サカグチテツキヨ

グラフィックデザイナー

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大阪府

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http://www.fengfeeldesign.org/
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サカグチテツキヨ

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サカグチテツキヨ

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    Works 36
  • IMAGESTという奇跡 その1

    IMAGEST
    http://www.miwakazuki.jp/imagest/

    ボクは日本というせまい領域だけでしか物事が見れない人です。
    グローバルなんて言葉は縁も所縁ないような人です。
    飛行機さえ乗った事がない。
    日本には一体どれくらいの人がいるんだろう。
    一億人くらい?ああ、1億2千万人か。
    実感が沸かない…。
    ていうか1億って一体…。
    それくらいお金あったらいいよね。
    一億人の人が1人ずつボクに1円ずつくれたら一億円になるよね。
    ああ、そうか前の定額給付金もそういうしくみか…。
    よくもまあ1億人に配ろうと思ったよね。
    どっかのテキストで見たけれど、
    1人の人に集中してあげたらアカンかったんかなあ。
    それか10000人くらいに集約するとか、
    運が良ければ全国民に中から抽選で10000人に10まんえん、
    え、ちゃうか、
    たしか定額給付金に対しての割り当てが2兆円(75兆円中…)とか言うてたから、
    それで計算したら、
    あ、1人20億!いやあ、そっちの方が楽しいやろ、
    むしろ100000人でもありやんな。
    2億円やもんなあ。
    まあそれはさておき。
    だいたいからして1億人でさえ数字という概念では可能ですが、
    実際のところ実感が沸かない。
    ていうか生きている間にそんなにたくさんの人に会えるはずが無い。
    ていうか100万人でも難しいし、
    10万人という規模の人だかりでさえ想像するのが難しい。
    100人とかやったらいけそうやなあ。
    どうせ抱く女性の数なんて1000人切りとかなったら凄い絶対ありえへんし、
    そんなに腰持つんかさえも怪しいもんである。
    果たして10人でさえ怪しいもんである。
    1人で終わる人も居れば、
    一生抱けないで終わる人もいるんでしょうきっと。
    1人の人と1万回するとしたら、
    最短でも30年間毎日するっちゅう事で、
    出すって事を前提にした場合なんて、
    これまた大変なもんである。
    コンドームの代金もバカにならないし、
    さすがにずっと中に出したら子供も出来るやろうし。
    外に出したとしても、
    体力的に絶対つらいもんがあると思う。
    ていうかその前にそんなペースでしたら飽きるし、
    どんどん工夫してけばいいけど、
    その内にどうせ別れるのが関の山である。
    けれどどうせなら100人くらいのいろんな世代の人を抱く事が出来れば、
    それはそれで1人100回くらいは出来ちゃうんだろうなあとも考えられなくもない。
    いいなあこの例えは。
    なんの話やねんてなもんですが、
    段々近付いていきます。
    いやあ、人生、一度はそういう風にモテたいもんですね。

  • 花形装飾活字を愛でる その114

    エンスヘデ活字シリーズ60の花形装飾活字のアウトライン化したデータ差し上げます。
    詳しくは
    http://www.fengfeeldesign.org/をご覧ください。
    お待ちしております。

    配置については悩ましいところのような気がします。
    これって花形装飾活字に限らず、
    とくにグラフィックデザインの分野の方は同じ印象を持っているんじゃないでしょうか。
    結局デザインとなると誰かと一緒に作業することが前提になる訳で、
    その中で個性なんて話になったらややこしくて仕方ない。
    大体からしてデザインというスタイルで個性とか言ってる時点で無しなのかも。
    と言いつつやっぱり個性というか、
    せっかく作業するんですから、
    自分の意図というか反映というか趣向が其処にある事もまた、
    それが腕の見せ所なんだろうけど、
    元がさ、元だから変わらないよね。
    そうなんですよ変わらない。
    どんなに個性とか言っても元が変わらないと変わらない。
    じゃ、オレたちゃなんなのよって思う訳ですよ。
    最近の会話の中で、
    スッゴイ技術持ってる人がいて、
    めっちゃ追求してるんだけどどうも成果として上がってこない。
    これって一体なんなのでしょうね。
    まるで花形装飾活字みたいなもんだよね。
    主流となってスゲーって言われてる技術よりも凄い事してんのに、
    それに誰も気付かない。
    というかその価値を分かるだけの知識が無い方が多いのが残念です。
    時としてどっちのせいかなんて、
    わかりゃあしないけれど、
    確実に言える事は両方とも下がっていて、
    高いところにいる人が何故か損してる。
    その現状があるのだけは言えるし、
    結局メシ食っていく為に、
    低いところに合わせなきゃやっていけない現実もまた、
    何回もよく似た事書いていますが、
    多分この花形装飾活字も似たような境遇だと思う。
    技術の置き去り。
    既に生まれた時点では、
    何もわかっちゃいないやつらが勝手にスタンダート作って、
    私物化して肥しにしちゃってますが、
    それがあまりにも醜くひどい有様で範囲も相当なもので、
    明らかに洗脳されまくってますが、
    その箍はそろそろ切れてもいい頃だと思います。
    今の30代、40代以降は完全に終わってて、
    あ、全部じゃないですよ、
    それと非難じゃないです。
    単に全体的にそう見えるという事だけど、
    ボクの世代もギリギリそういうやつらの塊で、
    逆に今の20代前半辺りが凄くいい感じなんだけど、
    まだダメだと思う。
    まだまだ圧倒的に合わせないといけない現状にある。
    スゲーやつが本当にスゲー事になんないと、
    この花形装飾活字みたいな惨劇になりかねないもの。
    1人でも数多くの方がこの視点に気付く事を願っています。
    途中で話が変わってしまいましたが、
    書こうとしていた事は似たりよったりなんで許しておいてください。
    スゲーやつにとって低いところに合わす苦痛は相当なものです。
    それだけは本当に分かってほしい。
    その上で自分が技術者かどうかを判断した方が正解とは言わないけれど、
    間違っちゃいないと思う。
    グラフィックデザイナーなんて自分で名乗っている人達は、
    それを本当に良く分かったほうがいいぜ。
    花形装飾活字の1つも扱えないのならね。
    そういうものだと言い切るバカも含めてね。

  • 花形装飾活字を愛でる その113

    エンスヘデ活字シリーズ60の花形装飾活字のアウトライン化したデータ差し上げます。
    詳しくは
    http://www.fengfeeldesign.org/をご覧ください。
    お待ちしております。

    という事で、
    一巡してエンスヘデ活字シリーズ60の花形装飾活字を。
    やっぱこいつスゲーなあって思った。
    君いいよホントにもう溜息まじっちゃうよマジで。
    久し振りに使ったら思わずずっと使いそうになって、
    この文章書く時間を無くすとこでした。
    はっきりいってこれってまだまだ理解しうるには、
    使い続けて観察するしかないんだけど、
    なんだか、
    IMAGESTのやつにしかり、
    今、別で設計してるやつにしかり、
    そういうのが合わさって自分の中でかなり、
    いつの間にか花形装飾活字への理解が深まっていたらしいです。
    その中でエンスヘデのやつを使ったら、
    思いの他新しい感じで使えたので、
    その報告も併せまして、
    いろいろ絡ませながら、
    次からそういう展開になります。
    にしても面白いよねこれ。
    この造形美ってやっぱり女性的なところにあって、
    なんというか髪の毛とか、
    化粧に近いように思いました。
    曲線の在り方とかは、
    女性の輪郭や柔らかさの官能的な部分に似ていて、
    逆に直線的な部分を構築する事で、
    その不安定なドキドキをカバーしてる訳なのですね。
    だから新たなに気付いた部分としては、
    表裏一体、ある意味でフタナリ…は例えが悪いので置いといて、
    1つの版でもその完成に安定感が備わってる訳です。
    逆を言えば不安定要素をワザと作って、
    複数を使わせるやつも花形装飾活字には存在している訳ですが、
    それにはかなりの数の版が必要になる訳ですから、
    活版印刷という視点で考えれば、
    あんまし実用的ではないように思います。
    という事は、
    これは調べてみると面白いんですが、
    初期のアラベスクに近い花形装飾活字は、
    ワザとではない不安定要素ばりばりの版で、
    複数のものを組む事が前提にしているのに関わらず、
    時代が過ぎていくにつれて、
    その完成度があがり、
    版そのものへの追求へと至った結果、
    このエンスヘデのやつになったんやと思いまする。
    これより時代が過ぎるとなかなか低迷で、
    実験的な革新的なものになっていくのですが、
    あんましよろしくない、
    どっちかというと使えない。
    もうパターンデザインでいいじゃん的な勢いになってきます。
    コンピュータが導入されて一気にそれは加速されたようにも思います。
    日本のやつにしろ低迷期のやつを輸入したにすぎないからなあ。
    こればっかしは好みなのでなんとも言えないんですが、
    やっぱりエンスヘデのやつが素晴らしすぎるでしょうよと、
    これ以上のもんがあるんなら拝んでみたいよマジで、
    完成形なので、
    ある意味これ以上のもんは作れないに等しいですが、
    考え方を変えると違う方向でいいものは作れると思うんですよね。
    その結果がの1つがイメジストのやつやった訳で、
    まあ、でもあれはテイストは花形装飾活字というところに置きながらなので、
    ちょっと小細工をした程度なんで、
    そのような出来なんですが、
    だって、そんな小細工だけでもいろいろ試せるという事は、
    絶対に現在の実用でも可能な気がするんですよね。
    ただ重要なのはその懐具合をどこにするかというのも、
    考えなあかんのですが、
    そういうのを繰り返すことで、
    新しい花形装飾活字の可能性というのもまた発生するものだとも感じています。

  • 花形装飾活字を愛でる その112

    エンスヘデ活字シリーズ60の花形装飾活字のアウトライン化したデータ差し上げます。
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    連結部分について。
    イメジスト(http://www.miwakazuki.jp/imagest/)の花形装飾活字では、
    連結部は極々少ない数で構成出来るようになっています。
    というより基本が連結による花形装飾活字なので、
    連結部分もクソもないような感じですが、
    あえて言うなら、
    種類は多くない方がより自然に見えるようになっています。
    これはエンスヘデのやつを使っていて気付いた事なんですが、
    どうしても、版を構築する際、
    その完成度の高さゆえに、
    どの版を使えば良いのか迷って、
    結局、たくさん選んで変になる、
    もしくはチョイスのミスでバランスが取れない等、
    一応のパターンは設定されていましたが、
    度々そのような状況に見舞われました。
    まあ単純にもっと、
    その花形装飾活字の理解を深めれば良かったし、
    だからこそ魅力を感じているのですが、
    感覚的な部分としては、
    不便のようなものを感じていました。
    もっと直感で組むという楽しみは味わえないのかとか、
    もっともっと理屈じゃなくて直感で組めたら面白いと思いました。
    単純だけど個性が出て直感で組む事が出来るようなもの。
    中でも連結部、
    というか隣に並べた時の版の選定の自由度の底上げは、
    良い結果が出たと思います。
    要するに適当に選べばそれなりに形になるといったノリです。
    けれどそれは使う人の技能に委ねられるといった寸法。
    版のイメージが先行するのではなくって、
    あくまで組む側の意図が優先される程度のイメージ。
    それを連結の単純化という側面で実現したと言い切っておきます。
    版同士の相性という視点でも役割の在り方を明確化しない事でも、
    試している部分があります。
    単に役割を緩めたとか無くしたではなくって、
    あくまで明確化しない事にこだわっています。
    無くしてもいないし緩めてもいません。
    じゃあなんなのってとこですが、
    それは最初書いた、
    極々少ない数で構成出来るようにした訳です。
    複雑怪奇で綿密に組まれた版構成は、
    時には神がかった素晴らしい美を産みますが、
    あくまで役割やポジションを明確にする事で可能にしているんです。
    逆に要素が多すぎる傾向に傾いてしまうような気がします。
    それを否定する事はありませんが、
    今回の意図としては、
    いかにその部分をスマートにまとめ上げるかという点に関して、
    明確化しない曖昧な部分で、
    使用者がある程度定義しなおせるようなものという事になるかと思います。

  • 花形装飾活字を愛でる その111

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    そして、
    オブジェクトという概念。
    モチーフがシルバーアクセサリーであったという事も、
    このイメジスト(http://www.miwakazuki.jp/imagest/)の花形装飾活字に特徴を与えました。
    前回書いた特徴を備えつつ、
    オブジェクトとして線ではなく形としての存在です。
    ここでも悩まされました。
    形を作る事で具体的なイメージが発生し、
    花形装飾活字としての役目とはどこか遠くへ行ってしまうような気がします。
    そうじゃない形とは何なのかが、
    今回得る事が出来た大きな技術の1つだと言えます。
    飾るべく情報を邪魔しない形、
    なおかつ花形装飾活字としての美しさを兼ね備えた形。
    どうしろっちゅうねん!と、
    とりあえずツッコミながらやりました。
    今回のシルバーアクセサリーの形が抽象的な表現だったのも救いでした。
    具象と抽象とはまったく別のように感覚としてはありますが、
    今までのドローイングの作業の中で、
    その関連性に気付いていたのも救われました。
    抽象表現とは、
    なんだかんだいって知覚によって形作られます。
    どんなに天から降ってきたなんて事を言っていても、
    知覚や経験、五感に至る全ての感覚の記憶によって表されるのは明確です。
    具象表現もまったくなんら抽象表現と変わりありません。
    知覚や経験、五感に至る全ての感覚の記憶によってそれは表現されます。
    花形装飾活字がグラフィックデザインそのものだと書いている理由もここにあります。
    つまり、それら中間を搾取することこそが、
    花形装飾活字としての装飾論であり、
    廻りの状況、
    今回はイメジストのシルバーアクセサリーのブランドを構築する1つの要素でした。
    そういう廻りの状況を見極めるのも、
    抽象表現と具象表現の搾取の判断材料であると言えます。
    ん、ちょっとわからない文章になりましたが、
    「花形装飾活字」的なものを構築するという意識では、
    決して優秀な花形装飾活字とは言えません、
    要素や背景を考慮に入れつつなのは前回までに書いてきましたが、
    今回の場合も同じで、
    イメジストのシルバーアクセサリーが背景だからこそ生まれた形であり、
    それがオブジェクトにならなくては意味がないのと同時に、
    実際の在り方として、
    あくまで中心となる情報、シルバーアクセサリーを伝える一つの要素として、
    イメージを構築するものでもあるという事です。
    過去の花形装飾活字のイメージが、
    知らずにその時代背景や要素を表してるのと同じで、
    それを組む事でイメジストのシルバーアクセサリーが自然に連想され、
    なおかつメインに置くべき情報よりも、
    イメージが強くならない形を搾取しなければならんちゅう事です。
    イメージが先行するようなら花形装飾活字なんて形態を取るのではなく、
    装飾とした方が優秀です。
    過去に花形装飾活字が衰退したのもイメージが先行したせいなのは、
    別の話になるのは置いといて、
    次回へ続く。

  • 花形装飾活字を愛でる その110

    エンスヘデ活字シリーズ60の花形装飾活字のアウトライン化したデータ差し上げます。
    詳しくは
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    お待ちしております。

    曲線について。
    曲線の在り方については今回は凄くこだわりました。
    うーむなかなか、いびつな曲線だなあ…。
    ズバリしなやかではない。
    どちらかというと全体的な視点では整っていない。
    という表現で正しいと思います。
    エンスヘデのやつで曲線について散々に学んだ事が多かったのは、
    書いてきた通りなんですが、
    これはつまり、
    前回の図案の一部を再現した形した訳です。
    理屈としてはこうです。
    花形装飾活字は「組む」という要素があってこそ、
    その曲線の優雅さが発揮されます。
    エンスヘデの花形装飾活字をアウトライン化の際に、
    その曲線の在り方を観察しました。
    その結果いわゆる正しい曲線ではなかったんですね。
    けれど図案全体でみると心地よいものに変化していたんです。
    それを組み合わせる事でもっと不思議な美しさがありました。
    つまり今回のイメジスト(http://www.miwakazuki.jp/imagest/)では、
    自由度の完成域を広げたと書いてきました。
    曲線のいびつさの理由は其処にこそあります。
    図案の一部を再現する事で、
    過去には不可能であった図案からの組むという動作を可能にし、
    組む事での曲線の美しさを最大源に引き出す工夫として、
    1つずつの図案を全体で見たときのいびつな曲線となっています。
    これについて、
    印刷の版の作成の歴史は碑文の職人、
    またはカリグラフィの職人による技術が底辺になっていると考えられます。
    また、エンスヘデに限らず、
    もしくは花形装飾活字に限らず、
    活版の書体の素は手描きの設計が素になっているとも考えてしまってもいいと思います。
    という事はその際に用いた道具を想定した上で設計をすべきで、
    そこにこそこの曲線の美しさのヒントがあると思いました。
    例えば英字の「O」なんかとくにギャラモンあたりのセリフ体を見て欲しいんですが、
    上と下の部分が細く中腹になるにつれて太くなっています。
    (古い文字を見ると1画で書いている為か歪になっている)
    これは何を暗示しているのでしょうか。
    版を使用する前は手書きであったのは予想に簡単ですが、
    装飾もまた印刷という領域の花形装飾活字ならなおさら、
    同じ技法と道具の蓄積は考慮にいれなければ、
    あの曲線は再現は不可能だと思います。
    答えをスッポリ言っちゃうと「筆」です。
    特に平筆であるとテキストで見る機会が多いです。
    活字に見られる特徴は平筆に近いので、
    後に平筆になったという表現でいいのかもしれません。
    これに気付いた時点で全てに合点がいきました。
    つまり筆のクセみたいのものを除去しない事で、
    ノイズとして混入させる事で、
    あの心地よい感じが生まれていたのです。
    今回は特に「鉛筆」でデッサンをしています。
    単に筆でやったものをアウトライン化するのでは、
    カリグラフィと同じ領域であって、
    それを再現していては、
    花形装飾活字とは言い難いものになるのではと感じました。
    なので、
    「鉛筆」で「筆」の独特な曲線美を二本の線でオブジェクト化する事で、
    筆の概念を再設計しています。
    ボクはずっとグラフィックデザインをしてきましたから、
    今回のもっとも試してみたかった実験は、
    どのように搾取するかにあります。
    筆の概念を鉛筆で搾取する事で、
    筆ではない具体的な造形美が製作出来ると考えました。
    その結果、
    このような歪な曲線が生まれました。
    が、組み合わした時の心地よさは半端ないとともに、
    それぞれには適正のサイズというのがあって、
    そのサイズを調整する事で単品で使えて、
    従来のやり方(古典的なです)でも可能になり、
    印刷にも耐えれるようになっています。
    これについはもう少し書きたいので次回へ続く。

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