揶白 (KF)

絵画

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  • 地球感が下手や

    和名を使うがこんなもんはシールと思ってペタペタ貼ったら良い。読んだ人はどんな色かな?と思って調べる。

     

     

    ドライフラワーよりは、枯れた花のはっきりした枇杷色や、紅として、興味があった。

     

    地球に乗って花の朽ちる自分をもう一度確かめよう。増えず減らないカタチの世界で、自分の老いる肉体を木に喩える。こつこつ生きてやると言う、単なる楽しさで化粧水をすること。不垢不浄とする約束を何にも交わさない愛し合うこと、そんな宇宙に入り込みたい。こうして生きて、得た考えが変わった世界をまた検品をし、余計な空想をいくら膨らませても引っ張られても自分の考える範囲を出来るだけ守っている。

     

    肉体がいけない、ということになって来る。裸族を謳歌しようとしたけど服を着る。このすべての物事の原因に似ている。

    これを話したいが為に昔の人が、広くだべる、これを話したいが為にこんな小さな事からだ、という仲の良い可笑しさや笑い声がする。

     

     

    丸々、その事か!それが原因か!?と思うこともあるが、

     

    道が繋がっているようで繋がっていない。外伝である、結局自分だと思った矢の先に、物語が完結した後に出てくる小話だ。

     

     

     

    問題は、橋になる客観性や想像が空白で、老衰してへばりつくガムのえげつなさを咀嚼したあとは、適当に間を塞いだり自覚的に思い込みを出ず漂う気分や心が残る。心こそそれだけが形而上形而下を話すのであり、どんなことを「考え」ても雨粒を身体に記録し、生活空間の間に目の丈が伸びた、もう一歩も動くことのない地蔵である。この地蔵とは、目覚めれば長い人生の中でどこにも知ることなどない人である。

     

     

     

    続く

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