川瀬大樹

画家

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京都府城陽市

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川瀬大樹

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川瀬大樹

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    Works 305
  • 気高き大作よ!!

    大作サイズは良い〜。小サイズには
    決して味わう事不可能な醍醐味を
    描き記したモノだけが味わえる至福なる一時。
    オンラインゲームでプレイ時間が表示されるけど、
    50号サイズだと50時間は少なくとも完成迄に費やすんだろうな。
    刻にして二日間も作品と寝食を共にする様なものだ。
    愛着や思い入れが湧かないわけが無いだろう。

    正直、売りを目的とした小品ばかりを立て続け
    弄くっていると、気持ちがしょ気てきて、せせこましい
    気分へと陥るのだよ。売る事で自身の作品を人々の生活へと
    根付かせるのも大事なんだけど、魅せてなんぼ!って所が
    芸術作品には必要不可欠だとも思うし。その辺が昨日のブログでも
    書き記した両立させゆく難しい部分なんだろうけどさ。

    大きな大作と対話していると開放感溢れる気高き気持ちに
    なってくるんだ。芸術家による芸術のための作品を
    純真な気持ちで取り組めてる様な。
    大きなサイズは自身の図像を魅せる事最優先に構えた作品なのだ。
    だから自身がまず悦に浸れて
    納得しゆくクオリティーへと落とし込む。
    そして発表した後、たとえ観覧するオーディエンスの
    声が悪かろうが、大した評価されなくとも
    さほど問題視してないんだ。ディスカッションのやりとりから
    反省点や課題要素などは検証したりするが。

    大きい作品は画面を制御化に収める事が出来ず、
    混沌としてくる。ゆうなればカオス的な
    画面秩序バランスが崩壊した様な感覚へと陥る。
    自身が培った手腕とぶつかり、鬩ぎ合いを
    繰り返しながら説き伏せてゆくのが
    大作スケールならではの醍醐味なんだ。
    今回の図像は大きなキリンが画面横並びに
    たむろってるテイストで仕上げてゆく感じ。
    自身の狂気やら混沌具合などが剥き出しに立ち現れ、
    少々恐くぎょっとしてしまうかもしれない。
    僕が思いもよらない枠外へと、はみ出してゆく
    潜在的パワーに戸惑いながらも、なんとか中盤戦折り返して
    後半戦へと差し掛かっている所なのだ。今月下旬には
    お披露目出来ると思うから、それまでマンツーマンで
    キリン群像と格闘いたす事といたしますかね。

    4月開催予定の個展、都合により7月15〜19日に急遽変更に
    なりました。予定組んで来てくれる事を
    検討されてた皆様、すいませんでした。
    会期が延長された分、製作に取り組める時間が
    大幅に増えたので、今年7月に向け
    さらなる良質空間出来る様、全速力で取り組みたく
    思うので、どうぞよろしくお願いします〜。

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  • アート作品による二束草鞋

    皿を回す、及び回転させる。これを繰り返しながら
    周囲へと影響力及ぼしてゆく様な。
    音楽と絵画は例えがリンクさせやすいので
    ちらほら引用したりするのです。
    個展というのは音楽で言う所のライブにあたる感じがする。
    全体を通して生のマテリアルや絵肌による
    マチェールを肌全体通して、まざまざと体感する行為なのだ。

    小品=商品という意味合いで小さい絵画作品を捉えていまして。
    つまり日本のアートシーンでいう所の文脈で
    小さな絵画作品は部屋に飾り付ける要素を色濃く兼ね備えている。
    それに乗っ取り、販売目的の小作品を製作している近況。
    題材に添えるモチーフも自分の絵の中で人気が高く
    最も得意とする十八番主題による、クオリティーバランスの土台が
    安定したモノを描いていこうと検討しているここ最近でございます。
    つまり図像を手元からどんどん解き放ち
    手放してゆかない事には、最終的に足場を失ってしまう危険性が
    伴うという事を危惧しているのだ。
    売れる絵と魅せる絵は必ずしもイコールとして一致しないのだ。

    アウトサイダーの様に自身の見たい図像を自身の欲望赴くままに
    描くという行為はある種、一点の曇り無く
    純然たる製作行為だと思う。
    けれど自身のこれから展開しようとする事は魅せる作品を
    継続し描き続けてゆくために、売れる小品を
    並行して製作するという二束草鞋を踏むという事なのです。
    どんなに粋がっていても、一部の画家を除く
    ほぼ大半の画家が絵で得ている収入以外の職で
    製作活動しているのが日本での現状なんだと思う。
    絵を制作する上でも二束草鞋を住み分けながら
    二つの世界往来するという事は、これから
    自身が絵描きとして生き残ってゆく上で
    必須的に執り行ってゆかないといけない様に思うのだ。
    自身の得意スタイルでシンボライズされたモチーフで
    ジョイントさせてゆき、様々な場所へと嫁がす事により
    支持者を少しずつ増やしてゆく。購入してくれた彼等は
    後々自身にとって作家活動を継承させゆく上で
    心強い応援者になってくれると思うのだ。
    それによって自身が純真たるまま筆を突き動かし
    魅せるための図像を描き続ける行為を担保するのだ。
    シーンへと自身の図像の居場所を確保させ浸透させる作品と
    自身のビジュアルを進撃に追求しながら
    可能性を広げ魅せゆく作品の両方を作り上げる事で
    精神のバランスが整理整頓されてるというのも
    自身には該当する様に思う。

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