麗子は中尉の死骸から、一尺ほど離れたところに坐った。懐剣を帯から抜き、じっと澄明な刃を眺め、舌をあてた。磨かれた鋼はやや甘い味がした。
麗子は遅疑しなかった。さっきあれほど死んでゆく良人と自分を隔てた苦痛が、今度は自分のものになると思うと、良人のすでに領有している世界に加わることの喜びがあるだけである。苦しんでいる良人の顔には、はじめて見る何か不可解なものがあった。今度は自分がその謎を解くのである。麗子は良人の信じた大義の本当の苦味と甘味を、今こそ自分も味わえるという気がする。今まで良人を通じて辛うじて味わってきたものを、今度はまぎれもない自分の舌で味わうのである。(三島由紀夫『憂国』)
憂国
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三島由紀夫の『憂国』をモチーフに描きました。
published : 2019/03/11
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