静岡市葵区の新田育代のビジネスイソップ物語

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警察庁に質問

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警察庁に質問

by 静岡市葵区の新田育代のビジネスイソップ物語

  • iコンセプト

    警察庁に捜査の依頼

    ももこたちはいっさい買い物歴をみてもイオンのようなところしか洋服を買った履歴がありませんね?私の父のお金を横領してお台場にタワーマンションを購入したり捜査科学研究所でわたしのプロジェクトをやりその給与が支払えるまではです。いくら東芝の子会社の勤務する夫でもそんなにいいくらしはでできません。
    元夫とおなじくらいの所得ですね。年収が800万円くらいですね。40代でです。


    それでも公立高校にいくサラリーマン家庭のいえです。母のとしこは第三号です。兄弟の果物屋でのしごとはまったくおかねをもらってませんでしたね。元姑もその夫の元夫の父親もまったく給与をもらってなかったよです。元夫の父はただ働きで、その報酬をとして果物をもらっていたようです。


    ももこの母がももこがこどものころからのスーパーの買い物歴の捜査で近隣のスーパーの防犯カメラのデータがセキュリティ会社のデータセンターにずっと保存されていてすべてAIで操作してましたね。たしいたものはかっていませんね。変わったスパイスや変わった食材などです。料理にはこだわっていたことはしっていまます。もらったことがあるのは煮しめや鶏肉とひじきの鮨です。あの家は煮物料理をおいしくつくるのにこだわっているようです。長野の佐久市出身です。だから農家がすごい煮物がうまいことをしっています。それでどのような農家があんなおいしい煮物をつくるかをいつも研究していたかんじです。それがももこの母がこだわってる分野の食です。


    ももこもその家族もこどものころからファミレスが主流ですね。学生時代のももこもブランド品なんてもってないしフレンチやイタリアンなど高いレストランにはいっていませんね。

    わたしの自宅の料理のレシピ集やわたしが捨てた本をももこたちのものだと嘘をついたのですね。

    わたしがすごい数の本を所有していたことは大学院のときに公安警察法の自宅捜査ですべてしっているはずです。当時の捜査員が全く理解できませんでしたね?



    すべての雑誌や本は800冊以上ありましたか?それとももっとありましたか?一覧にしてリストを作りましたね。

    そのほか海外のパリやミラノやニューヨークのブランド服を何着ありましたか?日本のアパレルブランドはほとんどありませんね?その当時は静岡のデパートでは洋服がかっていませんでした。新宿伊勢丹ではプラダで靴2足と洋服一着や西武の商品券を祖母がくれたときは池袋西武デパートのニューヨークコレクションのときに東京のお台場のコミケの帰りにジル・スチュアートで洋服をかいにいきました。すべてセトルダウンで買っていました。月8万円くらい。コートは一着10万円以上のものを4着は買いました。すべてセトルダウンで買いました。ミラノコレクション時代のエンニョカパサ時代のコスチュームナショナルの厚手の真冬用のコートを3着とミラノコレクションのアルベルタフェレッティのセカンドラインのミラノコレクションのディアルベルタフェレッティの赤の真冬ようのダッフルコート一着もっていました。通信制高校にいっていたときはです。短大から大学や大学院のときはブックオフの系列のハウマッチでかなりかっていましたが。

    私が大学院のときに毎週どこに外食肉かも捜査しましたね。わたしのあしどりです。よくいくのはハナハナとうキハチでパスタランチなどで修行したレストランと中島屋グランドホテルの四川飯店の中華でエビチリ定食や海側の久能のスペイン風のシテイホテルのサングリアでパエリア。戸隠でそばがとくにすきでそれ以外に毎回いろいろいきましたね。パン屋は近隣のハニービーで山のようにかっていたのをしっていますね。ケーキは毎週キルフェボンでコーヒーのタルトをたべて、近所のハニービーのとなりにあるベリーベリーでブラウ二ーのうえに生クリームのかかったカップケーキをいつもかいます。あとは大学院のかえりの夜に当時キヨスクにプルミエールのプリンがありよくかってかえったのをしっていますね。マリアサンクという西武デパートの近くの童話チックなカフェにもよくケーキをたべにいきました。パンはそのとうじはリュバンはやめてしいました。わたしの高校生の時のリュバンがすごいおしゃれなケーキ屋だということはしっていましたね。青葉通りにあったむかしのリュバンの内観はすごいおしゃれなデザインでした。いまのださいキャラクターケーキの店とはちがいます。ケーキは西武デパートのとなりにみずほにあったプルミエールの路面店ができてからすこしいった記憶があります。みずほの本店しか店がなかったころは一度だけ18歳くらいの時に行った記憶があるだけです。またアトリエカラスという草薙の静岡県立大学の近くのすごいおしゃれなカフェにもよくいっていました。それもしっていますね。県大のおしゃれな女子学生がきていたかんじです。あとは草薙のほうにもおしゃれなカフェがありよくいきました。よく伊勢丹でフルーツジューススタンドのブドウジュースをのんでいたのもしっていますね。ジェラートは久能海岸のいちごを中心にしたジェラート専門店がかなり前から話題になりそこもいきました。すごくおしいみせです。キハチのソフトクリームも伊勢丹静岡にはいってかったことがあります。伊勢丹静岡のデパ地下がリニューアルしたあたりに利用したおぼえがあります。地元のセレクトアアイカンパニーというおしゃれなセレクトショップの運営する呉服町通りの2階のカフェでよくランチをたべたりスイーツもたべました。あとは伊勢丹のうらのイタリア料理店でもよくパスタランチをたべました。あとは入船寿司の両替町本店の鶏のから揚げがすきだったことや静岡駅のパルシェの魚がし寿司の回転すしがとうじ有名でした。そこもよくいきました。御殿場のアウトレットでもよくはいった記憶があります。クレープは新静岡センターのところがわたしの中学生のときから有名でその当時も頻繁にいきました。平日は戸田ブックスのたいしたカフェではありませんがそこのギャバという赤ピンクの果実の100パーセントフルーツジュースがすきで頻繁にのんでいました。ラーメンがあまりいきませんがたろうずとうラーメン店がスクランブル交差点にありそこにたまにいきました。あとは一回きりというレストランがほとんどです。クリスマスのケーキは当時駅南にあったホテルセンチュリーで一度かいました。大抵はトップスのケーキだったきおくがあります。チョコレートケーキです。こどものころトップスのケーキといっしょにホテルオークラのケーキもクリスマスのときにならんでいるのをみたことがありますがかったことがありません。やはりこどもごのみのケーキです。トップスはです。トップのケーキはチーズケーキが一番すきです。あとの紅茶ケーキやほかのチョコレートとレーズのケーキはあまりすきではありません。デパ地下はヨックモックやゴディバやアンリシェ
    ヤルパテェントが当時かっていました。大学院のときに店がオープンしてそのフィナンシエがすきでした。ヨックモックも当時はシガールにチョコレートコーティングされたものなどがでまわっていて購入しました。シガール以外もいろいろ好きでした。クリスマスやバレンタインみはジャンポールエヴァンもかいました。元夫とつきあっていたときは元夫にはゴディバのボンボンショコラセットをプレゼントしてわたしは自宅用に
    伊勢丹静岡店でジャンポールエヴァンのアーモンドチョコを買ってたべました。ジャンポールエヴァンは期間限定店しかありません。


    毎月松坂屋のデパ地下ではかならずドンクのグリーンの豆の入ったパンはかいました。すごくおいしかったです。あとは米八のおこわ弁当や大安吉日の海苔巻き複数本や松坂屋の寿司握りセットです。寿司は当時は伊勢丹静岡のほうがずっとレベルがたかくてたかかったですが当時はそこにはいきません。

    学校がえるにはよく品川駅や東京駅で崎陽軒のシュウマイ弁当はかいました。売り切れのときがありチャーハン弁当もかいましたがやはりおいしくないです。品川名物の出陣弁当もよくかいました。東京駅でよく本日のコーヒーのアイスをスタバでよくのみました。新幹線のなかのワゴンサービスのブレンドコーヒーもよく注文しました。スジャータのアイスクリームも乗車してすぐに売りに来れば購入しました。

    なぜこんなにモード雑誌(ヴォーグやエルやハーパスバザーやフィガロジャポンやヌメロやシュプールや装苑や流行通信、ザ・ギンザ、パリコレやミラノコレクションやニューヨークコレクションの紹介のモードェモード)ファッション雑誌(当時モード系のおしゃれなファッションフォトのスプリング、ナイロンやJJやミニ、クラッシー。、ヘアスタイル特集のときのar、新田育代が中学生の時のファインやキューティ)や料理の本があるのか。しかも高額なプロ用の専門書や洋書の料理の本やモードやデザインの洋雑誌(ヌメロパリやヴォーグのパリやヴォーグイタリアやwマガジン、エルのアメリカ版やあとは当時紀伊國屋オンラインショップの洋雑誌のモードやアートやカルチャー系のヨーロッパのマイナーな洋雑誌やグルメは南フランスのサブ―ル、エルアターブル)やアートブック(蜷川実花やゲルハルトリヒターなどあとはいろいろありました。インテリア雑誌はエルデコ、食の雑誌や(エルアド二チェフやエルアターブル、料理王国)美術書はルノアールやマグリットやダリ、中古でかった美術館の展覧会の冊子など)などがたくさんありました。写真雑誌(ファットフォトや朝日カメラやフォットコンテストや月刊カメラマン)料理本は料理研究家のもので大衆雑誌のオレンジページやレタスクラブなどはありません。安価につくれる料理ブックもありません。オレンジページは中学生のときにお弁当の特集のものをかったかんじです。はあはがです。そのなかの三色べんとうだけはおしいとおもいます。牛肉をしょうゆとこいめのこしょうでいためいりたまごは細ねぎと粒のごまではなくてつぶしたいりごまと砂糖とままごでいためて。ほうれん草は鰹節と塩と醤油であえてごはんのうえにのせる三色弁当です。すごくおいしいです。すべて料理研究家のコーナーの料理本やシェフのレシピ本です。洋書の料理の本はフランスパンや世界のパンやアメリカのパンのレシピ本やスイーツやパスタやごはん料理やビストロのレシピや家庭のシークレットレシピやイギリスのお菓子のレシピなどのヨーロッパの料理本やポテトの料理本やアメリカの料理本や寿司の料理本やアイスクリームの料理本などがありました。メインはスイーツです。ピエールエルメのスイーツのレシピ本も都内でかいました。お気にりはルコルドンブルーのクッキーのレシピ本です。)そのほかグルメ本やデザイン本など日本のものもあります。イングランドのカフェ巡りなどの本やフランスのパリの食の店の紹介本はたしかシュプールの別巻でした。上野まりこが紹介してました。料理研究家ははセレブ系の料理をつくる藤野真紀子がすきでした。当時すごくはやっていました。パトリスジュリアンは脂系の料理なのであまり当時はすきではありませんでした。栗原はるみもナチュラル系ですきではありませんでした。

    スパイスはすきなのはフレンチタラゴンが一番すきでした。タラゴンと若鶏のピラフはコンソメスープからつくります。自宅ではローズマリーやタイムやイタリアンパセリ、バジル、ミントやチャイブ、フェンネルやセルフィーユなどを栽培した記憶があります。

    またセージもよく料理につかいます。サフランやターメリックやパプリカやオレガノなどは乾燥のものをつかいます。タイムもローズマリーも乾燥ハーブもあります。ルッコラもよくかいます。カルパッチョやグリーンサラダにやレタスにはリーフレタスやプリーツレタスをいれるのがよくありました。赤紫の玉ねぎもスライスもよく登場した記憶があります。地元にはトレビスやチコリなどは一般的ではありませんでした。料理本の世界でした。

    エンダイブがすきでした。たまねぎ系はフレンチには定番のエシャロットがすきですが伊勢丹静岡店にしかありませんでした。エンダイブは伊勢丹でも新鮮なものがありませんでした。だからあまりかった記憶がありません。

    生クリームやサワークリーム系はすごく料理にいれるとおいしのはしっていますが。太るのでほとんどつかいません。チーズ料理もです。20歳のときはよくカッテージチーズをパンにのせてたべました。モッツァレラのカプレーゼがとうじよくレシピ本にのっていましたが、いちどもつくったことがありません。チーズはクリスマスにとろけるチーズのスイスのグリュールチーズをかぼちゃまぐごとかってそれをくりぬいて生クリームといっしょにグリュエールチーズをいれるのが丸鶏のオーブン焼きとおなじ定番でした。あとは卵とハムのクリームコロッケはつくりました。ホワイトソースは母た幼少のときから手作りでした。ホワイトソースのシチューもホワイトエビグラタンもです。またポテトコロッケもてづくりです。もちろんポテトサラダもてづくりです。市販のものは元夫と結婚してかじめてかいました。お惣菜じたいかったことがありません。スーパーではです。デパ地下ではよくありましたが、その他加工食品もレトルト食品も冷凍食品もかいません。しいていえば味の素の冷凍餃子がはやり祖母が高齢でご飯を作るの大変になりかっていたのでもらったことがあります。スーパーやコンビニで菓子パンもかったことがありません。スイーツはおしゃれなプリンアラモードのなどのカップケーキとシュークリームだけです。わたしはパティシェのつくるかたい表面のシュークリームがすきではありません。だから一般的な生クリーム入りのシュークリームをスーパーやコンビニでたまにかいました。

    ミントは紅茶にいれたりマグロのカルパッチョによくはいれました。イタリアンパセリはグリーンサラダには確実にいれます。バジルは鶏の焼くときに入れます。セージもです。


    寿司がすきでした。いくらとサーモンとたまごの石狩寿司や韓国の焼肉海苔巻きやアボガドロロールやペルー寿司や生ハム寿司やてこね寿司や生ハム寿司やボローニャソーセージの寿司やマグロのぶつ切りととろろとおくらの三色寿司、マグロの握り寿司やたけのこ寿司やエビフライ寿司やウナギとちその葉と粉さんしょうの実ときゅうりのはいったチラシ寿司やまるごとのイカの体のなかにすし飯をつめるいかでっぽう寿司です

    寿司ではありませんが、オイスターソースのマグロ丼やコチュジャンをつかうアジのぴりから丼などもでアジさしをよくたべました。

    刺身系がすきでカルチパッチヨにはえびやいかやホタテやあさりやぼたエビやまぐろをいれるものがおおかったです。野菜のくずといっしょに生の海鮮と白ワインをいれて海鮮に火をとおします。その汁をたれに使用します。バルサミコ酢とまぜたりしてソースやたれもてづくりです。白ワインビネガーと粒マスタードのカルチャーもすごくすきでした。ドレッシングや市販のたれは一切つかいません。てづくりの餃子がとろろいりの韓国餃子をたまにつくりました。たれhがしょうゆとにんにくのすりおろしとコチュジャンと砂糖と酢をいれたものでたれをつくりました。元夫はそれがきらいでしょうゆと酢とラー油のいれたものがすきで結婚してからはじめてラー油をつかうようになりました。たれのレシピもたくさんありました。また当時煮豚がはやりました。ブロックの肩ロースの肉が特売でよくうっていたようです。よく煮豚やゆで豚をつくりました。中学まではひれ肉でとんかつをたべていましたがもう高校生からはひれのとんかつはたべません。中華料理はほかにクックドウだけは市販のたれをつかいまいた。クックドウは海老チリと八宝菜しかつくりません。八宝菜にはきくらべげやウズラのたまごやきゃべつもいれました。しゅうまいや水ギョーザもてづくりでした。

    こどものころのクリスマスの丸鶏の丸焼きにはアメリカ式の感じでポテトやセロリやニンジンやジャガイモなどをいれるのものしかありません。10代後半からハーブブームでセージやローズマリーやタイムをいれるやりかたになりました。

    そのほ17歳のときは松坂屋のお歳暮やお中元の解体市に年2回いきよくピュアオリーブオイルを祖母がかってきてくれました。当時はオリーブオイルは一般家庭にはありませんでした。エクストラバージンオリーブオイルやバルサミコ酢や白ワインビネガーやオイルサーディンはてづくりです。アンチョビはすごく高価で常時ありませんでした。赤ワインのかわりに毎年11月のボジョレーヌーボーをデパートでかっていました。牛肉料理があまりつくらなかったのでそれを赤ワインとして常時保管しました。料理用の白ワインがかなりよくかいます。バルサミコ酢とオリーブオイルとおなじくらいです。赤ワインビネガーはほとんど買わなかった記憶があります。バルサミコ酢は熟成されものは高価です。当時アルポルトの片岡護シェフとクイーンアリスの石鍋シェフとおなじくら料理のレシピ本で目立っていた落合務シェフの裏技では煮詰めると熟成された味になるようです。

    コーヒーが西武デパートの一か月一度コーヒー売り場にいきカフェノバールでショコラータの豆やフレンチブレンドの豆をかったり自宅でエスプレッソをつくるときは中挽きにしてもらイタリアンブランドの豆の購入をしました。大学院のときに公民館のバザーでコーヒー豆を手動でひく機械をかったので自宅で豆を挽くようになりました。エスプレッソマシーンは20歳前半にデロンギのエスプレッソマシーンがが売り出されて当時はやっていました。19000円くらいから買える時代でしたが西武デパートでエスプレッソの鍋をかって手動でつくりました。牛乳を泡立てる器具でカフェラテも作っていた時期があります。紅茶はフォションのアールグレイの缶が常時ありました。当時は西洋陶磁器メーカーが紅茶缶を販売していた時代でフォションが一番香がつよいとうことで購入しました。アールグレイは当時のはやりです。

    アジアなどのスパイスが豆板醬やティンメンジャンやコチュジャンや練ごまやスターアニスや粉さんしょうの実や五香粉、花椒、オイスターソースや料理用の紹興酒、こどものころからはハンバーグに必ず入れるナツメグやフレンチトーストをこどものころよくつくったのでシナモンや粉砂糖などもありました。あとはメイプルシロップもです。

    おかしはわたしが静岡県立中央図書館に2007年の2月ごろに寄贈したフランスのパリのパティシェの専門の料理ブックのフランス式のクレープをアメリカ式にしてたべました。一冊1万円する専門書です。食事用の塩クレープ生地などのつくりかたものっていましたがそれはつくったころがありません。20歳前半のときに洋書のスイーツレシピ本でお菓子もつくりました。すごく甘かったです。たしか海外と軽量カップの標準がちがいます。ネットがないときだったので調べるのが大変でした。第三巻かあり20歳の前半のときにすべて三冊とも購入しました。それでシュークリームをやいたこともあります。第三巻はチョコレート細工の特集です。とうじゴディバが日本に上陸してチョコレートがブームでした。テンパリングなどをして本格的に生チョコをつくるような時代になりました。それまではガトーショコラをやくのが一般的でした。そのあたりからジャンポールエヴァンなどが有名になりました。パリのMOFの高級チョコが登場するはじまりです。小学生のときだけ限定で赤坂のトップスケーキが伊勢丹や西武でならびました。そのチョコレートケーキを毎年かっていました。それが私の時代のチョコレートケーキです。とうじは私が小学生のときはやっていたようです。トップスのチョコレートケーキがです。

    あんこ系はきらいでした。くだものもです。結婚してから元夫があんこがすきな年代の昭和30年うまれだったのでよくたべるようになりました。あんこが主役になりました。わたしの昭和53年うまれの時代はケーキなど洋菓子のはやった時代です。だからあんこがすごく人気がなかった時代です。

    元夫のころはスイーツといえばあんこと果物しかなかったじだいです。あと元夫は焼きいもや綿菓子や駄菓子のうまい棒がすきです。たこやきです。それも昭和30年代のこどものお菓子です。駄菓屋の駄菓子のうまい棒やお祭りの綿菓子やたこ焼きです。果物屋は私の地元にも母がわかいときにすごい流行っていたようです。当時甘いものは果物やあんこが主流だったようです。私たちの時代は焼きいもはうっているところがありませんでした。西草深のほうにあることを20歳くらいのときにしりました。そのみせで一度か二度かったことがあるだけです。近隣の市民プールにかよっていたのでそのついでにたちよりました。当時は留学生がはたらいていました。アジア人留学生です。

    元夫と結婚しているときが静岡市に帰省したのは3回くらいです。2008年に一回泊りがけで一泊二日と2022年の2月に父が他界したときに静岡駅の近隣のホテルにとまり葬儀にでました。その時とそれ以外にもう一回だけ日帰りでたちより中島屋中華でよく現代中華料理のコースをたべただけです。あとはありません。元夫は沼津市のほうの無料のキャンプ場や清水区の和田島の無料のキャンプ場にたちよりますが。静岡駅とはかなりはなれています。通りみちでもなくていつも由比で桜エビのかき揚げの販売をしているバイパス沿いのみせにたちよるだけです。静岡駅のほうまでいきません。オービスのカメラの捜査でわかっていますね。また静岡駅のレストランのお店の防犯カメラなどでです。

    私が大学院のときにしんにょにが多額の施餓鬼代の支払いを命じてよくクレカの支払いができなくなるほどだったのをしっていますね?祖母にお金をもらいその当日に三井住友銀行に支払いましたが。

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警察庁に質問

by 静岡市葵区の新田育代のビジネスイソップ物語

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    警察庁に捜査の依頼

    ももこたちはいっさい買い物歴をみてもイオンのようなところしか洋服を買った履歴がありませんね?私の父のお金を横領してお台場にタワーマンションを購入したり捜査科学研究所でわたしのプロジェクトをやりその給与が支払えるまではです。いくら東芝の子会社の勤務する夫でもそんなにいいくらしはでできません。
    元夫とおなじくらいの所得ですね。年収が800万円くらいですね。40代でです。


    それでも公立高校にいくサラリーマン家庭のいえです。母のとしこは第三号です。兄弟の果物屋でのしごとはまったくおかねをもらってませんでしたね。元姑もその夫の元夫の父親もまったく給与をもらってなかったよです。元夫の父はただ働きで、その報酬をとして果物をもらっていたようです。


    ももこの母がももこがこどものころからのスーパーの買い物歴の捜査で近隣のスーパーの防犯カメラのデータがセキュリティ会社のデータセンターにずっと保存されていてすべてAIで操作してましたね。たしいたものはかっていませんね。変わったスパイスや変わった食材などです。料理にはこだわっていたことはしっていまます。もらったことがあるのは煮しめや鶏肉とひじきの鮨です。あの家は煮物料理をおいしくつくるのにこだわっているようです。長野の佐久市出身です。だから農家がすごい煮物がうまいことをしっています。それでどのような農家があんなおいしい煮物をつくるかをいつも研究していたかんじです。それがももこの母がこだわってる分野の食です。


    ももこもその家族もこどものころからファミレスが主流ですね。学生時代のももこもブランド品なんてもってないしフレンチやイタリアンなど高いレストランにはいっていませんね。

    わたしの自宅の料理のレシピ集やわたしが捨てた本をももこたちのものだと嘘をついたのですね。

    わたしがすごい数の本を所有していたことは大学院のときに公安警察法の自宅捜査ですべてしっているはずです。当時の捜査員が全く理解できませんでしたね?



    すべての雑誌や本は800冊以上ありましたか?それとももっとありましたか?一覧にしてリストを作りましたね。

    そのほか海外のパリやミラノやニューヨークのブランド服を何着ありましたか?日本のアパレルブランドはほとんどありませんね?その当時は静岡のデパートでは洋服がかっていませんでした。新宿伊勢丹ではプラダで靴2足と洋服一着や西武の商品券を祖母がくれたときは池袋西武デパートのニューヨークコレクションのときに東京のお台場のコミケの帰りにジル・スチュアートで洋服をかいにいきました。すべてセトルダウンで買っていました。月8万円くらい。コートは一着10万円以上のものを4着は買いました。すべてセトルダウンで買いました。ミラノコレクション時代のエンニョカパサ時代のコスチュームナショナルの厚手の真冬用のコートを3着とミラノコレクションのアルベルタフェレッティのセカンドラインのミラノコレクションのディアルベルタフェレッティの赤の真冬ようのダッフルコート一着もっていました。通信制高校にいっていたときはです。短大から大学や大学院のときはブックオフの系列のハウマッチでかなりかっていましたが。

    私が大学院のときに毎週どこに外食肉かも捜査しましたね。わたしのあしどりです。よくいくのはハナハナとうキハチでパスタランチなどで修行したレストランと中島屋グランドホテルの四川飯店の中華でエビチリ定食や海側の久能のスペイン風のシテイホテルのサングリアでパエリア。戸隠でそばがとくにすきでそれ以外に毎回いろいろいきましたね。パン屋は近隣のハニービーで山のようにかっていたのをしっていますね。ケーキは毎週キルフェボンでコーヒーのタルトをたべて、近所のハニービーのとなりにあるベリーベリーでブラウ二ーのうえに生クリームのかかったカップケーキをいつもかいます。あとは大学院のかえりの夜に当時キヨスクにプルミエールのプリンがありよくかってかえったのをしっていますね。マリアサンクという西武デパートの近くの童話チックなカフェにもよくケーキをたべにいきました。パンはそのとうじはリュバンはやめてしいました。わたしの高校生の時のリュバンがすごいおしゃれなケーキ屋だということはしっていましたね。青葉通りにあったむかしのリュバンの内観はすごいおしゃれなデザインでした。いまのださいキャラクターケーキの店とはちがいます。ケーキは西武デパートのとなりにみずほにあったプルミエールの路面店ができてからすこしいった記憶があります。みずほの本店しか店がなかったころは一度だけ18歳くらいの時に行った記憶があるだけです。またアトリエカラスという草薙の静岡県立大学の近くのすごいおしゃれなカフェにもよくいっていました。それもしっていますね。県大のおしゃれな女子学生がきていたかんじです。あとは草薙のほうにもおしゃれなカフェがありよくいきました。よく伊勢丹でフルーツジューススタンドのブドウジュースをのんでいたのもしっていますね。ジェラートは久能海岸のいちごを中心にしたジェラート専門店がかなり前から話題になりそこもいきました。すごくおしいみせです。キハチのソフトクリームも伊勢丹静岡にはいってかったことがあります。伊勢丹静岡のデパ地下がリニューアルしたあたりに利用したおぼえがあります。地元のセレクトアアイカンパニーというおしゃれなセレクトショップの運営する呉服町通りの2階のカフェでよくランチをたべたりスイーツもたべました。あとは伊勢丹のうらのイタリア料理店でもよくパスタランチをたべました。あとは入船寿司の両替町本店の鶏のから揚げがすきだったことや静岡駅のパルシェの魚がし寿司の回転すしがとうじ有名でした。そこもよくいきました。御殿場のアウトレットでもよくはいった記憶があります。クレープは新静岡センターのところがわたしの中学生のときから有名でその当時も頻繁にいきました。平日は戸田ブックスのたいしたカフェではありませんがそこのギャバという赤ピンクの果実の100パーセントフルーツジュースがすきで頻繁にのんでいました。ラーメンがあまりいきませんがたろうずとうラーメン店がスクランブル交差点にありそこにたまにいきました。あとは一回きりというレストランがほとんどです。クリスマスのケーキは当時駅南にあったホテルセンチュリーで一度かいました。大抵はトップスのケーキだったきおくがあります。チョコレートケーキです。こどものころトップスのケーキといっしょにホテルオークラのケーキもクリスマスのときにならんでいるのをみたことがありますがかったことがありません。やはりこどもごのみのケーキです。トップスはです。トップのケーキはチーズケーキが一番すきです。あとの紅茶ケーキやほかのチョコレートとレーズのケーキはあまりすきではありません。デパ地下はヨックモックやゴディバやアンリシェ
    ヤルパテェントが当時かっていました。大学院のときに店がオープンしてそのフィナンシエがすきでした。ヨックモックも当時はシガールにチョコレートコーティングされたものなどがでまわっていて購入しました。シガール以外もいろいろ好きでした。クリスマスやバレンタインみはジャンポールエヴァンもかいました。元夫とつきあっていたときは元夫にはゴディバのボンボンショコラセットをプレゼントしてわたしは自宅用に
    伊勢丹静岡店でジャンポールエヴァンのアーモンドチョコを買ってたべました。ジャンポールエヴァンは期間限定店しかありません。


    毎月松坂屋のデパ地下ではかならずドンクのグリーンの豆の入ったパンはかいました。すごくおいしかったです。あとは米八のおこわ弁当や大安吉日の海苔巻き複数本や松坂屋の寿司握りセットです。寿司は当時は伊勢丹静岡のほうがずっとレベルがたかくてたかかったですが当時はそこにはいきません。

    学校がえるにはよく品川駅や東京駅で崎陽軒のシュウマイ弁当はかいました。売り切れのときがありチャーハン弁当もかいましたがやはりおいしくないです。品川名物の出陣弁当もよくかいました。東京駅でよく本日のコーヒーのアイスをスタバでよくのみました。新幹線のなかのワゴンサービスのブレンドコーヒーもよく注文しました。スジャータのアイスクリームも乗車してすぐに売りに来れば購入しました。

    なぜこんなにモード雑誌(ヴォーグやエルやハーパスバザーやフィガロジャポンやヌメロやシュプールや装苑や流行通信、ザ・ギンザ、パリコレやミラノコレクションやニューヨークコレクションの紹介のモードェモード)ファッション雑誌(当時モード系のおしゃれなファッションフォトのスプリング、ナイロンやJJやミニ、クラッシー。、ヘアスタイル特集のときのar、新田育代が中学生の時のファインやキューティ)や料理の本があるのか。しかも高額なプロ用の専門書や洋書の料理の本やモードやデザインの洋雑誌(ヌメロパリやヴォーグのパリやヴォーグイタリアやwマガジン、エルのアメリカ版やあとは当時紀伊國屋オンラインショップの洋雑誌のモードやアートやカルチャー系のヨーロッパのマイナーな洋雑誌やグルメは南フランスのサブ―ル、エルアターブル)やアートブック(蜷川実花やゲルハルトリヒターなどあとはいろいろありました。インテリア雑誌はエルデコ、食の雑誌や(エルアド二チェフやエルアターブル、料理王国)美術書はルノアールやマグリットやダリ、中古でかった美術館の展覧会の冊子など)などがたくさんありました。写真雑誌(ファットフォトや朝日カメラやフォットコンテストや月刊カメラマン)料理本は料理研究家のもので大衆雑誌のオレンジページやレタスクラブなどはありません。安価につくれる料理ブックもありません。オレンジページは中学生のときにお弁当の特集のものをかったかんじです。はあはがです。そのなかの三色べんとうだけはおしいとおもいます。牛肉をしょうゆとこいめのこしょうでいためいりたまごは細ねぎと粒のごまではなくてつぶしたいりごまと砂糖とままごでいためて。ほうれん草は鰹節と塩と醤油であえてごはんのうえにのせる三色弁当です。すごくおいしいです。すべて料理研究家のコーナーの料理本やシェフのレシピ本です。洋書の料理の本はフランスパンや世界のパンやアメリカのパンのレシピ本やスイーツやパスタやごはん料理やビストロのレシピや家庭のシークレットレシピやイギリスのお菓子のレシピなどのヨーロッパの料理本やポテトの料理本やアメリカの料理本や寿司の料理本やアイスクリームの料理本などがありました。メインはスイーツです。ピエールエルメのスイーツのレシピ本も都内でかいました。お気にりはルコルドンブルーのクッキーのレシピ本です。)そのほかグルメ本やデザイン本など日本のものもあります。イングランドのカフェ巡りなどの本やフランスのパリの食の店の紹介本はたしかシュプールの別巻でした。上野まりこが紹介してました。料理研究家ははセレブ系の料理をつくる藤野真紀子がすきでした。当時すごくはやっていました。パトリスジュリアンは脂系の料理なのであまり当時はすきではありませんでした。栗原はるみもナチュラル系ですきではありませんでした。

    スパイスはすきなのはフレンチタラゴンが一番すきでした。タラゴンと若鶏のピラフはコンソメスープからつくります。自宅ではローズマリーやタイムやイタリアンパセリ、バジル、ミントやチャイブ、フェンネルやセルフィーユなどを栽培した記憶があります。

    またセージもよく料理につかいます。サフランやターメリックやパプリカやオレガノなどは乾燥のものをつかいます。タイムもローズマリーも乾燥ハーブもあります。ルッコラもよくかいます。カルパッチョやグリーンサラダにやレタスにはリーフレタスやプリーツレタスをいれるのがよくありました。赤紫の玉ねぎもスライスもよく登場した記憶があります。地元にはトレビスやチコリなどは一般的ではありませんでした。料理本の世界でした。

    エンダイブがすきでした。たまねぎ系はフレンチには定番のエシャロットがすきですが伊勢丹静岡店にしかありませんでした。エンダイブは伊勢丹でも新鮮なものがありませんでした。だからあまりかった記憶がありません。

    生クリームやサワークリーム系はすごく料理にいれるとおいしのはしっていますが。太るのでほとんどつかいません。チーズ料理もです。20歳のときはよくカッテージチーズをパンにのせてたべました。モッツァレラのカプレーゼがとうじよくレシピ本にのっていましたが、いちどもつくったことがありません。チーズはクリスマスにとろけるチーズのスイスのグリュールチーズをかぼちゃまぐごとかってそれをくりぬいて生クリームといっしょにグリュエールチーズをいれるのが丸鶏のオーブン焼きとおなじ定番でした。あとは卵とハムのクリームコロッケはつくりました。ホワイトソースは母た幼少のときから手作りでした。ホワイトソースのシチューもホワイトエビグラタンもです。またポテトコロッケもてづくりです。もちろんポテトサラダもてづくりです。市販のものは元夫と結婚してかじめてかいました。お惣菜じたいかったことがありません。スーパーではです。デパ地下ではよくありましたが、その他加工食品もレトルト食品も冷凍食品もかいません。しいていえば味の素の冷凍餃子がはやり祖母が高齢でご飯を作るの大変になりかっていたのでもらったことがあります。スーパーやコンビニで菓子パンもかったことがありません。スイーツはおしゃれなプリンアラモードのなどのカップケーキとシュークリームだけです。わたしはパティシェのつくるかたい表面のシュークリームがすきではありません。だから一般的な生クリーム入りのシュークリームをスーパーやコンビニでたまにかいました。

    ミントは紅茶にいれたりマグロのカルパッチョによくはいれました。イタリアンパセリはグリーンサラダには確実にいれます。バジルは鶏の焼くときに入れます。セージもです。


    寿司がすきでした。いくらとサーモンとたまごの石狩寿司や韓国の焼肉海苔巻きやアボガドロロールやペルー寿司や生ハム寿司やてこね寿司や生ハム寿司やボローニャソーセージの寿司やマグロのぶつ切りととろろとおくらの三色寿司、マグロの握り寿司やたけのこ寿司やエビフライ寿司やウナギとちその葉と粉さんしょうの実ときゅうりのはいったチラシ寿司やまるごとのイカの体のなかにすし飯をつめるいかでっぽう寿司です

    寿司ではありませんが、オイスターソースのマグロ丼やコチュジャンをつかうアジのぴりから丼などもでアジさしをよくたべました。

    刺身系がすきでカルチパッチヨにはえびやいかやホタテやあさりやぼたエビやまぐろをいれるものがおおかったです。野菜のくずといっしょに生の海鮮と白ワインをいれて海鮮に火をとおします。その汁をたれに使用します。バルサミコ酢とまぜたりしてソースやたれもてづくりです。白ワインビネガーと粒マスタードのカルチャーもすごくすきでした。ドレッシングや市販のたれは一切つかいません。てづくりの餃子がとろろいりの韓国餃子をたまにつくりました。たれhがしょうゆとにんにくのすりおろしとコチュジャンと砂糖と酢をいれたものでたれをつくりました。元夫はそれがきらいでしょうゆと酢とラー油のいれたものがすきで結婚してからはじめてラー油をつかうようになりました。たれのレシピもたくさんありました。また当時煮豚がはやりました。ブロックの肩ロースの肉が特売でよくうっていたようです。よく煮豚やゆで豚をつくりました。中学まではひれ肉でとんかつをたべていましたがもう高校生からはひれのとんかつはたべません。中華料理はほかにクックドウだけは市販のたれをつかいまいた。クックドウは海老チリと八宝菜しかつくりません。八宝菜にはきくらべげやウズラのたまごやきゃべつもいれました。しゅうまいや水ギョーザもてづくりでした。

    こどものころのクリスマスの丸鶏の丸焼きにはアメリカ式の感じでポテトやセロリやニンジンやジャガイモなどをいれるのものしかありません。10代後半からハーブブームでセージやローズマリーやタイムをいれるやりかたになりました。

    そのほ17歳のときは松坂屋のお歳暮やお中元の解体市に年2回いきよくピュアオリーブオイルを祖母がかってきてくれました。当時はオリーブオイルは一般家庭にはありませんでした。エクストラバージンオリーブオイルやバルサミコ酢や白ワインビネガーやオイルサーディンはてづくりです。アンチョビはすごく高価で常時ありませんでした。赤ワインのかわりに毎年11月のボジョレーヌーボーをデパートでかっていました。牛肉料理があまりつくらなかったのでそれを赤ワインとして常時保管しました。料理用の白ワインがかなりよくかいます。バルサミコ酢とオリーブオイルとおなじくらいです。赤ワインビネガーはほとんど買わなかった記憶があります。バルサミコ酢は熟成されものは高価です。当時アルポルトの片岡護シェフとクイーンアリスの石鍋シェフとおなじくら料理のレシピ本で目立っていた落合務シェフの裏技では煮詰めると熟成された味になるようです。

    コーヒーが西武デパートの一か月一度コーヒー売り場にいきカフェノバールでショコラータの豆やフレンチブレンドの豆をかったり自宅でエスプレッソをつくるときは中挽きにしてもらイタリアンブランドの豆の購入をしました。大学院のときに公民館のバザーでコーヒー豆を手動でひく機械をかったので自宅で豆を挽くようになりました。エスプレッソマシーンは20歳前半にデロンギのエスプレッソマシーンがが売り出されて当時はやっていました。19000円くらいから買える時代でしたが西武デパートでエスプレッソの鍋をかって手動でつくりました。牛乳を泡立てる器具でカフェラテも作っていた時期があります。紅茶はフォションのアールグレイの缶が常時ありました。当時は西洋陶磁器メーカーが紅茶缶を販売していた時代でフォションが一番香がつよいとうことで購入しました。アールグレイは当時のはやりです。

    アジアなどのスパイスが豆板醬やティンメンジャンやコチュジャンや練ごまやスターアニスや粉さんしょうの実や五香粉、花椒、オイスターソースや料理用の紹興酒、こどものころからはハンバーグに必ず入れるナツメグやフレンチトーストをこどものころよくつくったのでシナモンや粉砂糖などもありました。あとはメイプルシロップもです。

    おかしはわたしが静岡県立中央図書館に2007年の2月ごろに寄贈したフランスのパリのパティシェの専門の料理ブックのフランス式のクレープをアメリカ式にしてたべました。一冊1万円する専門書です。食事用の塩クレープ生地などのつくりかたものっていましたがそれはつくったころがありません。20歳前半のときに洋書のスイーツレシピ本でお菓子もつくりました。すごく甘かったです。たしか海外と軽量カップの標準がちがいます。ネットがないときだったので調べるのが大変でした。第三巻かあり20歳の前半のときにすべて三冊とも購入しました。それでシュークリームをやいたこともあります。第三巻はチョコレート細工の特集です。とうじゴディバが日本に上陸してチョコレートがブームでした。テンパリングなどをして本格的に生チョコをつくるような時代になりました。それまではガトーショコラをやくのが一般的でした。そのあたりからジャンポールエヴァンなどが有名になりました。パリのMOFの高級チョコが登場するはじまりです。小学生のときだけ限定で赤坂のトップスケーキが伊勢丹や西武でならびました。そのチョコレートケーキを毎年かっていました。それが私の時代のチョコレートケーキです。とうじは私が小学生のときはやっていたようです。トップスのチョコレートケーキがです。

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    元夫と結婚しているときが静岡市に帰省したのは3回くらいです。2008年に一回泊りがけで一泊二日と2022年の2月に父が他界したときに静岡駅の近隣のホテルにとまり葬儀にでました。その時とそれ以外にもう一回だけ日帰りでたちより中島屋中華でよく現代中華料理のコースをたべただけです。あとはありません。元夫は沼津市のほうの無料のキャンプ場や清水区の和田島の無料のキャンプ場にたちよりますが。静岡駅とはかなりはなれています。通りみちでもなくていつも由比で桜エビのかき揚げの販売をしているバイパス沿いのみせにたちよるだけです。静岡駅のほうまでいきません。オービスのカメラの捜査でわかっていますね。また静岡駅のレストランのお店の防犯カメラなどでです。

    私が大学院のときにしんにょにが多額の施餓鬼代の支払いを命じてよくクレカの支払いができなくなるほどだったのをしっていますね?祖母にお金をもらいその当日に三井住友銀行に支払いましたが。

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published : 2024/06/14

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