川瀬大樹

画家

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京都府城陽市

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    Works 305

川瀬大樹

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川瀬大樹

画家

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    Works 305
  • 若者、よそ者、馬鹿者な、ニュータイプ

    派閥の出来上がった作家グループってのは
    どのグループでもそうだけど
    同じ範囲内の想定レベルなんだ。
    なので、似た様なレベルでの力量においての枠内で
    つるんでいるのみに終始しているだけでは、
    それ以上の展望や発展が望めないんだ。

    自身の規範や凝り固まった常識概念から
    抜け出したくば、はぐれてゆかねば、ならないのだ。
    要するに同じカラーから連なる群れから離れ、
    距離を置いた、はぐれメタルになれって事だな。
    C級同士の作家連で話を進めていても、
    そこからはC級範囲内での会話以上の、実りは生まれてこない。
    想定内の枠組みからは
    想定外のストリームなど、巻き起こってなどくれないのだ。

    想定内の狭き枠を打破するには
    その手合いのA級クラスに話を聞けば良い。
    直接話せなけば、講演会に赴いたり、
    そこで質問を投げかけてみたり、
    その人の書籍やインタビューなどを読み漁ってみたりすると、
    C級レベルでは垣間見えてこなかった、
    マインドマップを目の当たりする事が出来るのだ。

    グルメなんかも、そうだよな。
    100円回転寿司の味わいで満足していれば、
    その範囲内が自身の定めしスタンダードとなり、
    真の味わいを知らずにC級枠のみで
    物事を捉えてしまう危険性を孕んでいる。
    習慣化されしループから、
    はみ出し、はぐれる事を強く念頭に意識しなければ
    自身の世界は固定されゆき、
    ガチガチに固くなった粘土みたく凝り固まり、
    そこから形を変えてゆけなくなるのだ。

    先入観や苦手意識、失敗した時の恐怖感などをとっぱらい、
    まずは、はじめの第一歩を踏み出しゆく勇気ある者が
    生き残ってゆけるし、本物へと近づいてゆけるのだ。

    世界を変えてゆけるのは、若者、よそ者、馬鹿者の
    無知なる3種の人間しか居ないのだから。
    自身がその中のどれに相応しいのかを選びながら
    愚直に自身のイメージソースを掘り下げ、
    規定枠を破壊しゆき、己の美学や哲学を
    貫き通して行けるか、どうかなんだ。

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  • 一生涯に渡り必要なライフワーク

    2013/09/16

    活動記録

    世の大半の人々は、絵を描くなんてのは、
    非日常的な行為であるんだろうな。
    小学生や中学校の頃、義務教育で描いて、
    高校でも、科目としての美術を嗜み、
    それ以来、絵の具で絵を描いた事が無い人と言うのが
    世の大半に辺るマジョリティーを占めている。

    絵を志すモノ達にとっては、常日頃から
    紡ぎ上げゆく筆致によるドローイングやペインティングは
    習慣化された行為であっても、
    そうでない人にとっては絵を描く行為自体、
    生活の中に無くても、生を全うしてゆけるのだ。
    必要の無い人にとっては、表現する事は、
    意味や価値が見出せず、よって無駄な行為であるから、
    絵を描いたり、モノを作ったりするに値しないのだ。

    けれど、我々表現者はクリエイトしゆく行為に対して
    大きな意味を見出し、そこから大いなる価値が生まれる。
    自身の図像を描き続けゆく事で
    作者本人の成長や発展を望めたり、
    豊かで実り在るライフワークを謳歌してゆく事が出来るんだ。

    絵を描く行為は、必要の無い人にとっては
    無駄な行為であるだろうけど、
    我々クリエイターにとっては無駄などという事柄は一切無くて。
    だからこそ、自身の描き出す絵図に対して
    胸を張れる自信や誇り高き気持ちで戦い続けながら、
    教え教わり繰り返し、絵図を旅する旅路が進めてゆけるのだ。

    表現してゆく事を軸に、そこから全ての始発点として
    自身の人生が起動しながら
    好奇心や探究心が刺激され、モチベーション感化されるのだ。
    もっと学びたい、もっと多くの事を知りたい、
    さらに高い頂まで昇りつめゆき、己を向上させたい。
    それらの願望の灯がマグマの如く、
    高い温度を帯びながら芽生えてくるのだ。

    傍から見れば無駄だと思える様な行為も
    自身にとっては絵図を通し、
    一生涯に渡り描き続けゆくライフワーク。
    それを信じて疑う事が無いくらいの強固なる主軸を元手に
    使命感と責任感を持ちながら画業へと日々奮闘してゆき、
    己自身の価値を高め深めてゆきたく思う。

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  • 1年間の移ろいゆくサイクル

    2013/09/15

    活動記録

    文字に書き起こせばわずか2文字。
    けれど1年を振り返れば、
    わずか2文字とは反比例する様な、
    想像だに出来なかった出来事であったり、
    目まぐるしき変化の渦に巻き込まれたりもするだろう。

    1年先と1年前、
    変わりゆき移ろいゆくモノ、
    変わらずに、ずっとそこにある事。

    最近FBの投稿写真に
    喪服姿で顔のよく知る人物が写っていて。
    遺影の主は、何度か大阪のイベントで顔を会せていて、
    今年開いた二人展にも足を運んでくれた。
    わずか25年の生涯、人はいつ、いかなる刻に
    生涯の幕が閉じられるのか、分からないからなぁ。
    遺影に写りし主は、近年,北加賀屋でギャラリーバーを開き、
    一度そこで展示しないかという連絡があった。
    彼は永久に続く、長き旅路へと向かい
    この世にはもう居られない存在になったのだと理解した。

    1年あれば、様々な形で状況や立ち位置が揺れ動いてゆくのだ、
    1年前、熱くアートについて語り明かした仲間が作家活動を
    ピタリと辞めてしまう事あれば..新たに自身の前へと登場した、
    これから作家活動を始めたいと
    強く志す同志に巡り会えたりもするのだ。
    1年前には存在していたナニカが泡の様に消え去り、
    新たに芽生えし何かが
    自身の手元へと引き寄せられてくるのだ。

    1年前には成り立たなかった環境の変化であったり、
    場を移す事で新たに構築できた人間模様であったり、
    そこから当然影響受けてゆき、絵図のイメージが徐々に
    化学変化の兆しを垣間見せてくる。
    1年という長き刻に凝縮された
    自身が紡ぎし物語はページをゆっくりとめくりながら
    少しずつの景色の移ろいを
    肌や身体や心で体感しながら進みゆくのだ。

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  • アートストリーム2013審査無事通過^^

    審査通知がポストへと爆撃投下〜。
    今年は小さい方の枠がせまいブースにて、
    ひそかに応募したのだが..

    アートストリーム2013無事審査通過!嬉しやぁぁ~^^
    なんだかんだで秋はアートフェスが熱いので、...
    どれかに参加しなければ芸術の秋を満喫出来ぬと思い立ち、
    締切ギリギリで決断して良かった!

    アートストリーム2013心斎橋大丸14階イベントホール
    2013年11月15日「金」〜17日の3日間開催

    なんだかんだで、未発表の作品は溜まってきていてねぇ。
    押し入れにてウズウズしているジラフやホエール達が
    アートストリームを皮切りに一堂に集結するんだ。

    さてさて、関西最大級のアートフェス開幕まで後2か月。
    全速力で自身の周りを取り巻く風景を
    目まぐるしい勢いつけて劇的に変えてゆきたいのだ。
    スピードを伴う行動と実演をひたすら積み重ね行く事で
    1年先の風景は、想像の域を飛び越え、
    次なる風景が、そこから垣間見えてくるのだから。
    行動なければ周りの風景に変化の兆しは無く、
    一年が徒労に終わってゆくだろうから。

    どうせなら足掻きながら、ひたすら動き回りゆき、
    そこから派生する悩みや諸問題を
    解決策、捻り出しながら考えてゆきたく思う。

    自身の可能性を押し広げてゆく大いなる旅路が続いてゆくのだ。

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  • エベレストなる高見へ

    継続は力なり、という古来より伝わりし
    名言があるが、あれは半分本当で、もう半分は嘘なのだ。
    その事を今日はコンテンに記載しようと思う。

    例えるなら、いつもの帰り道に存在する
    Y字路が見えてきたとしよう。
    右側はいつも通る習慣化されし道で
    左側は、まだ一度も通った事が無い未知数なる領域なのだ。
    人と言う生物は習慣化に慣れ親しみ、
    そこに甘んじてゆく弱い生き物なので
    右側が定例化すれば、左のリスクが在るかもしれない道は
    必然的に避けて通る事をしない。
    つまり左側のハイリスクを一生選ばず
    平坦に一生涯を閉じるパターンが実に多いのだ。

    サザエさん一家の様に、エンディング曲で小走りで走りながら
    家路へと一家が一堂に入ってゆき、
    狭く窮屈な家が揺れ動きながら幕を下ろす。
    そんな平坦ループによる積み重ねからは、
    大きなウェーブによるリターンを手にする事など出来ないのだ。
    限界を超えた、己を超越せし先にある能力を手にするためには
    博打によるハイリスクを自身が自ら、しょいこまない事には
    サザエさんファミリーのまま、安定志向で人生の幕が閉じてしまうのだ。

    例えるなら地元の小さき山を毎日昇る様なものなんだよ。
    そこにはハイリスク無ければ、それと同じく
    ハイリターンで自身に跳ね返ってくる喜びも
    平坦な場所以上の高みには届かない。

    高みへと飛翔しながら昇りつめて
    至福なる旨味を我がモノにするためには、
    自身がまずはハイリスクを受けて立たなければ、
    目指した深みによる境地まで行く事など到底不可能なのだ。

    ハイリスクにおける自身に対しての投資。
    それを成すためには地元の、か細き小山を継続させゆくのではなくて、
    エベレストへと挑みゆく過酷なる戦いへと繰り出そう。
    自身の感性に漲る潤いを齎し、ステップアップしてゆくための
    ハイリスクによるエベレスト登山。
    そんな向上心を御旗に掲げた
    研ぎ澄まされしマインドによる発展や進化を僕は強く望みゆくのだ。

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  • まどか☆マギカを熱く語り読み解く!

    まどか☆マギカ、ついに新編.反逆の物語が
    来月から劇場公開されるんだよね。

    大ドンデン返しが映画の方でも展開されそうで..
    先が知りたくて知りたくて、続きの物語を
    垣間見たくて、垣間見たくて..。
    そんな展開の先が読めない魅惑と
    心に突き刺さりし深い琴線へと導き誘ってくれる
    そんな物語を見ない理由など何処にもなくて。

    まどか☆マギカとは、中学生の少女達が
    地球外生命体のキューベイ、
    通称インキュベーターと契約を交わし魔法少女となって
    絶望を巻き散らす魔女と、戦う物語なのです。

    この冒頭だけ読んで、「なんだ、何処にでもありそう..」っと、
    思う人が多いと思うけど、
    あくまで中身の旨味を味合うために用意された布石であり、
    実に奥ゆかしくて噛み応えあるのだ。
    この物語の核を担う二人の少女、かなめまどかと、ほむらあけみ。

    魔法少女とは、そもそもの目的が何なのかが、
    物語が進めば進むほど、インキュベーターから仕組まれし、
    おそるべき内容として浮き上がり明らかなってくるのだ..。
    魔法少女はソウルジェムというアクセサリーの様な器に
    魂を閉じ込め、それを体に纏い魔女と戦うのだ。
    つまり魂を人の身体から分離させ、別の入れ物へと移すのだ。
    そうする事で戦闘においての痛みがほぼ無くなる。
    このソウルジェムが実は、物語の恐るべき
    事実を告げる鍵となってくるのだ。

    そう、魔法少女とは希望の象徴であると同時に
    絶望を生み出しゆく存在でもあるんだ。
    誰かを信じたり、救ったりすると同時に、
    絶望や憎しみが同等で心から巻き起こってくる。
    この負の感情が表出する事により、
    綺麗な輝きを魅せていたソウルジェムはやがて真っ黒に染まりゆく。
    その刻が訪れれば希望の象徴だった魔法少女は、
    絶望と恐怖をまき散らす魔女へと変貌を遂げる。
    つまり魔女と魔法少女との終わる事無き死闘は永久に続いてゆく。

    ほむらあけみは、かなめまどかを助けるために
    未来からやってきた女の子で
    まどかが、何度も何度も戦いに敗れて消えゆく瞬間を体験しているのだ。
    ほむらあけみの願いは、
    まどかに守られる存在ではなくて、彼女を
    守る存在になりたいと願い、
    その願いと引き換えに魔法少女の契約が契られた。

    未来から時間軸を、さかのぼる魔法を使って、
    何度も何度も、まどかの居る過去へと舞い戻る。
    全ては彼女が絶望の魔女へと変貌を遂げる前に是が非でも守り抜くために。

    そう、この物語の真の旨味は
    かなめまどかと、ほむらあけみの
    長き時間軸の果てに結ばれた麗しき友情を描いた物語なんだと
    ラストを見終わり率直に思ったのだ。

    友情や愛情の深さを、かなめまどかが悟りし時、
    ほむらあけみとの埋める事が叶わなかった想いが一つとなり
    新たなる世界へと繋がりし扉が開かれたのだ。

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  • 個人が個人を雇用する時代へ

    カイジの物語で、度々登場する、
    恒例で定番な効果音、ざわざわざわ...。
    顔に緊張感が漲り心の蔵がバクバク高まる瞬間に
    この効果音が、何処からともなく湧き上がってくるのだ。

    この、ざわざわざわ...な効果音、今の不安定で
    急下降を辿る退廃的な時代性と
    ピッタリマッチしているフレーズなんだよね。
    明日にはナニガ起きるか分からない、
    不確かで不明瞭な、地の底に存在する強制労働所へと
    直結している様な言い知れぬ恐怖。

    地元では、はたから見れば
    繁盛していた人気の中華料理店。
    ある日、横を通ったら、もぬけの殻となっていた。

    ざわざわざわ...笑

    友人と久々に奈良に在る
    ボリューム感満点なパスタを提供してくれるお店へと
    久々に出向けば、店の電気は真っ暗で。
    建築物を解体するシャベルカーが店の前へと置かれていたのだ..。

    ざわざわざわ...「笑」


    資本主義経済が成熟期を、とうの昔に通り越し、
    今や物が巷へと溢れ返り、それとは相反して
    人の需要がなくなり、機械文明が支配する時代となってきた。
    巨大な倉庫がネット上に存在する、アマゾンでは、
    そのほとんどを、コンピューターの頭脳により、
    商品を補完.管理しているのだ。
    つまり人が最小限、居れば、
    アマゾンフィールドは自動的に機能を果たすのである。
    巨大な自動販売機が
    バベルの塔の如く、天高くそびえたっている様だ。

    我々はこの恩恵を多大に受けていると同時に
    人間しての仕事をメカに奪われてゆく恐怖や憤りも抱いている。
    自動化が定例化した現代において、
    多くの人の手を費やさずとも
    1台の機械による頭脳やパワーの方が、それを凌駕してしまう。
    ターミネーターの時代が実現してしまったわけやなぁ..「苦笑」

    機械やロボットに仕事を奪われてしまった人々。
    20世紀モデルとしての社会システムであれば
    企業や会社が→個人を雇うのが、お金を得るために
    必要不可欠な術だと誰もが疑わなかった。
    けれどこの雇用システムが崩壊してきた現代において、
    企業が→個人を雇い入れて収入を得るから、
    個人が→個人を雇い入れるという意識が強く芽生えてきている。
    つまり自分自身が自ら仕事を生み出し、
    自身自ら価値や意味があると思える仕事を直に
    作り出してゆく事が必要なってくる。

    もはや、サラリーマンが栄華を誇り
    強い影響力を及ぼしていた時代は、
    恐竜が隕石の落下と共に滅びたみたく終焉を迎えようとしているのだ。
    右肩上がりの社会構造で
    組織に雇われる事で膨らみ拡張してゆくシステムは
    時代と共に右肩下がりとなった。
    急下降してゆくだけの場所では、
    有機的な機能を果たせなくなったのだ。
    これからの時代は、個人が個人における
    自身を自ら雇い入れ、雇用する事を
    つよく意識として捉えながら
    長く大きく生き残ってゆきたく思う。
    それこそが、開放されし真の自由を
    掴み取るために不可欠な要素と成りうるのだ。

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  • 解放戦線

    常日頃から、自身を取り巻く世界を
    リサーチしながら感じ.考えてゆく事。
    その事を習慣化させゆく事で
    自身の培いし感覚が潤いながら研ぎ澄まされてゆくのだ。
    流れゆく情報や見たモノを、
    そのままの形で鵜呑みにするだけでは
    何も得る事など出来ず、血肉へと変化してゆかないのだ。

    外の世界で拾い集めながら見て感じた事を、
    常に分析におけるメスを入れゆき
    自身の言葉や文章や行動へと打ち立ててゆく。
    そうする事を常日頃から心掛けてゆく事で
    自分らしさ、その人らしさが滲み出てくるのである。

    与えられた餌を何の疑問も抱かずに
    口をあんぐり開けて、ただ頬張るだけの豚になってないか?
    身動きが取れなく何もできず
    日々の暮らしに閉塞感を抱きながらも
    現状を何も変えられず
    ただ怯え震えているだけの羊になっていないか?

    我々が常日頃から感じている、ただならぬ違和感。
    不自由な気持ちでナニカに束縛されながらも、
    繰り返されし毎日のループを闇雲に過ごしている人々。
    狭いキュービックな枠の中に自身の身体を放りこまれ、
    窮屈なヨガポーズをさせられし人達。
    それは、人と言うよりかは
    むしろ飼いならされた獣の部類に近いと思うのだ。

    そうならないために、
    自身が真に歩み進んでゆきい道を常日頃から模索しながら、
    人らしく、人間らしく生きてゆく術を身につけてゆかなくては。

    生きねば、人らしく、人らしく活きねば、だな。

    狭い籠の中に閉じ込められし
    飛ぶ事を忘れ去った哀れな幽閉されし鳥に、なっていないか?
    虫かごの中に入れられ、自由な手足を
    引きちぎられた、哀れな昆虫へとなっていないか?
    人らしく生きて、人のまま土に返るためには
    自身が囚われの身から脱却しなければゆけないのだ。

    囲いの中に束縛されし住人として生きてゆくより
    自由で解放されし自由を手にするために
    毎日戦い抜きながら人らしく生き抜いてゆく。
    そんな潔き良きライフワークを
    頑に貫き通しながら生を謳歌してゆきたく思う。

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  • 一本のボルトから巻き起こし物語

    2013/09/08

    仕事

    デブリとは宇宙に漂うゴミの事である。
    2075年、人類が宇宙に開拓地を追い求めた時時代、
    このゴミが社会問題となりながら浮上してくる。
    そして宇宙でサラリーマンな
    ハチマキや田辺、ユーリなどが働く
    デブリ課事業部という部署が誕生するのだ。
    今日はユーリさんの視点に立って展開された物語を
    クローズアップさせながら考察してゆきたく思う。

    彼は何故デブリ屋になったのか?
    そして何故デブリの仕事を続けゆくのか?

    働いて仕事をするためには、志の強さや
    揺るぎ無い強固な信念.理念が必要であり、
    それがより良い未来を描き出すための原動力となってくる。

    単にはお金が貰えるから働くなんていう動機は、
    雇われた傭兵にすぎない。
    それではコンビニのセブンイレブンが潰れれば
    明日から向かいの活気づいてる、ファミリーマートに
    何食わぬ顔で再就職する様なものではないか「笑」

    仕事をする上で、その仕事に対しての
    気高き誇りとプライドを持つためには、
    その仕事をでなければならない確固たる理由が
    存在しなければゆけないと思う。
    ユーリさんがデブリ屋を続けゆく理由。
    それは7年前にスペースシャトルで起こった
    耐え難い悲劇が全ての出発点となっている。
    スペースシャトルに乗っていたユーリの隣席に座っていた奥さん。
    ユーリが席を離れた少しの時間に、
    奥さんの座っていた窓際の席へと
    一本のボルトが高速で窓目掛け飛んできて、
    それに頭部を直撃し、死亡してしまうのだ。
    一本のボルトが人の生命を奪うまでに至ってしまう、
    その危険性を大いに孕んでいるのがデブリなのだ。

    それ以来、妻の遺品である時計を探しながらデブリ屋を続けるユーリ。
    仕事に手を抜き、回収作業を怠れば、それが
    人の命を奪ってしまう事へと繋がる。
    自分以外の人にその痛烈なる耐えがたき痛みを
    味あわせたくないと言う思いは当事者であるユーリーが
    最も心の内に深く刻んでいるのだろう。

    デブリ課の若い連中は、それぞれに仕事をするための
    目標や夢や信念を強く抱ていて仕事に誇りを持っている。
    だからこそ、仕事に覇気が生まれてくるし、
    より良き未来へと、それが繋がってゆくんだろうな。

    宇宙船をいつか手にしたい主人公のハチマキ。
    愛の在る仕事を自身の内に抱き、真っ直ぐで
    直向きな仕事をこよなく愛する田辺など。

    今日もデブリの回収作業は宇宙スペースで続けられゆくのだ。

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  • 教育における基盤

    教育による教えって大事で
    必要不可欠なんだよなぁと最近つくずく思う。
    教え、学び、知恵の実を巡り巡らせながら
    果実を増殖させゆく事で
    自身の世界が格段に広がり帯びながら切り開かれてゆく。
    今振り返ってみれば
    美術の高校や予備校、美大に行かせてもらったのが、
    今に繋がる、かけがえのない財産として
    大きく活きているのだと実感するのだ。

    大学辞めた当時は、「大学で得られる事など
    何一つ無い!」などと..
    感情的になって馬鹿な事言ってたけどさ..笑
    基礎造形力や美術の知識や捉え方など、
    今振り返れば、会得した事柄は計り知れないのだ。

    ピラミッドの下地に位置する土台が広ければ広いほど、
    それだけ上に上に石を大きく積み上げてゆけるでしょ^^
    それの、いろはに辺る土台をきっちりと足場作りながら
    積み重ねてこられたのが心底良かったのだ。
    皮肉な事に大学を辞めてからの方が、
    独自で学びや教えを積極的かつ勤勉なって執り行ってるけど、

    それが出来るのは、基礎の足場が
    土台としてしっかりと構築できていればこそ可能なのだ。
    仮に、今から美術の経験や知識、ノウハウや技術、
    感性の泉などが0ベースからスタート切れるかと
    言われれば、かなりきついよなぁ笑

    30過ぎてから絵を始めようにも
    何からまず手をつけてゆけばよいのか分からないし、
    手さぐりで長き時間、探し求めてゆけたとしても、
    途方も無き過酷な戦いになってくるだろう。
    根気や労力、時間、お金、
    モチベーションとの長き戦いを経過して
    ようやく手にする事が出来る、旅路の果てに見い出せし境地。
    そう言った意味では早い段階で、
    スタートするに、こした事はないよな。

    仮に今から陶芸始めたり、写真家の道を志したり
    立体作家とかでデビューしようとしても
    少なくとも5年は最低限、必死になって
    全てを投げ入れるつもりで挑まないと
    鑑賞者を魅いらせれる作品が
    出来ないんじゃないかな。「僕の場合はだけど」

    告知したら展示会に人が来てくれたり
    作品を様々な人の手へと渡る形で購入してもらったりする迄に、
    自身が身を捧げ差し出した対価は計り知れないのだ。
    けれど、それを成すために必要な
    技の極みを一つでも会得できれば
    一生涯戦い続けながら成果を継続してゆけるんだ。

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