淑白

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  • 勤行新書(1)書き直し

    人の協力が有って、心の場所から 人々は色んな事を思い出そうとして居る。 つるぎが、色んなことを当てて呉れる。 モノクロのモニターだが、目を瞑ると感情が本当にカラフルだ。 赤と云う一色がこんなに色んな顔を秘めて居たなんて、知らなかった。 手の中は、勘定をする事に趣が有って 魔法を大きく包めるでも無い、ただ「人は人だぞ。」と云う事を「愛」とした愛を、大きくも小さくも無い此。 釈迦无二佛が何をするかと云うと、金色(こんじき)が奪った愛たちに、こうしてもう一度色彩を与えること。 髑髏の指輪が何を数えるかと云うと、 女が、男が、恥ぢらいを持ってして尚生まれ、垂れ、零れる花びらの枚。私の情けないそのことや、情けない人を好きな事、純粋な醜さの中にキスが有る事。合った孤独とのキス。 何度も、何度も、鏡を見る。

    女の怠慢はゆるされている。 女は綿毛の様に一切して選ばず、選べず、男の唇のままに進むではないか。 花言葉や歴史的名言、疑い、何を信じて居ようが、私に取って男だけが御宗教とうつくしい事で有る。そのうえに、日蓮が居らっしゃる。わけがわからなくなるほどに恋をしてる。

    女は、生まれたのなら低俗で有る事を意識しなさい。 身を小説と衣装で包んで心隠す事に甘い香水のような香りがします。 嫉妬は、その対象が女の最大の恐怖で有り、自分でも大変みじめで、攪乱される心を持ちましょう。 そのときは、自分なりの真向うで、口を開いて話しかける勇気を持つ事です。あれは綺麗だとか、気高さはここでこそ養われ、人間として有る唯一の性を自分が育てる気でが居ないといけません。如来は男も女もそれ程、端た無いという事なのですが、女と女が話し続けて居るうちに、自己の霊格が上がって、依って、その恋が、決して男と認識し得ないひとと見抜ける事も有ります。何か云うたら飢えて居てそれ見よがしに飛び掛かって来ますので思って見放しなさい。 情けが有ろうが何故なら人間は性を持つ限り、お金を持っても、成功しても、どこを見渡しても美人は居て、少なからず、そのひとの心とは手に入らず、馬の様に扱われるばかりで有る。嫉妬の先には嫉妬が有るから私の苦しみはいつまでも直らない。まして憧れとは病いなのですから、ペンを持ってこの気持とついに仲良くしなければならないのです。自分からふつふつ沸いてくる感情と友達になった時、あなたの新しい感性は咲く事が出来ます。その花弁に自分を休ませ、姫になりなさい。

     

    美は後天的である(子供はそれを美しさだと云う事を知らない)。 知って居て苦しもうと、知らずて、唯一の物で有りつつ、幾数有って、 美しい殺人なども有るが、其れをし模して 亦人が殺され続けたとして、それを美しいだ等とと云えないのは、理想を叶える事と美が打って変るものだと知るから。だから、実存等言葉が有ったりするのだ。人の死と云う綺麗事と美しさは違う。 紙とは、その様なな奥行きの無いもので有る。人を傷付けるばかりの下らない光の反射を繰り返してるだけの、器も、魂も、袋も無いスクリーンの様なパターナリズムを繰り返すもので有る。 絶望や希望をして居る、それが此時、前に倒れることを意識すべきである。祈りとはそう云うものだ。ある此の一歩を、私の熱を、高々と踏み出す。悔い等この先も抱えるのだから深く前に倒れて、ぐっすり眠ることだ。未来に立って、やっと恋すればいいじゃないか。 次世代にも次世代が有る。良い事ばかりを伝えられないのだ、子供は大人になるのではなく「私」に為り、考えるのだ。時間は、甲う前を進む。

     

    「人間」という言葉が出て来たのは「男女」が巡り合ってからか、互いに気付き始めた時から、“同時に”生まれる前から有るものか。

     

    「豚」という言葉は戒律であるか、恋は、迷妄しているか、「みにくさ」は私の中で安らかか、「存在」しないものとは何だろう?

     

     「痛み」は有るだろう? 若い頃は、気取って全然違う方に行ってしまう。そして子供にとって「人の云う事」は戯言で有り、自分より儚く憎しいもの。

    「如来」は、思考の芸術で有り、鍛練をして居て、 誰かが、祈りを人間の作品にまで昇華せしめた。 「芸術」が優れているのは、人間の想像力がたわいのない優しさで有り、そこに荒涼と静寂が有るからだ。 接(だから)愚かで低能な、自分を刺し観察しなさい。此れを「教え」の通り許して認める愛は身体と云う身体から吹き溢れ、守る。何かに刃向かえるのはこのわけです。 「願い事」を恐れやうらみつらみに使うのでは無く、楽しくなるように工夫しなさい。 想像力の無い人についてはその字も持って居ないので正しさを持ち得ません。 そのうちに、身体は青を増し複雑さを得る、心が丁寧に為ると云う事。性(しょう)が有り、奥深くなつて行くのだ。

     

    「街文化」は、新しい。江戸時代なら華やの云われて特別であつたが、人々が気軽に街に住むようになったと云うのが、魅力的な言語の、コミュニケーションの円滑剤となつて居る。 風に為って水に為りながら乗り越えて繋がってゆく事も有るだろう。

     

    啓蒙は、感情を理屈で片付けることは出来ないし、ただ傷んで感じ取る事に「自分は」と云う意見が有り、傷付かない事が全て善かと云われるとそうも違う。正しさは、作られて居ない。人生の物語を聞かなければ、五月蠅いなんて云ってられ無い。 神は危険では無いが、神の様には生きられないのかも知れない。人を信じる努力がわかるのなら、それを追求する努力をしないからだ。 人が有る時如何に神に為り、人間をあっさり辞めてしまうのか。それを防止するにはどうしたら良いか? 「何か」を神と云って自分を誤魔化せば成長せず、神は命を信じてしまう。 星空よりも人の方が先に生まれだ。精霊で有る人は、人と人とは分かり合えないと云う。人間で有る事を守ろうとする時に必ず輝く。怖ろしい龍も、そう云う人を許してくれる。必然としてでは無く、自分が偶然の輝きでも良いから、と云う潔さが、微笑みの秘密。

    如来は、色んな事に免じる責任で有る。美しい客観性なんて見る影も無くなる。ひたむきな恋が、人を星空に陥れた。空の割れ目が輝いて、接着した。

    「アダムとイブが、今夜、宇宙の底を見つけた。辿り着いて、菩薩の正体が、案外何でも無い事を知った。故に清かったのだ。希望等何かと有る自分が罪で、恐怖と罰がただ「在る」事を知った、正直に生きてきた格が有ってheartを真似出来ない。美はただ悪いだけで、芸術には格調が無いから、アメリカ人は大事なものを、一言で「poet」と云われた。heartは止まらないから、押し戻されるように天使は牢獄で、君が何か云うのを待つ。自分が何かをもっと良く知らなければ、成立しない会話がテレビ中で流れて 宗教が何なのかを、日本人が人間の言葉で云えないのは、其のことが彼方にとって不親切だったそうだ。 仏教の所以が、有り難過ぎて、格調が上がってしまい、固く大事に閉ざされて居たから、謎すら忘れなければいけなくて、触れない慎ましさだけが残った。しかし宗教をがんばれば、自分の答えを出せるような気もするけど、神に宗教の意味が伝わって居なくて、自分もわからないから中国人と交信してる。思わず仲が良い。そこに美人が加わると、話の趣旨をすっかり忘れて、とんがりコーンを食べ、熱が出て、心配しているうちに好きな人は家に帰ってしまったからショックだ。二度とハートで付き合いたくない。」 希望にしっかり掴まって居たら良かったが、冷え冷えとしてよくわからなかった。国の重要な三つのポイントは、劣って居て、和やかで、美しい。此の基本を忘れて居た長らく、何か優れたロボットにしかアイデンテティを発見出来なかった。 「心」がでは何か、heartではなく、ハートは何だったのか、理解にとてつもない時間が要る。形の無いものでは決して無いし、自信が無いのに「I」からコミュニケーションを取る等出来ない「怒り」で有る。

     

    御陀佛の教えより人が人を信じれるように流れるような物を書きたい。 目を見てばかり居ると、言葉のスピードに、遅い意味が付いて、意識が逸れて、言葉の良い筋が失われる。こうしたら良い、ああしたら良いを後回しにすると「成り立って居る」と云う美しさが現れる。人に疑われる中でも、正誤の善さをよく考え、善き事に於ける鎖をじゃらじゃらさせ、重力に対して切り替えして、光に紛れる。詩ほど言葉を、知ったこっちゃ無い。

     

    行ける、私の船は飛ぶ 降る雨も、縫い、男に会いに行ける。 晴れ間にはしる。 そこには何も無いが 有りて有る宇宙へは、続いて居て 私は花と宇宙を食らって 私は私の「傷」が付く。

     

    思うに憎体と私は友達です。何故ならなんど愛しても、私は記憶される事なくそれでも好きで、私を記憶しない精度の恋人の、実在仕切らない黒薔薇の様な目つきの愛に包まれて。 何の理解が追いつく事も無く、心を開けばただただ悩むことの一心だ。 人間の正しさを、知れてる事だと知らない人は間違って居る。 目の奥は「あなた」。 抱き合うようなことが必要で、 やけに孤独な時間を思うて居る。 君の愛の様々な言葉に、僕は「会ってみたい」と云った。実に軽い言葉で有る。 奏でられる君のピアノが止まる。僕は、表現を続ける。 言葉が、宇宙で唯一なら証拠に私は震えて居て、軽蔑は無い筈で有り、よゆうを持っているのでは有りません、ちゃんと実体が有り哀しいのだ。 僕が「好きです」とはっきり云ったらどうだろう、嘘らしい馬鹿らしい。 目にキスをされない、と云ったところでくづれおちてしまう。

     

    話を返って、憎しみのリユウは恋と云って仕舞っても良い。 純朴な興味がいつも含まれていて、また狂った愛で有るので近親相姦も有り得て、実際考えないけどそんな夢を僕の恋人に割り当てて。 「生まれ変わったら、友達から始めませんか?」君は云う。 恋人だったのに、嫌われたのだ。 「何故、僕が突然現れたままのお前を大事にするの?」僕は怒ってしまった。 悲しむと、「次」なんてないし、正しいから、とかじゃなくて何だか、寝ても覚めてもそうしたいんだ。

    「欲をかかずにもう一度がんばりませんか?」頼りなく僕が云った。 アニメが、黒い薔薇よりもはるかに、彼らが僕にとっての詩人で有るのだ。ひとに見える糸は見えない糸を隠してしまうし、ひとに見えない糸は、自分すら出来ない事で責め合い、逃げあう。 そういう形をした彼女たちの瞳、紙の上に成り立つ嘘が、見る夢が、私の影をはっきり捉え子供のうちは虚しく、大人になったら私を焼いてして。吹き出しに「醜い!僕の顔。顰蹙だね「信じられない」よ。安々と愛を叶える…高潔な詩性、」

     

     

    「私ってひねくれてますか?」

    「何パーセント曲がっていると、ひねくれていると云われるのですか?」

    僧が、「38パーセントだとしましょう。」

    「感情がまっすぐの人は、どんな境遇なのですか?」

    「どんな境遇でしょうね、それをいちいち考えない。」

    「私は何パーセント歪んでいるのでしょう?」

    「答えるのは難しいけど、100パーセントでした。」

    「これは誰かのせいなんです。僕は本当は違うんです。」

    「優しさを理解して居ますか、あなたがあなたの心を誰かのせいにしてしまうと、人は泣くでしょう。それであなたは何を覚えるのですか?ああ、誰かのように為れれば良いけど、譲ってしまったら、納得行くんですか? 善くゆだねる事さえ出来ない」

    「わかりました。50の傾きを直します。すいませんでした。たった優しく有りたい自分のたわいない事を叶えることが、骨を折る様なことなのです。あさはか。」

     

    お金に気を取らす事も無く、心が相手に興味を持って、興味をもった相手への質問を成功させる事。静けさとは精神の射精から為って、「話」を最後まで聞いた人は黙る事と喋る事が良く分かって居る。 心の会話を果たす場合、目を開けて居ると数々の理論で遮られるが、私は目を閉じた所に置いて、痛みを感じて居る。人の心が、物が見えて居る、と云うのは“何が云いたいのか”を思いやって耳を澄ませている。何かを、汚いと云う事が減り、内面的なものを理解する。感覚的な察知をする人も居れば、推理してキャッチする人も居る。何も聞かずとも、愛想と相槌だけで救われる事も多い。

    痛いと云う人間性は無くならないが、気と精神力でで超人的に心と統合するが出来る。美をついに美と認めたので有る。ケチで意地汚い黒薔薇江。南無。

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