揶白 (KF)

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  • ムーの考察と、心の現つ(うつつ)

    心の中→霊が見えなかったらどうじゃろう

     

    継続している生活とは別の自分の魂(ひ)

     

    つまり、仕事(自分からやりだすこと)

     

    心の中→これは目の自分、目の私

     

    対比   自分の、私の目の前、これを内面→感謝の自分

     

     

     

     

    仕事内容→自分が覇気に負けているとも、思い知ることが出来ないやつ。

     

    →相手

     

    「夢を叶えたまえ、レベル1の自分から。」

     

     

     

     

     

    目の中の雲…精神葛藤、闘心

     

    余計な情報をシャトアウト

     

     

    余計な情報→水を一分~三分

     

     

     

     

     

    哀しいこと→よく噛み締める。

     

    あんな小児科二度と行かない。そう思う中にゆとりを見つける→自由の幅の広がり

     

     

     

     

    性格は変わらない、良くも悪くも。その上に自分がいると、

     

    成長はどんどんすればいいことだ。それとは、その良かったり悪かったりする自分の変化なんだ。と、知れる。人はそれを成立させている。人はそれを知って成立させている。

     

     

     

    知り合いに真実を伝える。

     

    相談出来ないなら、自力を知る。

     

    行くしかないと思います。海外の方が仰った。

     

     

     

    思えば、同時代にいるという奇跡。年下を思うけど自分が前に出たい。

     

    解りの強い者をここに置くのは、思えば当たり前です、鳥は空、亀は湖、ツチノコは草を分ける、

    こんな理解をしていたら、怯えていた高さが、基盤とする腰の重さのことであると。

     

     

     

     

    行くしかないと思います。と、海外の方が仰った。

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

     

    ムーを、

     

    「可もなく、

    否定もせず」じっと見てあげる。自分を釈迦じゃないと答えれた者だけが

    真実を思う。

     

    色んな所に数たいいたコラッタムー

    「何かをその人から殴りかかるようにして来て、私は何かを言った。徳がないぞ、とか。を言っただけで、

    はらいせに誰かを落としい入れる。酷いが、みんなについていけなかったのではないだろうか、そういう弱い反面で生き延び、すると機をみてまた来る。」

     

     

     

     

     

     

     

    仏眼は、お前事だけを映すだろうか?

    あなたが、「私」と言わないから私がモニター像に登場するわけない。地球は丸いし、次元があり、一面のようにのっぺりしていない。

     

    如来→天りんが、先前、とで先の人、自我の存在に分けいった道は、特に誰でも進める。

     

    上、という感性は詩情、ポエジーだが、知識色が強い。と、感じている。

     

     

     

     

     

     

     

    人の勢い      周りを逃さず、

    自己研磨。光の中でも、今までなんやりそうしてるのが、良く出た。

     

     

     

     

     

     

    ムー考察

     

    虚栄心の塊、

    …精神、精神力を指すのではなく、ものに近い。もの程。

     

     

    人の影響…人の影響ではない。なぜなら、関わってみても自分は変わったけど、ムーは変わらなかった。

     

    色々患ったけど、本人一歩踏み込んだ自分。

     

     

    核心をムーと、会話したか…していない。「その人」と大事な話をしていて、彼女からもはい、という意思表示を聞いていた。自分の目が、菩薩にあって、それが見えないものそのもの

    の探究に対する努力だから、心の中に「その人」を見つけることが、天気の陽と陰と、出方や表現が違うから、この形が正しいと思う。しかも、正確と言う。

    ムーが、核心を会話出きる人ではなかったと思う。

     

    「実際に、」一歩踏み込んでいた自分の悲しさ、として自分に残っている。思えば、それだけで偉いと、自信を信じていちいち頑張った。「恥ずかしくて思いだしにくいけど、ムーに見捨てられたことがある。」

    こう心を展開していても、断っても話しかけても「迫って来る」。ムーは単純にそれを外に見えないようにしていたから、ムーが人だったとわかる。外側からムーを見る人と、部屋でムーを見ていた人の敷居が通通だったりすることばかりで、そう感覚的に安心してたことは正しい。

     

    ムーと分かった考察で、ムーが適当に残した傷を、やたら荒れた山とかを景色を見ながら認識して、内面をこう綴じた。あらゆる悲しさも、人が、ムーが退いた後のもとの精神や色、世界にぼちぼち触ってみて、癒しにかかる。呼び掛けや抵抗、支えさえ人から始まっている。

     

     

    程を知ってると、興味のままに心を持つことが出きる。

    自分も本当に老人になる。死ぬその日まで、遊(まな)んで行きたい。

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