来てる時にまた話しかけると本当に話が出来ると思っている、また話しかけてねと言った。同じ人間も悪い者もみんなその神といるから大丈夫⋯よそまで怒らなくて良い、と聞いた。「大屋彦神」といま、言葉をした。

     

    次⋯

     

    「失敗」⋯霊的な面で「ことばが全て」と言った猫をただ悪いものと思い呪った人の畏怖は、実際にほっとくことの出来る能力の優しさを思い出せる。何でも失敗にたいしての対策がまだ甘い。体を美化する前に、怪我をしても、実際治る体を大切にするのは、人道にいるから、そこに自らの韻律がある。その韻律の中で目が浮かない事実という現なる形を仏とみなす。自分の使命が見当たらないのは、まだ仏道そこに歩いていないから=霊をアウトプットできていない⋯魂のアウトプット、練習

     

     

    大屋彦は川主か⋯? 神は、神の前には生きてる人が感じる量より筋力から力から法を軽く持つはずだ、また、そう持つようだ。人は神といる時、初めて見た時、一つと思った、故に人は持たないものを持ち、持たされ、失くすことがあり、責任義務からわたしの「知」を見るまた上部の雷⋯気付く時、 大屋彦は神に後をつけられ騙されることになったのだ⋯「天之常立神」⋯もとの川神 今いちど言葉にする、蟲ー、大屋彦(コロナ)に、「私」の見た大屋彦は、その裾であるそこから見上げる。彼を飛ばし、上にいる神の名前を唱える「あめのとこたちの神、雷神、神へ話しかける⋯大屋彦(蟲ー、コロナ)、あなたの裾がここに座っていて困っています」


     

    「自分」が器になり、理解が入る。「前」という自分の顔から離れないように、苦いことから改める⋯自分に気遣い話すと、知らないことがある⋯ 出来た ⋯「前」⋯その次が前⋯自分が過去、出来なかったことの方を信じる⋯信用⋯「自分自身が認めたい」インナーチャイルド

     

    「修練」⋯練習を追求する語。この言葉は定番なのに、定番化されていない

     

    歌や字、そこに有るから上手くなる。そこにあるものに対して、形よりも、目的の上達、上達すれば軌道修正も早くなっていて、どこかへかは嵌る。修練⋯この言葉がある時はみんな上手い。

     

     

    シンプルに生きてる人は、多い。

     

     

     

    肉体と仏様を見分けれないことが問題。光は光、輝きは輝き。二本の指を持ち、みて、自分の目と触れ合う⋯すぐに解る

     

     

     

    必ず有るのだから。

     

     

     

     

    冒頭から上記のことが、これらで認識出来る。

     

     

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  • 方法論30,31 長く思う

    江戸時代⋯不思議をそこかしこに思う

    明治〜平成⋯不思議のない世界

     

    愛すること、もうここから離れないとそう思う⋯それでも、何か引っ張る

     

    社会後成った真新しい苗⋯聞く、相談

     

    先人の一定の知恵⋯ふんだんにこの苗を使う、神仏に!

     

    両立の中知る⋯国の中の、大きさ⋯地の相談相手

     

    アッテル⋯こうと思ったらこう、蜂、屋守り⋯巨大陸の精神上

    海⋯噂がまだ立っている

    パンゲア⋯魂が昔一つだった、触れ合う精神の中に割れ目があり、断裂面の痕跡が残っている

    トラブル⋯情緒面のみ、だけ

     

    月夜もある、太陽もある⋯情緒をしまう人間愛だけの第一世界、ここへと思う時始めに思う通り大事にそして体の動くままに

     

     

     

    →瞑想と想像を叶える

     

     

     

     

     

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  • 方法論29,30 菩薩に守られて生きる

    誓います

     

     

    私は私で感じ、祓い、ものごとの気配を察知し、説明し、仏の平和を守ります

    良く生き清めます

     

     

     

     

    手品にタネはありません※!

     

     

     

     本当にこの様に人間の心の精進と成長と日々により、自分の想像力が解って来ます。ですので神仏へ相談するのは、私も決まった話し方や情報の何もないところから、1日1日、石を剥くように理解を進めしています。希望が、有りますよ。心に真面目に向き合い、ちゃんと生きて、自分の思いを高めましょう!

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  • 言葉の自由を求めて

     

    退廃主義という唯物論の一つは、或いはロックなど、先の心に継承する鳳凰の刻、龍の刻、その刻変わりとして、時代と敬愛は伝えられる

     

    陸と海が有って、大地が開ける

     

     

     

    下記のこうした絵を、「短冊」といって、能楽などで知るのだ

     

    夏、笹に色紙にお願いことを書き、織姫と彦星の逢瀬を祈る日、お月様の光りに翳して置く

     

     

     

    サンズや、島爺、syudou、kikuo、キノピオピー神っぽいな、meiyo、

     

     

    本当に様々な願い事から、今後を占うことが出来る

     

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  • 般若心経

     

    向く方へ歩け、現実性を得る

     

     

     

    生活と光の過渡期を、時代として暮らす

     

     

    悟りの項である「供養」について。霊は、亡くなった人が、そのままでもなく、形を持って異常の時は、異常と伝えてくれる

    思い出すのは、生きてる人だから。地道に浄化そのものを見守ってくれる。君がそれを光として顔を上へ向ける時

     

     

     

     

     

     

    そもそも、徐霊がしなくて良くて、

    単純にコロナを除霊とも言うが、「浄化」だけがある

     

     

    頂いた時の光に、現実の仏像、現実の想像を合わせる
     

     

     

     

     

     

    仏、もともと一筋縄で話せない、精神を感じている

     

    なにか、こう。神にも仏がある

     

    暗いときにかまえる鬼面の仏像や、神秘、がある。地上と空が繋がるような天が人にはある

     

     

    天地が存在する日、神の「存在」についてよく考えたら優しさが、実在するのだ、と思うことの出来る感情と苦集滅道を覚えた、言葉がわかった

     

    愛と情けの形に異なりがあり、中身に変わりないことである。正しい道にいないと、噂も道も正しいものである筈はない

     

    鬼が死ぬと、明王になる

     

    あなた、と自分に語り、心の中にそれがあることを信じれる 

     

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  • 幸せの実感

    幸せの実感、これが痛切に少なかった。嬉しい気持ちであってもそこに留まりにくかった。内容面が本意とズレてしまったことを考えても、あまり意味を感じられない。これが蟲「コロナ」の通年だった。今、人が何考えてるのかわからない。楽しみだ。

     

    偉い神様に恵まれているし、あなたも存在する。ゼロじゃないことを豊かに持つ。

     

     

    私には格好いい神様がいる。

    着物を着て、話し方も違う。話すスピード。馬にも乗る。茶道も、華道も確実に毎日して身近である。

     

    土着性などのそれ自体の気高さや感謝でその時、星が神と繋がる感覚だ。

     

     

    ここで、自分とは違う、と思う。

    普段着をそれなりに気にし、土着性に従うこと、空気の流れにたいして密着できれ着物、極めたあとこう意図される形。しかし、神からもたらされる街やモルタルの並びには、東よりも西、森の魂を却って実感させられる。故に、神様自体も移動はしやすい。優しさを信じて話す。

    空気をちゃんと含んでいるというTシャツの良さ、を肌にして、

     

    着物を着る身なりにたいしてではない、肌纏、絹や洗練していった良い物について知るのは、万人で国の拘りを引いて体調を整える。

     

     

    神に聞く、何故楽しいの?その答えを確実に自分に近づけれますように。

     

     

     

     

     

    私は、持てるものだけを持つことの出来るその範囲、その霊界を信頼して、三十年も生きたら自分か自分のものじゃないかは分かり、引き攣れを起こしている何かの類の悪霊から、仏に導かれるばかりだ。

     

     

     

    どこでも起こってる出会いに感謝。

     

     

     

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  • 瞑想(I)

     

     

    片付けにくいが、こう思っているこれを理解する自分が先にいるとは思う。片付けにくいが。

     

     

    高さについては、執着があったから考えれた、まず海陸の違いを前提に袂に置いて、言葉が違う、からくりが違う、と、自分に知れない機械デリカシーや歩き方そのものや想像力を、知れないもの、としても新しく発見して知った。だから、話す高さを思うに「幅」という表記を見つける。雑事を除いて、ただ通年の想像の広がりに心を委ねる。祈りにたいして、俺が特攻隊じゃ日本人殺してやる!と受け取る。私は現代人、あなたのこととは関係がない、わかりました、でも知りません。そういう人の方が多い。理由がわからない、何で私が受け止めるのか、を、一番怒っている。戦争は少な過ぎることで、人のほうが多い。想定していることは理由があり死ぬと決めてかかっても後に、涙が滲むような跡を想像しても、こう肯定されることを望んでも、私は戦争には関係がない。涙が滲む、と想像したのは私だし、もしかしたら向かわしてもらったのが嬉しかったのが付いて行かしてもらったんだろ。何が戦争だ、阿呆

     

    嬉しい気持ちをただ前に出す、これが難しい、私も今してる。技術向上とか、光の中を抽象といってある形にたいして思う。歪めずただ拳を前にだす。これが技術だ、と言う。

     

     

    特別な自然よりか、それは家の板や床引きなどを目にしても、ああこれを作っているのかを、想像するだけでも“やりたいこと”に近い。それが伸びたものが、他者の考えを知らないでいるっていうことが出来て態度に佇む。普賢、普通の賢さという、その顔が白人に似てる。理解によりいきなり宥められるが。牛に乗る仏、あれは帝釈天。初めて知る世界、、ともつかず何か強い興味を注がれる中、そこには明るい光があるのがわかる。奮闘する子が上手く行きますように。

     

     

     

     

    もっとデジタル(仏界)知りたい、の前にすること、、っていうのは

     

    変わらなかった、という話。

     

     

     

    見えれば見える、閉ざしてはいない人の心の囁きが面白い詩、分けわかると、持つプライドが歴史背景から前提にあり、プライドが、上下を示さず、確実に一緒にいる。持って良いプライドなのか分けがわかると、順繰りで自分の点へ捜索に掛かることが出来る。

     

     

     

     

    感動より感情が強く、当たっていて曇っている。「ゆわれへん。」と、言葉を練習する。感謝と自分の理解したことを。

     

    人と刺激しあい、反応しあって、

     

    笑顔の現実と渦巻く闇の想念⋯、これを自分で這い上がることだ。そこで、待っていてくれているのだ。

     

    それでも、理解の起きてる時点で、“浄化は進んでる”

     

    人間関係は良いけど人間間は難しい、それを思って凹む。

     

     

    話されへんときはある、と正直に話してくれた。自分も正直に考えていれば、また友達と友達でも会えると長く希望を持つ。

     

     

     

    昨日思いに見た怖い神様は、蟲ーが近くにいる知らせであった。それは、仏知識の高い神道の蟲「コロナ」だった。自分と私は貝だといった、最近のひと。悪だくみを追いかけても無意味で仕方のないことなどを、蟲ーが人の頃の特長を懐かしく思い出した。

     

    どんな形?

     

    1、盗む

    2、格好を付ける

    3、隠す

     

    蟲ーはこのさんかくだけ、の霊。だから、私たちの見ているものは、何らかの幽霊。

     

     

     

     

    思いにある自由な愛想の表現をまたやって行けますよう。噛み合いには、まだ時間がかかる。

     

     

    伊邪那美 嘘でもなんでもや、これを説く

     

    女神であるから、伊邪那岐と書き換えると、聞き当たりが良い。

     

    神と神道者、光との時間に、慣れた方が良い良さ悪さをその前に知っておきたい。そこから、リズムを掴める。慣れて良いこともあるし、時間の方が必要なこともある。

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  • (脱字修正)信じてる人がそれをすると辛い、手間かけて理解しても現実のもつ平面という面、を、考える精神がある。本当に感動しているはずなのに前に進めない

     

    原理から一歩はなれたとこに、考えがあり、

     

    ポスト構造と、そのまま構造として向かっていく、

     

     

    ここに、考えの柱があって

     

    みんな惹かれている

     

     

    考えるのが楽しい

     

     

    それはどこに向かうのですか?

    背景はありますか?

    考えず無心、という辛くかなしい歴史がありますが、

     

     

    質問の言葉、技術の研ぎから、技に気付く方を先人にするのか、方法をそのまま伝える方を先にするのか、

     

     

    これにまだ喉を詰まらせている

     

     

    感嘆に身を任せて話し出すには、音楽(リズム)の中にいなきゃわからない

     

    一者として抵抗になる自分なのか

     

     

     

     

     

    善悪があるんだという悟りから

     

     

    覚醒者「ブラフマン」

     

     

    心に、映ったスケールではなく、自分の地味な小さな範囲でそれをやっていく

     

     

    上がりもせず下がりもせず

     

    確実に重力を感じれて

     

    確実に重力を自分に巻いていく直の現実

     

     

     

     

    故に、物事の表題が現れて、だから〜どう、という文はなく沈黙して聞いて尊重する、というだけの形になっている。

     

    大和言葉の良いとこは、点呼が決まっていないことである。

     

     

     

    「である」は、学識の書物よりも、分厚い木の説明をイメージ出来て、確かに知識の興味はあるが、である、と言いたい方が自分には大きかった。村言葉として姿勢を傾かせにくく、最適ではないだろうか。直感。直感の限り、骨を鍛えて広がるように。

     

     

    言語筋力は、心に浮かんだ風景を字にするのに、それを起こす為にすることが日記である。詩を織り交ぜた、自由な日記。「そして話し言葉を上達して不安を減らす」、でも、精神性が今日のように高いと、どうだろうなぁ?と思う。目的は、何だったか。

     

     

    そして、

     

    考えが増える、の意味がまだよくわかっていない⋯

     

     

     

     

    理解と浄化の深い繋がりを感じて、

     

    仏陀として教えてもらった私とは、それを人から聞いた時、その人から聞いたことは変わらず、その人自身が“この時”仏陀と重なり合ったことである

     

    「解」がある、という記号に互いがなる

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  • 方法論30,31良い日と悪い日

     

    悪い喧嘩

    お母さん⋯自分が深く傷ついているとき、何かを言ってくる。抵抗しても意味ない、自分が言葉の前後があるから前向いてた、お母さんは、「お母さんが悪かったわ」

     

    粘り強く話してみることが良い

     

     

    ・お母さんが悪かったわ、といってくれたこと

    ・笑顔

     

    この二つが大きい

     

    私はこれからに、緊張している

     

     

     

    こなれた夜も、

    暗い時は、暗いことを解決出来るから

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  • (訂正2回目)方法論29,30

     

     

    アミリタ花言葉⋯私のように

     

     

    天照⋯歳に囲まれると大人しくなる

     

     

    自分で勝手にいつもしてることって偉い、だから常でなければ距離を置く

     

     

    私を女と呼ぶ時、私の食べたごはんがちゃんと、箸で口に入れたごはんがふわっと服に落ちた

     

     

    感想

    色々思うけど以後は、当たり前だから言わなくて良いんだ、と思った

     

     

    その人にとってはむしろギャグ、安心できる

     

     

     

     

     

     

     

    次、これから下は、是縁のみで書かせて頂く

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    迦楼羅⋯死んだ

     

    「私は喉を潰され、喉を埋められた」

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