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2023/04/29
ぶよぶよの老婆であった。
祖母は、いつまでも預金が降りてくると思ってふんぞり返ってる。特に悩んでもいない。
と、ナカマルが言うてた。
弥勒が現れたときに私は、
・来ないでいいから
と述べた。
今は、私はCLAMPのホーリックや、龍の動画など見て修行の一心を辿っている。
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2023/04/10
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・「私」は森の人。よそから来たまた森の人。
「あなたは木こりですか?リスもいますよ。」このところの賢者はリスに嫉妬します。石とかが無く手持ちぶさたなのでしょう。
・偶然出会った
・小さいけどこっちの野に聖家がある
「ご用なんですな。」
・自分がそれなりに教徒だったことを知ったばかり
瞑想の考え方。
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2023/04/10
独白一人といって風と語り合っていた。
「見切る」
それを纏めて置いておく。
何でそれでモウケがないん?
と、聞かれる。
私は自分のキャラ設定に驚いた。
清貧の良かれがあるからだ、時代だ。と言った。
「道」が、
伝えきれなかった歴史がある。と言った。
客観的に不格好だなぁ、とは思っていた。
聞くところ、昔からもともと恰好の要る国の性格で、
馴染まなくて良い、とか、慣れなくて良い、と言われてるのは、
恰好だから。
らしい。
本質的に、パフォーマーになれる人は漫画喫茶の暗い場所で趣味に耽る。それがごろごろいる。
技に傾倒するから、アニメに偏るのだろう。私は、動きを観ている。「動き」は、その界隈では主体的な感性。
昔の武士は、“自由な”袴を着て、花を生けていた。その点自分たちとは違う。見習いは出来る。
長老は、見て習うから見習いと言い、見習いすらむずかしいと言っていた。
働き詰めているとこう思う、人間を紙の一面だと思っている人でも、紙のように燃えやすいのではなく燃える火には敵わないだろう。もうそこに私の目はないのだから。この火を今日は説明する。
漫画を一枚の紙面にする。
これを心、という間の含めた次元なるものにたいしては、
ちゃんと厚みがあるということだ。
自分の気持ちからかけ離れたセリフでは間に合わない。
心の前に紙面を置いて、いたずらをする感じだ。
それを紙を、しっかり「媒体」にして自分の声を吹き込み、気持ちをそうめんのように流す。
裏を持つことの出来たまま立てる。
…良く知っている話であるが、
これをすることに特に意味は、無い。しかし、何かに役立つ筈だ💦
まぁ、趣味が濃くて装備的なものには合うだろう。
与謝野晶子のスピリットと私は話している。この人は草だったのだ。私は思う、私は草として完結している、何か咲かそうとも色彩が固着しない。あの人は、まだ“自由な”時代の人。詩を読むと面白い、今からでは考えられない形の定式があって、夢と分かって広がりを持っていた。こういう典型的な詩の定着を浪漫と呼んだ。そればかりではよくないと、叙情が枠になって、どこまでも続いていく世界が出来ている。
心で遊び続ける。力は決して、普段で鍛えられ溜める。
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2023/04/10
ゴミの撤去をして
倉庫がやっと開いた。へとへとだ。
自分の意識の浮遊に苦しんでいると思う。気にしなくて良いが、どうにか受け止める。この意識が誰かを傷つけないか、一ミリくらいの大きさに、まで自らを縮めている。
こういう時は、
大きな声で、
「自分、自分、自分!」と手を包み込むように一回叩く。
これを連続で三回行えば、もう自分は自分になる。
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2023/04/10
おでこの広いことを気にしている人は、おでこを見せるように身体の全体を描くと、かえって溶け合い、目立たなくなる。
髪型に力を込めると、服が大したことなくてもよく見えるとは良く言っていた。これを言ってしまったら人の自然にしている良いところを隠す。さらに、顔とは、体全体のことで、大せず逆に衣服の額となるわけ。
しかし、
顔は有り続ける。目の輝きに在る孤独とか苦悩と言える。
自分の憧れる人がどこかにいる、嬉しいと思う気持ちの気品と、
精進して行く道のこと、
二つがあれば、
良い!
最初の方で、危機感を取り率先をしてズレもなく、
「ほっといて」嫌気をまっすぐと綺麗に爆発させたことのある孤独がある、
これが、空想メタと言って、漂うことを許された霊。
その自分自体が、自分自体だけで、社会を見ながら、これ一本で当たって砕けた自信や誇り、開いている、開ききっている心の表現である。案外、この様な小説的なものはどこでも長い。
ためらいなく空想メタが、
天然のシールドに成り立っておるのである。
何かを大切に守る気持ちの点になれば、何らか着地が出来る。
現に、内面は別として活き活きしている。
勘違いをしてきやすく触ってくるような奴の前では、計り知れない力を持った魔人ベジータとして降臨している。これがまたメタと言って、定見があるのも驚いて私は仕方がないが、社会的自覚を前提とした安全なキャラクター(漢字)となり、美しさに驚愕があった。
社会的自覚に縛られ尽くされたまま、なお生きている為、自然と細くなった謎の想像力。
驚きが凄かったのだ。こちらがびっくりしていた。
アニメ、漫画、一体この何に私たちは惹かれているのか?
さて、自分の心を観察してみよう。
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