1万8000人の登録クリエイターからお気に入りの作家を検索することができます。
2025/02/08
擬人体験の奥底
剣は元々守るための物。私は刀を見ても製作の仕組みや素材に関心を止めて、それより御椀の焼き物や皿に心は憧れを持ったわ。刀はきっともっと理性的なもので、感性が感情にある私は、錆びさせてしまうの。良い物、ならば青銅器の鐘のような古代神を連想させるとしたら、気の落ち着きを生む筈よ。お寺の古着市場で美しい短剣にうっとりしたわ。鶏の彫刻と彩飾をなしていた。しかし、今思うと鐘の様に、「物疲れ」ってあるのかしらと。
フトダマ、竹と筍が、どのような関係だと思う?成長した私という本体が現われるのよ、この竹に、白くはない白っぽい実と皮が転がしているでしょう。白くないは濁りの想像もつかず、白色は何かからの逸脱や飛躍を示すのよ。竹に無理やりくっつけたような筍のきおく、私の思い当たりはね、若い頃、塊の筍が大人になると、“その”実相は竹の様に数あれど、本体の形が何でも現われるものよ。筍が竹になった、と目で見比べても、そのあいだは視界にたいしては映ることのない時間が挟まっていることをたしかめるわ。竹としての姿は、この時間はとても長く、人間の一年とは違うのよ。
竹と筍、二つの写真を並べても、並びを並列させた時に「連続性」というわからない真の言葉が浮き出て浮かぶでしょう。
心身のしなりを良くし守る、その川がこころにちゃんとあって、
自覚に包んで青く光り理性、言葉を持つまま言語であるお空を諦めていない。これがわたしの全てよ。
竹が時間の積み重ねにより、まだまだより青く光るということを、実際の風からは聞いたけど。
竹は、呪術者にとっては良いイメージをさせるステッキを着想。この為に、筍(あなた)…ゲンキンで皮ばかりのような者が持つな、と言われたわ。
感謝。
ログインするとコメントを投稿できます。