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2015/11/13
けもの道に迷ったあげく
青年はけものになってしまった。
爪を立て、牙をむき、血に飢えた眼。
笑顔を忘れ、優しさは微塵もない。
青年には恋人がいたが
彼女が手紙を出しても返信はない。
消息の途絶えた青年を探して
やがて彼女もけもの道に分け入った。
しかし、彼女はけものにならなかった。
けものに食べられてしまったから。
その食べたけものが
あるいは青年だったかもしれない。
一枚の白い便箋が落ちて
死んだ魚のように谷川を流れてゆく。
すでにインクの文字は消えかけている。
けものになってしまったら、どうせ
もう人の言葉は読めないはずではあるけれど。
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2015/09/26
車道わきの歩道を歩いていて
蝶の交通事故を目撃したことがある。
春であったか夏であったか
一匹のその白い蝶は
低空をふらふらと飛びながら
クルマの行き交う車道の上を
何気なく渡ろうとしていた。
(ああ、クルマに当たりそうだな)
そう思った途端、本当に
走行中のクルマのフロントガラスに当たった。
蝶はそのまま折り紙のように
頼りなく舗装された車道に落ちた。
そして、その上を次々と
後続のクルマが通り過ぎていった。
これが事件になるはずもなく
何事もなく時は過ぎたわけだけれども
毎年どれほどの数の蝶が
交通事故で亡くなっているのか
想像してみるに
罪を感じない鈍感な罪人ほどに
文明は野蛮なものだ
という感慨に
しばし浸らぬわけにいかない。
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2015/02/19
「別れましょう」
君は切り出す。
「なぜ?」
僕は尋ねる。
「飽きたの」
君は正直だ。
「秘密がある」
僕は嘘つきだ。
「興味ないわ」
君は正直すぎる。
「殺す」
僕は卑怯だ。
「勇気ないくせに」
君は鋭い。
「別れよう」
僕は諦めた。
2015/01/29
「それじゃ、元気でね」
彼女の細長く形良い背中は
少し離れて恋人だった男の無骨な背中と並んで
さびれるばかりの駅前通り商店街の歩道の向こうへ
小さくなって消えようとしていた。
彼らが別れることになると言及された結末は
それほど僕の慰めにはならなかった。
「落ち着いたら、また来るから」
そんな彼女の口約束と同様に
なんの保証にもならないのだから。
もう会えないかもしれない。
それは漠然とした予感ではなく
冷徹な予測。
やがて彼女は
いく枚かの写真と絵と
思い出の中だけの人になってしまう。
それがどんなに哀しくとも
哀しくないとしても。
2015/01/27
あの頃、僕たちは煙の底で蠢いていた。
彼らが振動させる濁った空気を鼓膜に受けながら
それとは別のなにかを聴こうとしていた。
あるいは現実に存在しないのかもしれないけれど
どこかにあって欲しいと切実に願うもの。
わかったようなわからないような、ともかく
すぐに理解してしまえるようなものでないもの。
そういうなにか特殊な暗号のようなものを
僕たちは方法も知らずに解読しようとしていた。
うまく言えないけど、そんな気がする。
隠された意味などありはしないという可能性を
あの頃の僕たちは
これっぽっちも疑いはしなかった。
2014/09/30
踏切の前で
遮断機が上がるのを待っていた。
踏切の向こう側には
幼稚園児らしい女の子がひとりいるだけ。
電車が1本通過した。
だが、遮断機は上がらない。
踏切の向こう側には
小学生らしい女の子がひとりだけ立っていた。
幼稚園児はどこかへ行ってしまったらしい。
さっきと反対方向の電車が1本通過した。
しかし、まだ遮断機は上がらない。
踏切の向こう側には
高校生らしい女子生徒がひとりいるだけだった。
さっきまでいた小学生の女の子に
様子がよく似てる気がする。
お姉さんかもしれない。
左右から1本ずつ電車が通過した。
それでも遮断機は上がる気配すらない。
踏切の向こう側には
見覚えある若い女性がたったひとりで待っていた。
思い詰めたような表情で
彼女はじっとこっちを睨んでいる。
遮断機が上がるのを待ち切れず
私は思わず線路に飛び出した。
2013/07/16
「もみじ」という名の喫茶店があった。
店内の壁に額縁が飾ってあった。
ありふれた水彩の風景画だった。
その絵は毎週土曜日になると変わった。
近所の貧乏画家が差し替えるのだ。
一枚で一週間、コーヒーが飲める。
それが店主と画家との約束なのであった。
「そのうち、もっと価値が出るよ」
コーヒーを飲みながら画家は笑った。
ある土曜日、画家は来なかった。
「とうとう絵が売れたのかな」
なじみの客がそう呟いた。
店主はちょっと首をかしげた。
日曜日は喫茶店の定休日だった。
「あいつ、死んだんだって」
月曜日、なじみの客が店主に伝えた。
「交通事故で、土曜日に」
店主は壁の額縁を見上げた。
それは先週の絵と違っていた。
まっ赤なもみじの絵だった。
2013/07/06
狭いながらも会場は満員。
観客はじっと舞台を見つめている。
舞台では人形使いが人形を操っている。
「それにしても、きたない人形だな」
「ふん。おまえの下着ほどじゃないさ」
「おれの下着、いつ見たんだ?」
「ふん。見なくてもわかるさ」
「比べてみるか?」
「いいとも」
「いやいや、やっぱりやめた」
「どうして?」
「忘れたんだ」
「なにを?」
「下着はいてくるのを」
くだらない会話ではあるが
すべて人形使いの腹話術である。
じつは、人形使いは人形。
そして、人形が人形使いなのであった。
まあ、よくある話ではある。
ところが、この人形使いだけでなく、
観客もみんな人形なのであった。
まるで反応というものがない。
拍手も喝采も、野次さえない。
人形を愛し、人を愛せぬ
なんとも悲しい人形の人形使い。
2013/06/23
ホント
どこへも行くところがない。
森はとんでもないところだし、
かと言って、池や沼では
いくらなんでもあんまりだ。
海にも山にも飽き飽きで
バスも電車も乗る気になれない。
砂漠やジャングル、こりごりで
隣町さえ蜃気楼。
よその星は遠くて億劫。
せいぜい近所の公園でも
散歩するだけ。
恋人いないし、
友だちは仕事と家庭で忙しい。
遊べない友だちなんか
もう友だちじゃない。
退屈のあまり、居眠りすれば
暗い顔の少年、放火する。
メラメラ
メラメラ
炎に囲まれ、立ちつくす。
ほらね。
やっぱり、どこへも
どこへも
行くところがない。
2013/06/16
二階の窓から手袋を落としてしまった。
見下ろすと、一階の庇の上に載っていた。
運がいい。
まだ諦めるのは早い。
窓から身を乗り出して、手を伸ばす。
指先に当たり、手袋は下に落ちてしまった。
さすがに諦めなければ。
庇のすぐ下は水面だった。
洪水なのだ。
クラゲが浮かんでいるのが見える。
川の氾濫ではない。
海が氾濫したのだ。
庇の上には他にも載っていた。
ねじれた形の黒い靴下。
いつ落としたのか心当たりもない。
それでも拾うつもりで手を伸ばした。
ところが、黒い靴下は逃げてしまった。
というか八方に散ってしまった。
それは黒い靴下ではなかったのだ。
無数の蟻が靴下の形に群がっていたのだ。
みんな苦労しているんだな、と思った。
窓から上体を引き上げ、腰を伸ばす。
はるか遠い水平線を眺める。
昔、あれは地平線だったのだ。
あそこまで裸足で歩いて行けたのに。
なんでも素手で触れることさえできたのに。