揶白 (KF)

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揶白 (KF)

絵画

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    Works 46
  • 日本から見る日本のショック

    キリスト教などは聖書があり、「世界」がどのようなものか年齢が高くなるほど深い理解を施す。

     

    そのように経典がある人と、我々のようにない人とでは世界理解に差が必ずあって、

     

     

    今まで目に見えなかったが、欧米や西洋の方には「優しくされてた」ような気もする。

     

     

    経文などだいたい読めない。

     

     

    向こうの誰と話しても我々より一歩深い、と云うのが街で話した実感だ。

     

    その、知識にたいしては日本の方が長ける所があるかも知れないが、

     

    顔を変えずに聞きたいことや興味を、「三分で何が出来るか?」のように

     

    絞ることが、我々日本の豊かさに向けたポイントとなる。

     

    何らかの外の情報や答えを作るからだ。

     

    ベタであるがその扉を開くかが、肝心なことは通説で、そこは同等であるのが「紳士的(向こうに合わせた)」な我々の気づかいであろう。

     

     

     

    ちなみに近隣としては、よくたまに見かける暴れん坊や奇天烈に思う中国の人とは、

     

    こんな人はいないか、助けてやる、というラブコールがほとんどであった。

     

     

     

    自己や宗教なんて戦後から全くわからないぜ。

     

    この日に、このトラブルの原因が「幽霊」なのだという

     

    元来の神を養う国としての風情を取り戻さんとして来ています。

     

    その証拠に「物語」が隋一をはかっている。

     

    それでよし、じゃないこともわかってる。

     

    「他人と話を展開させる。」だから、我々は自分、日本の者としてのルーツに関心を向けだした。

     

     

     

    私の意見として、我々のすべてを囲う日本海が端から端までぼんやりとし、

     

    よく笑え、と云われるが、

     

    まず心としてかなしみについて良く思うべきなんだと、

     

    世間におこってることの、なにが気持ちの暗さか?

     

    自分で抱えきれないわけは、

     

    実際歩いてあるいは想像して、正しい海を自然と向き合うことで変わるんだ。

     

    心が人間として最も高度のものだから。

     

    それしか幸福の道はないのです。

     

     

    なにか切羽詰まって重いものを感じさせる、暗さにたいして品が有るような、

     

    清まり。冷静さ。神として(神と、思う) 不幸の気高さ。

     

     

    ほどよい闇が忘れられて来て、本当の闇を洗えなくなってしまってることも多い。

     

    雑念は、暗さが溶かせるものなのにだ。

     

     

    「ハッピー」も、わかる事の部分を人間として、KYにならず増やしていく。

     

    笑いとは、微笑みとは、自然体のことなのだ。

     

    えがお が、決してめに見えてなくても、無心になってるときはその人の心が笑っている。

     

     

     

     

    「幽霊」なのだという、

     

    たいして客観性を持ち、文化的に、臨む。

     

     

     

     

     

     

     

     

    漢字やかなの字とともに暮らす我々は、こんな複雑なことを普通にする。

     

    もっと上達したい。 さらに、深くそう思って居る。

     

     

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